第22話 人として向き合う
約束通り優太さんは再び予約をしてくれた。七月最後の土曜日、渋谷で十時から三時間コース。
本指名として予約された嬉しさもあるが、それ以上に期待に応えられるか緊張が高まった。今まで色んなお客様に指名して頂き、様々な悩みや話を聞いてきた。しかし、彼が話してくれた悩みは私を抱けば解決する、という単純なものではないだけに、どれだけ彼の心に寄り添えるかが腕の見せ所だ。
約束時間の十分前に待ち合わせ場所近くに到着したが、すでに優太さんは待っていた。結構早めに来たつもりだったのだが、いったい何分前に来ているのだろう?
私は優太さんの携帯に非通知で電話をかけ、手を振りながら近づいた。
「おはよう。待たせてごめんね」
「おはよ。そんなに待ってないよ」
お互い微笑み合った時に私はあることに気づいた。
「あはは、優太さん見て。お揃い」
優太さんと私の服装を指で交互に示した。
彼は初めて会った時と同じような白シャツにチノパンを履いており、私は白のノースリーブのトップスにベージュ色のロングスカートを履いてきたら、まさかの色味が揃ったのだ。
「前もその服着ていたよね」
「そうだね。あ、別にこの服しか持ってない、ってわけではないからね?」
「ふふ、わかっているよ」
日傘を差すと、そっと優太さんの手を握った。見上げれば照れくさそうに笑いながら手を握り返してくる。そのままホテル街に向かいながら他愛のない話を続けた。
私はホテルの外でお客様と腕を組んだり、手をつないだことは一度だってない。理由としては、まず料金が発生するタイミングがホテルに入室してからになる。つまり移動中は人妻として演じる必要があるにも関わらず無給なのだ。そして、おじさんと手をつないで歩くことへの抵抗感が、風俗嬢の仕事に慣れた今でも拭えなかった。
優太さんの目的はもちろん性欲の解消だろうが、抜いて、ハイ、終わり、といったドライなやり方では満足できないタイプだろう。性欲の解消はあくまでも手段であって、おそらく寂しさや人肌の恋しさなどが常に付きまとっているからこそ、心が満たされたいと思っているのではないだろうか。
優太さんを少しでも満足させるためには、私は人妻という役割ではなく恋人としての役割に徹した方が良いと考えた。そしてホテルの外で同い年の男性と手をつなぐことに、抵抗感は全くない。
初めて会った時に利用したホテルに足を踏み入れ、部屋に入室すると前回とは異なりシックな印象の部屋だった。ホテル名と部屋番号をラインで藤本店長に報告すると、直ぐに本日のコースと料金が送られてきた。すかさず優太さんが、鞄からお金の入った封筒を差し出してくる。今回はかわいらしい金魚が泳いでいる絵柄の封筒だ。
「毎回封筒の柄が違うよね。集めるのが好きなの?」
お礼を言いながらお金を数えたが、途中で手が止まった。一万円多い…。
「あの、もし、よかったらでいいので…」
私が口を開く前に優太さんが言った。
「ダメだったらその時に言って欲しい。ダメでもよくても、受けとって欲しい」
私としては構わないが、ゆずさんの代わりにやったところで余計に虚しく感じてしまうのでは、と思う反面、優太さんはスッキリできるし私は稼げて一石二鳥じゃん、という意見が私のなかで目まぐるしく入れ替わり顔を覗かせた。
一ヶ月の間に三回も指名してくれたことは、本当に有難いことだと心から感謝している。しかし、お店の利用料に加え、ホテル代、飲食代を全て合計すれば、余裕で旅行に行けるくらいのまとまった金額になる。一般企業に勤めている会社員からすれば、結構な出費になるはずだ。余計なお世話かもしれないが、どうしても相手の懐具合を心配してしまう。この誠実そうで真面目な青年が、二十代という若さにして風俗にのめり込むようなことがあってはならない。
