第18話 白川優太との出会い
道玄坂を登ると交番があり、その裏手にはホテル街が広がっている。その交番のすぐ近くにあるオフィスビルの一階に入っているスーパー付近が、お客様との待ち合わせ場所だ。
お客様の携帯に非通知でかかるよう、一八四の数字を頭につけて相手の携帯番号をタップする。ワンコールですぐに繋がった。
「はい」
渋い声が鼓膜に響く。どのあたりにいるか質問すると、スーパーの入口近くに立っている、と返答が返ってきた。
実はこの時点で待ち合わせ場所から信号を渡った向かい側にすでに私は到着している。ちょっと離れたところでお客様がどの方か目視するためだ。
赤信号の間にスーパーの入り口付近に立っている男性を確認すると、確かに携帯で電話をしている様子が伺える。電話を切ったタイミングでちょうど青信号になり、横断歩道を進むにつれお客様の外見がはっきりと見えてきた。
お客様と思われる男性を目にして思わず足を止めた。ずいぶん若い人が来た。電話で話した時は渋い声だったから、てっきりおじさんだと思っていた私は面食らった。しかし、すぐに気持ちを切り替え、お客様の正面ではなく、斜め四十五度辺りから近づき控えめに声をかけた。
「あの、シラカワさんですか?」
「え、あ、はい…」
驚いたように肩を跳ね上げ、こちらを振り返った。身長が百八十センチはあるだろうか。なにかスポーツをやっているのか体格がかなり良く、全体に筋肉質だ。白シャツにチノパンといったシンプルな服装だが、髪型がツーブロックなので少しいかつく見える。
「驚かせてごめんなさい。莉奈です。今日はよろしくお願いします」
「あ、よろしくお願いします…」
緊張しているのか、動きも表情もものすごくカクカクしている。なんだかこちらまで緊張してしまう。
「さっきお電話した時、渋いお声だったので思ったよりお若くて、びっくりしました」
ニッコリ笑いかけると、シラカワさんは手を頭の後ろにやりながらはにかんだ。
「よく友達からも声がおじさんみたい、って言われます…」
「渋くてかっこいいですよ」
そう答えるとシラカワさんは、どうも、と会釈した。
どう見ても二十代半ばにしか見えない。今まで指名を受けた中で一番若かったお客様は三十代だ。若い男性は若い女性を求めるものだ、と考えていた私はこの若い客は熟女趣味なのかといぶかった。
「さ、行きましょうか。どのホテルがいいとかありますか?」
相変わらず目の前でそわそわしている様子に、私がリードした方が良さそうだ、と思いながらホテル街へ誘導し始めた。
「あ、ここらへん来るの初めてで…。あまりよくわからないんです」
「そしたらどういうホテルがいいでしょう?安いところとか、広いところとか、ケーキが無料で食べられるところとかありますよ」
ゆっくり歩きながら頭の中に候補を浮かべながら尋ねた。
「じゃあ、安いところがいいです」
この時点で申し訳ないが、私のモチベは少し落ちた。
もちろん、何事も安く抑えられる方が良いに決まっている。しかし、多少高いお金を払ってでも特別な時間や体験を求めるお客様は、ホテルは安さよりも清潔で居心地がよい場所を選ぶ人が多い。
かつては数百人もの芸者が存在していた花街の名残か、渋谷の円山町一帯は多くのラブホテルが密集している。安価なホテルから高級志向のホテルまで様々なホテルが乱立しているが、安すぎるホテルにはそれなりの理由がある。衛生的に不安を感じるホテルは避けたいため、私は比較的リーズナブルなホテルの前で足を止めた。
「ここだと割と安めなんですがいかがでしょうか。値段を見てから決めて頂いても大丈夫です」
「あ、いや、莉奈さんがお勧めしてくれるのでここにします。」
意外とすんなり決まった。わざわざ安いホテルで、と言ってくるからもっとケチケチしているかと思った。だが、そんな感想はミジンコほども表情に出すことなく一緒にホテルの入り口をくぐる。
「どちらがいいですか?」
部屋を選ぶためのタッチパネルモニターを見ながら、シラカワさんが聞いてきた。空いている部屋は二部屋しかない。白いソファーがある部屋か、木目調の部屋かどちらかだ。
「じゃあ木目調の部屋で」
