師匠
私は机の引き出しから指輪をひとつ取り出す。
銀色で一見ただのシンプルな指輪だけどよく目を凝らすと細かい字が無数に刻まれている。魔法の師匠が困ったことがあればこれに念じればすぐに会いに行くと言って渡してくれた。
彼女が城を去った十日後に寂しくなって試しに使ったら、こっぴどく怒られたっけ。
あれから五年は経つだろうか。またすぐに来てくれるだろうか。
扉を叩く音が聞こえて、扉をゆっくりと開けてあげると、もじもじしながらナズナが立っている。
「あの、トイレっ、てどこですか?」
私は急いでナズナを抱えて、階段裏のトイレへと連れていき、彼女が落ちないように支えてなんとか事なきを得る。
手を引いて私の部屋まで戻って、ベッドに座らせてあげる。
さすがにトイレを見られたのは恥ずかしかったのか、耳まで赤くして顔を伏せてしまっている。
「子供用のトイレは無くてね。私も小さい頃はメイド達に抱えられて恥ずかしかったわ。落ちたら危ないし汚いから、子どもは皆がそうだから恥ずかしがることはないわ。あまり気にしないで」
ナズナがこくんと頷いてくれる。うまく慰めてあげられたんだろうか。
「あと今連れて言ったトイレは実は秘密なの。レーシャも兵士達も知らないわ。だから次は少し遠いけど一階の浴室の隣の部屋がトイレだからそこを使ってね」
「秘密?」
「まあ言ってしまうと王族専用の隠しトイレって感じかしら。魔法がかかっていて常に綺麗になっているらしいわ。荒れた時代の名残よ」
「あの、そういえば、私に何か用事ですか?」
逆に気を使わせてしまっただろうか。
とりあえず師匠を呼ぶ前に確めることがある。
「ナズナ、盾を出してみて」
「え?あれは棺にしまったからもうここには無いですよ?」
「お願い。試してみてくれる?」
ナズナが目を閉じる。
シャンと音と光を伴ってナズナの前に青い盾が現れる。
やはり盾はナズナの中にある。
「あのこれは一体?」
「このこととあなたの記憶喪失のことでナズナに会わせたい人がいるの。少しそこで座って見てて」
ナズナが盾をしまい、不安そうに私を見つめる。
銀色の指輪を右手の小指にはめて、ベッドから立ち上がり、左手に魔石を握って広い場所に右手をかざして念じる。
会いたい、助けて欲しい、知恵を貸して欲しい。
床に光る円が浮かび上がり、続いて文字や紋様が浮かび上がる。
揺らいでいた光が一定になり、魔法陣となると陣から枕が飛び出し、枕を掴んだ手が床に押し付けられ、もう片方の手と三角帽子が陣から生えてくる。そのままよじ登る様にして片足が出てきて、這い上がってくる。
そして魔法陣が小さくなって消えるのに合わせるみたいにゆっくりと立ち上がる。
五年前と変わらない幼い容姿に特徴的な大きな三角帽子、床に付きそうな長い金髪。金色の瞳に左手に巻かれた金色の紐。そして初めて見る大きく厚めの枕とかわいいリボンの付いた寝間着。
そして眉間に刻まれた深いシワ。
「レイゼリアよね?大きくなったようね」
「はいレイゼリアです。五年ぶりになります、師匠」
「そう人間は相変わらずでかくなるのが早いようね。徹夜でこれからやっと眠れるっていうところだったのに。また寂しくなったの?」
にやけそうになるのを必死に我慢する。
枕を抱えて怒る姿はかわいいけど絶対口にはしない。
「寂しくなかったといえば嘘になりますが、今回は本当に知恵をお借りしたくてお呼びしました。ナズナ、こちらに来てください」
ナズナが緊張した面持ちでベッドから立ち上がり私の隣にくる。
「ナズナ、この方があなたに会わせたかった方、私の魔法の師匠、エリュ様よ」
「えっと、初めましてナズナです」
師匠が舐めるようにナズナを見る。
「それで私を呼んだのは?」
「この子記憶が無いそうなんです。そしてガンゼツの盾の所有者のようなんです」
私はナズナに聞いた、墓で目覚めてからのこと、私を助けようと盾を出現させたこと、そして刀も無くなっていたことを話す。
「なるほどね。あなたには魔法の基礎しか教えてあげられなかったのが悔やまれるわ。もっと歴史とかも勉強させた方が良かったようね」
ため息混じりに師匠が言う。
「まずガンゼツの不気味な武器は身体の中にしまうとか別空間から取り出すとかそんなことは出来ない」
「ガンゼツの武器は魔法の武器じゃないのですか?」
「魔法との相性はむしろ最悪よ。あれは魔族を殺すために作られた武器。盾は例外だけどね」
「盾は例外とは?」
「盾は勇者のために作られた彼専用だからよ」
「魔法の武器じゃないのでしたら、なぜそれがナズナに?彼女は勇者の子孫ということですか?」
「それを答えるには確めることがあるわね」
師匠が指で宙に円を描いてその中に枕を突っ込むと枕が消える。
「レイゼリア、彼女が盾を持ってることはまだ秘密にしたいのよね?」
「はい、彼女のことは兵士達も知っていますが盾のことは秘密にしています。彼女のためにも盾を棺に戻せるならそれが一番かと」
「まあ普通に考えたらそうでしょうね」
「じゃあレイゼリア、それとナズナ?加減はするから声は我慢してね」
そう言って笑顔でこちらに指を指す。
加減って何?
師匠が無邪気な笑顔を向けたときは大体痛い目を見ることになる。