景色を見る余裕はない
心許ない気もする変装をした私は、フィシェルさんの開いた穴をくぐって階段を上がらずに実験室の中に戻ってくる。
するとガンドルヴァルガさんが私をじっと見る。
「メイド服か、ふむ、黒い髪を仕舞ったのはいい判断かもしれんな」
「ありがとうございます」
「ではアルセルまではわしが送る。そこからは頼んだぞフィシェル」
「明日までに着けばいいんだろ?」
「ああ、お主なら余裕だろう」
「迷子にならねーことを祈っててくれ」
ガンドルヴァルガさんが杖を出して床に床を突くと、大きな穴が開く。
「アルセルの西の森に繋がっておる。オークとゴブリンを頼んだぞ」
「まかせとけ」
「いってきます」
フィシェルさんの後を追って穴を入るとすぐに鬱蒼とした草木に囲まれて、藪に埋もれて周りが見えない。
フィシェルさんはどこだろう。
「フィシェルさん?どこですか?」
チチチと鳴いて頭の上から小鳥になったリネが飛び立つと後ろから脇に手が差し込まれ持ち上げられる。
「ひでーな、師匠の奴。きっと最後にここにきたの何十年も前なんじゃね?大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
「さっさと森を抜けるか」
フィシェルさんが三角帽子を脱いで、中に手を入れると長い棒が出てくる。
棒の先には藁のようなものでふさふさになっていて棒は箒だったみたいだ。
箒に跨がるとまた私の脇を持ち上げて箒に乗せる。
股に少し棒が食い込んだかと思うとふわりと浮き上がる。
「二人ともしっかり掴まってろよ」
「はい…」
藪が離れて木々の間も抜けて、どんどん空へと上がっていく。
「これはフィシェルさんの魔法なんですか?」
「いや、魔法道具だ」
「じゃあ私でも…」
「いーや、作った本人しか飛べねー」
「そうですか…」
箒に乗ったら空を飛べるのかと思ったのに。
「ナズナにはリネがいるだろ」
「そうですね」
「そういえば一応名前も変えねーと」
私はわからないけど、少なくともリネの名前はきっと有名だ。
「んー、ナズナはセイで、リネはチチな」
「リネはチチチと鳴いているからわかるんですけど私は?」
「てきとーだ。元の名前と繋がりがあっても勘ぐられるだけだからな」
確かにそうかもしれない。
「速度あげっぞ。落ちるなよ」
そう言うと徐々になんてことはなく急激に速度が上がり、ぐっと身体が重たくなってフィシェルさんに背中が押しつけられ怖くなってぎゅっと箒を握りしめながら無意識に目をぎゅっと瞑る。
風が凄くて息が出来ない。リネのことが心配だけど手を放したら終わりだとわかる。
「うわっ!」
そんなことを考えていたら突然止まって、勢い余って前に吹っ飛びそうになる。
「そろそろ日が落ちる。今日は野宿だな」
ゆっくりとどこかの森に箒が降りていくと、フィシェルさんか脇を持って地面に降ろしてくれる。
するとチチチと鳴いてリネが右肩に乗る。今までどこにいたんだろう。ずっと頭にしがみついていたんだろうか。
「すごい速かったけどリネは平気だった?」
チチチと鳴いてくれるけどいつもと違って肯定なのか否定なのかわからない。
「天幕張るから待っとけ」
フィシェルさんが三角帽子に手を突っ込む。
賢者の杖というより賢者の帽子だ。
「それでしたら薪でも拾ってきますね」
「そーか?迷子にならねーよーに気をつけてけよ」
「はい。もしもの時はリネ…じゃなくてよろしくねチチ」
今から名前を変えておかないとぼろが出そうだ。
チチチと鳴いて返事をくれるリネと少し森の中を歩く。
手頃な大きさの枝を拾い集めつつ、食べられる茸や木の実がないかときょろきょろ見渡す。
途中、白い毒茸を見つけることができたけど、食べられるものは見当たらない。
木の実はないかなと上を見上げると、橙色で三角の変わった実を見つける。
「リネ…じゃなくてチチ、あれ取れる?」
チチチと鳴いて私が指した方へ飛んでいき、つついて、実を落としてくれる。
拾い上げてよく見ても、全然なんなのかわからない。
鼻に近づけて嗅いでみても匂いも特にしない。
ぽす、ぽす、と落ちる音がして、一人一つあれば十分だと思いリネに声をかける。
「チチ、ありがとう。戻ってきて」
右肩に乗ったリネと一緒に薪と三つの実を持って来た道を戻ると、フィシェルが天幕を張り終え、焚き火でぐつぐつと鍋を煮ているみたいだ。
「ごめんなさい。遅かったですか?」
「そんなことねーよ。あんがとな。近くに置いておいてくれ」
私は言われた通りに少し放した横に拾ってきた薪を置く。
「フィシェルさん、チチと見つけたこれは食べられますか?」
私は橙色で三角の実をフィシェルさんに見せる。
「ホシの実だな。食えるけどそのままじゃ苦くて食べられねー」
「焼いたりするんですか?」
「いや乾燥させないとダメだ。だからホシの実って呼ばれてる」
柿という言葉が脳裏に浮かぶけど、勇者の知ってるものとは形が違うみたいだ。
「とりあえず仕舞っておいてやるよ」
そう言ってホシの実を三角帽子の中に入れて、帽子から木の器とスプーンを取り出して匙で鍋をよそってくれる。
「出来たぞ。チチは冷めてからにしろよ?」
「ありがとうございます。いただきます」
なにか細かく切られた野菜や茸とお米が煮られた雑炊のような粥のようなもので、とても美味しくて、なんだか懐かしい気持ちになる。