そう答えるとシラカワさんは小さく頷いてボタンを押すと、受付カウンターから鍵を受け取った。部屋に入るとやや狭いが、意外にもこざっぱりとしていて、テーブルを挟んで椅子が二脚置いてある。
緊張気味のお客様とどう距離を縮めるべきか、頭の中でシミュレーションしていた私は部屋の構成を見て、しまった、と後悔した。
二人掛けのソファーの方が隣に座れるので距離を詰めやすく、ボディタッチもしやすい。会話が盛り上がればそのままプレイに持っていけるが、カフェのようにお互い向き合って座るタイプの椅子だと、どこかで意図的に会話を切り上げてシャワーへ誘導しなければならない。
慣れているお客様なら、「じゃ、そろそろシャワーへ」と切り出してもスムーズだが、このお客様に対しては会話からプレイへ、スロープをつけて接客をしたかった。
「値段の割には綺麗ですね。あんまりラブホって感じしないな」
室内を見渡しながらシラカワさんがつぶやいた。
「ね、落ち着いていていい感じですね」
荷物を椅子に置くと、ホテルに入室した旨をお店にラインで送った。すぐに返信がありコースと料金を確認すると、シラカワさんに伝えた。九十分コースで、初回割引された金額だ。
「よろしくお願いします」
わざわざご丁寧に、封筒に入れたお金を両手で差し出してくれた。
「ご丁寧にありがとうございます。かわいい封筒ですね」
夏らしくひまわりが描かれた封筒の中身を確認すると、鞄の内ポケットにしっかりとしまって、チャックを閉めた。
お互い向かい合わせに座りながら、私は聞いてみた。
「ふふ、緊張しています?」
「あ、はい。こういうお店はあまり利用したことがなくって…。あ、これ、良かったら飲み物どうぞ」
シラカワさんが膝の上に置いているシンプルなトートバッグから、麦茶と緑茶のペットボトルを取り出し、テーブルに並べた。
「お好きな方、どうぞ」
「ありがとうございます。私、どっちも好きです。シラカワさんはどちらがいいですか?」
「あ、俺はどっちでも…」
「そしたら、せーの、で飲みたい方指さしません?」
頷いたシラカワさんと目を合わせて、せーの、と言った後、お互いが指をさしたのは麦茶だった。緊張感が漂っていた室内に笑い声が響いた。
「あはは。やっぱ夏は麦茶ですよね」
笑いながら私は麦茶をシラカワさんの方へ差し出した。しかし、両手で差し戻されてしまう。
「いや、莉奈さんのために買ってきたので」
私はお礼を言い、麦茶を飲んだ。冷たくて美味しい。
「ここのお店、利用するのは初めてですか?」
「あ、はい、初めてです。」
もちろん知っていたので、予想通りの答えが返ってくる。キャストはお客様の利用履歴を確認することはできないが、私は事務スタッフである立場をフル活用し、指名を頂いたお客様の利用履歴は逐一確認していた。
こんな質問を普段はしないが、若いお客様がわざわざ人妻専門店をなぜ選んだのか、非常に興味が湧いた。
「まだお若いですよね?二十五歳くらいですか?」
「あ、二十九歳です。莉奈さん、お店のホームページに載っていた年齢よりずっと若いですよね?こういうお店って実年齢よりうんとサバ読むと思っていたので、若い女性がきてびっくりしました」
「私、シラカワさんと同い年です。今年で三十になります」
「え!タメですね。年下かと思いました」
これはお世辞でも嬉しい言葉である。美容にお金と時間をかけた甲斐があるというものだ。
「シラカワさんみたいに若いお客様、初めてなのでお会いした時にびっくりしました。すごく若い人来たなぁと思って」
「あ、そうなんですね。何歳くらいのお客様が多いんですか?」
「だいたい三十~六十歳くらいの方が多いですね。たまに七十歳の方もいらっしゃいますよ」
「えっ!おじいちゃんですね。その年で性欲があるって凄いな」
「ね。お店に遊びに来るだけあって、すごく若々しい方でした」
「あの、そういった高齢の方でもその…、できるんでしょうか?そういうことが」
聞いていいのか迷っている感情がありありと顔に出ており、わかりやすい方だな、と思う。
「他の方はわかりませんが私を指名して頂いた方は、エロいことよりもおしゃべりを楽しみたい方でした」