「よかったら、ちょっと座らない?」
私はソファーに座ると隣を手でポンポンと叩いた。優太さんが腰掛けると、私は体ごと優太さんに向き直る。
「お金、ありがとうございます。お気持ちは喜んで受け取りたいと思います」
畏まって話す私にホッとした表情を見せる優太さん。余計なことだとは思いつつも、思い切って本音を伝えた。
「分かっているとは思うけど、私と一緒に寝ても、優太さんが抱えている問題の根本的な解決にはならないと思う」
「…それは、理解している。理解した上で来ているから大丈夫」
ゆっくり頷きながら答えた優太さんに、私も頷き返した。
「それと、すっごく余計なお世話だとは思うんだけど、今月中に三回も指名してもらえて、すごく嬉しい。だけど、二十代の会社員の給与からすると結構な出費になるよね?」
優太さんの表情を見ると、いまいち分かっていなさそうだ。
「えっと、何が言いたいかというと、貯金を切り崩してまで、風俗にくることはお勧めできない。私がお客様の懐具合に口を出すことは、失礼なことだとわかっている。でも、どうしても気になるというか、会社からの給与以外にも収入があって余裕がある、とかなら全然いいとは思うんだけど」
余計なお世話でごめんね、と謝ると驚いたような顔で優太さんが言った。
「俺の財布事情を心配してくれているの?」
私が頷くと口元に手を当てながら、何か考え込んでいる様子だ。言わなければ良かっただろうか、そう後悔した矢先、優太さんは笑い出した。
「いや、ごめん。なんか、ほんとうに風俗嬢のイメージと全然違うな、と思ってさ。よく風俗にいく同期のやつから色々話を聞くんだけど、そんなところまで気を回してくれるなんて、優しいな、と思って」
「その同期って大和さん?」
「そうそう。よく覚えているね」
「女の子を掛け持ちしている人でしょ。面白すぎて覚えた」
前に聞いた優太さんの同期の一人である女遊びが激しい大和さんの話は、笑いが絶えなかった。そのことを思い出して少し笑った。
「確かに、会社員からするとここのお店は少し高いよね。でも、俺、家賃がほぼ無いから少し余裕があるんだ」
「実家暮らし?」
「いや、実家は新潟だから今は北千住で一人暮らししている。親戚が不動産をもっているから、そこの一室をタダ同然で貸してもらっているんだよ」
北千住と聞いて私は危うく、家が近いね、と言いそうになった。私が住んでいる西日暮里駅からは二駅しか離れていない。
「家賃がかからない、っていいね」
しかし、会社員の一人暮らしなら、どんなに高く見積もっても家賃は十万前後だろう。それでは賄いきれない。
私の疑念に気づいたのだろう。優太さんが笑いながら言った。
「大丈夫、贅沢貯金を使っているから」
「贅沢貯金?」
「あ、俺、貯金を三つにわけていて、メインとサブと贅沢なんだけど、贅沢貯金は自分自身のために使ってもいいルール」
「堅実だね。サブは何に使うの?」
「サブはケガとか病気とか急に出費が必要になった時用かな。メインは将来のことを考えてある程度、溜まるまでは手を付けないようにしているよ」
私は微笑んだ。心配していたよりずっと、金銭感覚がしっかりしている。
「それにボーナスが出たから。俺が働いている会社、ボーナスは結構いいんだ。だから、お金のことは大丈夫。自分のわがままに使ってもいいお金を使っているから、気にしないで」
自分のわがまま。そこに優太さん自身の自己評価が透けて見えた。彼女がいるのにその人とセックスができないから、他の女性で性欲を解消しようとする行為を、優太さんは『わがまま』と考えているのだ。
「だったら、心置きなく頂戴します」
私は金魚柄の封筒を両手で軽く掲げ、頭を下げた。鞄にしまうと、優太さんに向かって両手を広げる。
