第1話 はじまり
こんなところに風俗店が入っているなんて、誰が想像できるだろうか。
一階には高そうなジュエリーショップが入っており、二階には美容系のクリニック、その他の階にはセレクトショップや、一見さんお断り雰囲気満載の飲食店等が入っている。
東京のど真ん中と言っても過言ではない。日本一の高級店が立ち並ぶエリアにも、サラリーマンが飲んだくれるエリアにも徒歩でアクセスできる。少し足を伸ばせば迷子になるくらい大きな駅もある。
初めて面接で訪れた時には、風俗街とはあまりにもかけ離れたエリア、尚且つ私が知っている風俗店の事務所が入っているようなビルとはあまりにも異なる佇まいなので、何度も指定された住所と、自分がこれから入るビルを見比べ、足を踏み入れるのに躊躇した。
その面接に合格して風俗嬢兼事務スタッフとして勤務し始めてから、早くも一年三ヶ月が経過した。
ガラス張りの煌びやかなジュエリーショップを横目に、エレベーターホールに向かった。エレベーターに乗り込み最上階である八階のボタンを押すと、耳にはめていたイヤホンを外し、鏡を見ながら肌がテカっていないか確認が終わった頃に、ちょうど八階に着く。
エレベーターの扉が開くと、よく磨かれた白い大理石のホールがあり、落ち着いた照明とホテルに置いてありそうな調度品がお出迎えしてくれる。
かすかに香る匂いは白檀を基調にしたフレグランスだと、私が面接を受けた時に店長が教えてくれた。心を落ち着かせる効果があるそうだが、今の私にとっては一年以上も毎日嗅いでいるおかげで、心を落ち着かせるどころか、職場を連想させる匂いでしかない。
そして、左手には一般的な会社でよく見かける受付電話が、ひっそりと置かれている。受話器の横には、明るい色の木材とガラスで作られた一輪挿しが置かれており、黄色い花が一輪飾られている。
他の風俗店を知り尽くしているわけではないが、ぱっと見ても風俗店には見えない入り口である。その証拠にエレベーターホールに設置されている監視カメラには、面接にくる女性の戸惑いや住所を再確認している様子がモニター越しに見ることができ、私も初めてここに来た時のことを思い出して、勝手に親近感を覚えている。
受付電話を取ろうと手を伸ばしかけた時に、勢いよく扉が開いた。
「莉奈さん、おはよう!」
大きな声にいささか驚く。私が所属している渋谷店の藤本店長のずんぐりした顔が、満面の笑みでお出迎えしてくれた。今日もピシッとスーツを着こなしている。ここでは、本名である知夏と名前を呼ばれることはまずない。源氏名で呼ばれることにすっかり慣れた私は、礼儀正しく頭を下げながら挨拶を返した。
扉を通ると床には深みのある深紅色の絨毯が敷かれており、右手側に事務所に通じる扉、左手側に飴色をした革張りのソファーセットとガラス板のテーブルが置かれている。右奥にはカウンターが設置されており、革張りのイスが三脚置かれている。
カウンターの上にはすりガラスの仕切りが設置されているので、隣の様子を横目で伺うことができないような配慮がされている。ここがキャスト、いわゆるお店に在籍している風俗嬢がお給料を清算する場所だ。
面接に来た時に、私が今まで在籍をしてきた風俗店の事務所と、あまりにも異なるため思わず「ホテルのロビーのようですね」と感想を口にすると藤本店長は、我が意を得たり!と言った様子で得意そうな表情で、この会社について説明してくれた。
『一流のおもてなし』と、まるでホテルのようなキャッチコピーを方針とし、ワンランク上のサービスをお客様に提供するためにはまず、社員及びスタッフが一流のおもてなしの気持ちを持ち、仕事に取り組むことが大事である、と掲げている。服装は必ずスーツに革靴、夏以外はネクタイ着用と一般企業並みのルールで運営されており、お客様に対してもキャストに対しても丁寧な言葉で対応するよう指導がされていること、お客様には必ず「様」をつけること、在籍している女性は「さん」付けで呼ぶこと、風俗嬢という言葉を決して使わず、キャスト呼ぶこと等、堂々とした様子で説明している藤本店長は、とても風俗店の店長には見えなかった。
私はこの説明を聞いて軽い衝撃を受けた。企業としてはお客様に様を付けるのが当たり前だが、この業界はそうとは限らない。今まで在籍していた店舗は、お客様に対して「様」を付けているスタッフを見たこともないし、キャストは基本的に「ちゃん」付けだった。
確かに藤本店長の対応は言葉遣いも物腰も丁寧で、風俗店の店長というより、ホテルのフロントスタッフと話している印象を受けた。
私はここに来る前に二ヶ月間で、計五店舗のデリヘル店に在籍したが、そのいずれも古く小汚いマンションの一室か雑居ビルのフロアを事務所とし、待機室は満喫のような個室の店舗もあれば、リビングのような場所で集団待機する店もあった。似たり寄ったりな環境だが共通して言えることは、長居はしたくない、と思わせる雰囲気があることだ。
またプレイの最短コースが六十分であり、比較的手軽な価格設定のため、数をこなさないと稼ぐことができず体力的にきつかった。
店を掛け持ちしていたが、二ヶ月で見切りをつけた。借金返済のためデリヘル嬢に転職したのだから、稼げなければ意味がない。より稼げるお店を探すにあたって私が重要視したのは、最短コースが九十分以上であること、料金が安すぎないこと、そして、ホームページや写メ日記の更新頻度が高いことである。
安すぎる単価の店に来る客が全員とは言わないが、コスパの良さを求めるだけあって品位が低い客が多い。金銭的に余裕がある客はたいていが鷹揚としていて、時間をたっぷり使って楽しもうとする傾向がある、ということを経験から学んだ。そのため、新幹線のグリーン車を躊躇なく普段使いできるような、ちょっとした経済的な余裕を持ち合わせている客層をターゲットとした店を選んだ。
そして、お店がどれだけ熱心にキャストを売り出そうとしているのかについては、ホームページを見ればだいたい判断できる。多くのお店は、出勤しているキャストのリストをトップ画面に掲載しているが、待機中であるキャストを目立たせるための工夫は様々だ。
今まで在籍していた店は新人を強く押し出し、在籍期間が十日ほど過ぎると次第にどんどん後の方に追いやられていく。新人が優遇されるのは当然と言えば当然だが、これでは稼ぎにくい。 キャストの入れ替わりが激しく、否応なく自分が消耗品であること突きつけられている感じがした。
また、風俗嬢は出勤すると写メ日記を書かされる。写メ日記とは店のホームページに載せる写真付きの日記のことで、自分をアピールする最大の場所でもある。今まで在籍していた店の写メ日記は、とにかくエロい写真が良いとされていたが、私は自撮りした下着姿の写真をサイトに載せることに、強い抵抗があった。
純粋な拒否反応もあったが、それ以上に自分を安売りしているようで嫌悪感を覚えた。そして何より『可愛がってほしいな』『いまひまだよ~』など、ぺらっぺらの言葉でバカっぽいコメントを載せて媚びを売りまくり、それを買いに来る客相手にベッドの上でも媚びを売ることに、言いようのない疲労感が蓄積されていった。
そのため、新しいお店を探す際には求人サイトだけではなく、客が見るサイトをじっくりと眺めた。そして、すべての条件を満たしていたのが人妻専門渋谷店だ。