「ははぁ~。お金持ちの遊びなんだなぁ」
その感心の仕方に思わず私は吹き出してしまった。
「ほんとですよね。」
お互い笑いあうと、シラカワさんがほっとしたように息をついた。
「莉奈さんが話しやすい方でよかった。どんな人がくるのかずっとドキドキしていました」
「そう言って頂けて良かったです。どうしてこのお店を選んだのか伺っても?」
少し首を傾げて尋ねると、きまり悪そうに答えた。
「あの、人妻が好きとかそういうわけじゃないんです。すみません。年上の女性なら色々話を聞いてくれるかなと思って…」
続きがありそうな気配を察し、私は黙って先を促した。
「お店の女性が書いているブログみたいなやつ、色々読んでみたら莉奈さんのブログがすごく面白くて。話しやすそうな方だな、と思って指名させて頂きました」
ペコリと頭を下げられ、慌てて私もお辞儀をした。
「いえ、こちらこそご指名頂き、ありがとうございます」
少し雰囲気が和んだところでお互いの話に弾みがついた。
彼は食品メーカーの営業であること、学生時代は野球部でキャッチャーをやっていたこと、休みの日はジムに行くか友人と飲みに行くことなどを話してくれた。同い年ということもあり、共通の話題が多く、盛り上がりすぎて気づけば三十分経ってしまっている。
「あ、ごめんなさい。おしゃべりに夢中になってしまって。そろそろシャワー浴びます?」
「あ、はい…」
和やかな空気が一変し、とたんに緊張をはらんだ顔付きになった。
「良かったら一緒にシャワー浴びますか?」
「いや、恥ずかしいんで、一人で浴びてもいいですか?」
まるで女子みたいなセリフに危うく笑いそうになったのを、すんでのところで堪えた。
「もちろんです。お待ちしていますね」
微笑みながらも内心ため息をついた。
お店から支給されている消毒液で、お客様の息子をしっかりと消毒するために、基本的にはシャワーを一緒に浴びる。どうしても性病感染のリスクが高い仕事のため、予防はできる限り行いたい。
まぁ、緊張しているようだし仕方ない。部屋の照明を暗めに設定したところで、シラカワさんがお風呂場から戻ってきた。私は横になりやすいよう、掛け布団をめくりながらベッドに促した。
「私もシャワーを浴びてきますね」
脱衣所で無地の紺色ワンピースを脱ぐと、手早くシャワーを浴びた。バスタオルを巻きつけて戻ると、シラカワさんはベッドの端にちょこんと腰かけている。
「体、冷えちゃいますよ」
そう言って私が先にベッドに潜り込み、シラカワさんが入りやすいよう掛け布団を持ち上げると、静かに私の横に滑り込んできた。すかさずシラカワさんにぴったり体をくっつけ、たくましく鍛えられた胸板に顔を埋める。バランス良く鍛えているのがわかる筋肉だ。
驚くほどの大きな鼓動が私の頬に伝わり、シラカワさんがそっと抱きしめ返してくれる。シラカワさんの腰に回した手で肌をなぞりながら、やはり二十代の肌は若くて張りがあっていいな、と思わず普段相手にしているお客様と比べてしまった。
しばらく手だけ動かしてシラカワさんの背中から腰あたりを撫でたが、シラカワさんから動く気配が一向にないので、私からキスをした。
遠慮がちにキスを返してくれたけど、私が攻めた方が良さそうなので、様子を見ながらキスをする位置を変えていく。シラカワさんはされるがままで、うっとりしているのか、何も感じていないのか、閉じられた瞳からは表現が読み取れない。
そっと息子に触れてみると、なんと、ちんまりした姿で鎮座していた。やさしく手や口を使って試みるが、相変わらずナマコ状態のままで全く変化がない。私は勃起不全気味のお客様を相手にした時ですらフィニッシュまで至ったので、自分の技術にはプロとして多少の自信があった。
ところがこのナマコ状態はいかがしたものか。どうしたら喜んで頂けるのか、必死に考えながら試していたが、シラカワさんがふと首を持ち上げて言った。
「あの、もう大丈夫です…。すみません」
私には女としての魅力が全くない、と言われた気持ちになり、少々傷ついてシラカワさんと目が合う位置まで体をずらした。
「すみません…」