「…?」
首を傾げる優太さんに向かって、さらに距離を詰めて両手を広げた。しばらくして優太さんは理解したように、あっ、と言って両手を広げ、お互いハグをした。
「言ってよ」
「いや、わかってくれると思って」
笑ったのだろう。私の頭に顔を埋めている優太さんからかすかに吐息が漏れた。優太さんの胸板にくっつけていた顔を上げて、少し背伸びしてそっとキスをする。すぐに優太さんは私の顔に手を添えてキスを返してくる。
お互い軽いキスを繰り返しているうちに、優太さんの舌が私の唇を割って控えめに入り込み、徐々に深さを増していく。優太さんの手が私のスカートをたくし上げてきたところで、私はそっとその手を押しとどめて、顔を離した。
「先にシャワー浴びないと」
少し潤んだ彼の目をみて言うと、ソファーから立ち上がって優太さんの手を引っ張った。
「一緒に入る?それとも別々がいい?」
「別々で…」
バスタオルを手渡すと、じゃあお先に、と律儀にお辞儀してからバスルームへ向かう背中を見送った。
掛け布団を足元の方にまとめ、部屋の照明を暗くすると、部屋の温度を二度だけ上げる。服を着た状態で涼しく感じるくらいの温度だから、裸になったら少し肌寒い。
優太さんと入れ替えにシャワーを浴び終えると、初回の時と同様にベッドの端っこにちょこんと座っている姿が目に入り、思わず笑ってしまった。
「ベッドでゴロゴロしていても、いいんだよ?」
「いや、どうやって待っていたらいいのか、わからなくて」
苦笑いをする優太さんを掛け布団で覆いながら、一緒にベッドに横になる。私は珍しく緊張した。満足させられるだろうか、というプレッシャーと、楽しく話せる同い年に対して少しドキドキした。
体に巻いていたバスタオルをはぎ取り、優太さんに抱き着くとすぐに抱きしめ返してくれた。しばらく私の頭をなでていた手が背中から腰に移り、お互いキスを繰り返す。初回の時とは打って変わって、攻めの姿勢を見せてくれるので、私はおとなしく相手に身を委ねた。
彼はゆっくりと指や口を使って丁寧に攻めてくれる。丁寧すぎて少し、じれったいくらい。それでも優しく触れられることが心地よくて、そっと目を閉じた。
優太さんが私の足の間に手を伸ばす頃には、恥ずかしいくらい潤っていた。彼の指の動きに合わせて、お腹の奥底から急激な勢いで快楽がせり上がってくる。我慢する間もなく、私はあっという間に絶頂を迎えてしまった。目を閉じて、体中の血が速く巡っているのを感じた。一つ一つの細胞が急に意識を持ち始めたかのように、じんじんと震えている。
あまりの早さに驚き、恥ずかしさに手で顔を覆うとベッドに突っ伏した。私はどちらかと言えば遅漏気味だ。お客様とのベッドプレイで絶頂を迎えることは、ほとんどない。なぜなら私は、少しでも心に引っ掛かりがあると達することはできず、プレイ中は常にお客様のことを考えているため、無心になれることはほとんどない。
仕事中だということを忘れて、心地よさにうっとりと目を閉じてしまった自分の頭を叩きたい気分だった。
優太さんは突っ伏している私をそっと仰向けにさせ、私の顔が見えるよう手をどかした。彼の眼差しは優しさに溢れており、嬉しさが滲み出ていた。
男性が女性との性行為において、自尊心が満たされる条件の一つに、相手をいかせることが間違いなく含まれていると思う。だから、私は必ずいったフリを行う。彼とのプレイもフリをする 気満々だったが、その必要が無いことに私自身、驚きと戸惑いを隠せない。
私にキスをしながら再び足の間をいじり始めた優太さんに抵抗を示すものの、あっという間に快楽の海に押しやられた。中に入っていた優太さんの指が抜かれる頃には、仕事中ということが頭から完全に抜け落ち、心地よい痺れを感じながらぐったりとしてしまった。
おそらく、優太さんは軌道修正が上手いんだろう。反応を見ながら相手にとって一番良い場所、一番良い方法を模索しているのがよく分かる。
私の手と口によるサービスがお客様から高評価を受け、多くの本指名に恵まれるようになった理由の一つは、軌道修正をとにかく意識したからだと思う。お客様にとって、気持ち良いと思うポイントはそれぞれ異なる。それを探しあて、ひたすらに尽くす。
しかし、優太さんは水商売をしているわけでも、その道のプロというわけでもない。ひたすら丁寧に相手のことを想わなければ、こういう攻め方はできない。性欲を解消しにきた立場のお客様が、本来サービスを提供する側の風俗嬢にここまで尽くしてくれる。驚くほど自分のことよりも、相手のことを優先して考える人なんだろう、と痺れた頭で思った。
少し上体を起こし、枕元に置いてあるゴムを手に取って優太さんに渡した。優太さんは一瞬驚いた顔をしたものの、少し泣きそうな笑顔で私に覆いかぶさり、優しくキスをした。
私なりのお礼というわけではないけれど、久々に気持ち良い感覚にゆったりと身を沈めることができた。この仕事をしていると、プライベートで金銭が絡まない肉体関係がアホらしく思えてしまうので、私は風俗嬢に転職してから一度もプライベートで他人と肉体関係を持っていない。
常連のお客様で相性が良い方もいるけれど、それは私が歩み寄った上で成立する相性の良さだ。ありのままの状態で身も心も寛げたのは、本当に久々だった。だから、彼が求めてくる前に私から求めた方が彼にとっては嬉しいはずだ、と思ってゴムを手渡した。
ゴムの裏表が分からないようで、つけるのに手間取っている彼を見て、本当に久々なんだな、と思う。私は、分かりにくいよね、と言いながらつけるのを手伝った。
彼とのセックスは控えめに言ってすごくよかった。今まで色んな人と寝てきたが、相性の良さ、その一言に尽きる。
私にとっての相性の良さとは、身体の物理的なパーツが鍵と鍵穴のようにピッタリ一致するということだけでなく、精神面での相性の良さも大いに含まれている。
女性は男性と比較すると、行為中に絶頂を迎えることができない割合が多い、というデータを見たことがあるが、それは精神的な相性の良さが大いに関わっているのではないかと思う。
風俗嬢としては相手に身をゆだねっぱなしは、褒められたものではない。しかし、今回に限っては人として、彼の想いに向き合って受け止めたい、という気持ちにさせられた。
遅漏の方はおそらく、心がかなり繊細だと私は考えている。そのため、優太さんの気持ちに少しでも負荷がかからないよう気をつけながら、後は彼に任せた。
いくつかの体位を経た後、再び優太さんが私に覆いかぶさる頃には、飛びそうになる意識を必死で繋ぎ止め、息を深く吸って吐くこと以外できない状態だった。
ハッとした表情が優太さんの顔に浮かんだ。その、しまった、といった顔を見て、私は優太さんの首に手を回し引き寄せると、耳元で私の本音を織り交ぜて、彼が嬉しいと思うような言葉を囁いた。私が伝えた言葉に、彼はかすかに微笑んだ。
じっとりと汗をかき、発熱しているんじゃないか、と心配になるくらい熱い手で私の腰をつかむ優太さんの動きが次第に激しくなる。そして、ついに彼は絶頂を迎えた。
荒く吐かれている息の音を聞きながら、顔に水滴が落ちたのに気付いてそっと目をあけた。てっきり優太さんの汗が滴り落ちたのかと思ったら、彼は泣いていた。
鼻をすすりながら、やっと中でいけた…、と呟いた姿に私は心を打たれた。私の首元に顔を埋めながらすすり泣く声に、黙って耳を傾ける。
「ありがとう」
耳元で囁かれた言葉に対して私は返事をする代わりに、彼を両手で強く抱きしめた。