「いや、莉奈さんは別に悪くないです。あの、少しでも緊張しちゃうと、全然、ほんとにあの、役立たずの息子で」
私を抱き寄せながらシラカワさんが言った。顔をぴったり付けた胸板から、相変わらず大きな鼓動が伝わってくる。
「今日はいけなくてもいい、っていう気持ちで来たんです。こうやってくっついているだけで満足というか」
一生懸命私をフォローしようとしてくれているが、上手くいかなかった原因は、私がリラックスできる空間を作り出すことができなかったに他ならない。
「あの、莉奈さんってご結婚されているんですよね?」
「え?」
自分の技量のダメさ加減に内心凹んでいたので、思わず顔を上げて聞き返してしまった。
「あ、人妻専門店にいるからご結婚されているのかな、って」
「あ、はい」
表情が見られないよう、再びシラカワさんの胸板にピッタリと頬を押し付けた。性欲盛んな二十代のお客様を相手に全くもって役立たずな自分が恥ずかしく、その動揺を表情から悟られたくなかった。
「旦那さんとはその、夜ってどうなんでしょうか。その、内容が、とかじゃなくて普通に日常的にあるんですか?」
何と答えれば正解なのか分からなかったので、とりあえず私の設定を伝えた。
「旦那は海外に単身赴任中なので」
「そうですか」
私のあいまいな返事を素直に受け止めてくれたようで、私の頭をなでながらシラカワさんはため息をついた。私はちょっと顔の向きをずらして、斜め下からシラカワさんの顔を見上げる。
「彼女いないんですか?」
「いや、いるんですけど…」
「けど?」
「いや、ふつーに仲いいです。一緒にいると楽しいし」
「へぇ。付き合ってどのくらいなんですか?」
「もうすぐで二年になります」
「結構長いですね」
シラカワさんの歳で二年付き合えば、そろそろ結婚を考える時期だろうか。なんとなく歯切れの悪い言い方に、もしかしたら彼女さんとセックスレスなのかしら、と考えたが、さすがにそれを初対面の人に聞くのはいくら風俗嬢とはいえ失礼な気がする。
少しの沈黙の後、何か言いたげな雰囲気を察して私は体を起こすと、そっとシラカワさんの頭を撫でた。シラカワさんの瞳が小さく左右に揺れている。私は黙って彼の頭をゆっくり撫で続けた。
シラカワさんが何か言おうと口を開きかけた瞬間、携帯のアラームが鳴りだした。コース終了まで十五分。シャワーの時間だ。
「もう終わりですか」
「そう、ですね。あと十五分あるのでシャワーはゆっくり浴びられますよ」
シャワーを含めた時間配分は、キャストに判断が委ねられている。目安は十分だが、それだと慌ただしく現実に一気に引き戻されてしまうので、私はお客様に合わせて十五~二十分をシャワータイムとして確保している。
「莉奈さん、良かったら先に浴びてください。お化粧直しとかしますよね」
全くもって役立たずな私に気を使ってくれて、申し訳ない気持ちになる。優しい人だなと思った。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
バスタオルを手に取り、先にシャワーを済ませた。シラカワさんがシャワーを浴びている間に、スプレータイプの日焼け止めを顔に吹きかけ、保湿クリームを体に塗る。
お互い身支度を整えると、鞄を手に取りホテルをでる。暑いですね、と他愛無い話をしながら解散場までの短い距離をしのいだ。
道玄坂を登ったところにある交番の近くに着くと、謝罪の気持ちも込めてお辞儀をした。
「今日はご指名頂きありがとうございました」
「あ、こちらこそ」
短く別れの挨拶を済ますと、シラカワさんは人込みで溢れた道玄坂を下っていく。土曜の昼前は多くの人でごった返しており、シラカワさんの姿はあっという間に見えなくなった。
あーっ!失敗した!!
天を仰ぎながら、うっすら目に浮かんだ涙を飲み込んだ。上手くいかなかったことへの申し訳なさと、自分の技術不足が露呈した恥ずかしさと、内心気まずくて早く帰りたい、と思ってしまった自分の情けなさに嫌気がさした。二度目の指名はさすがにないだろう。
今さっきの接客内容を反芻し、何をどのように改善すべきか内省しながら事務所へ戻った。




