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鬼宰相の最愛 sideリーリエ

コンコンコン


「どうぞ」


ノックをすると、中から部屋の主のものではない、男性らしい低めの声が返事をした。数時間前にも聞いたその声に、あれからずっといるのかと少し驚く。


「失礼します」


華やかながらも主張の強すぎない、主のセンスが窺えるその部屋には、額に汗を滲ませながら眠るアナベルさんと、ベッドの横の椅子に座りながら、書類を捌いているリアンさんの姿があった。


「あと一時間ほどで完成するそうです」


私は水の入った桶をサイドテーブルに置きつつ、ソフィアさん側からの伝言を伝える。するとリアンさんは、書類を見る手を止めて、安堵したように微笑んだ。


「わかった。ありがとう」


(本当に好きなんだなぁ)


さっきの無表情が嘘みたいだ。いつも執務室で仕事をしている時、こんな微笑みは見せない。

もちろん侍女たちに対して怒鳴ったり、理不尽なことなんて一切言わない。でも、書類の不備を注意している時や、役人さんたちに仕事を割り振っている時は、噂に聞く『鬼宰相』らしく、無表情で淡々と正論を並べ、さっさと終わらせろという圧をかける。こんなに柔らかな声色ではなく、それだけで刺せるんじゃないかと錯覚するほど硬く冷たい声で指示を出す。その様子は、祖国で元婚約者や継母にヒステリックに怒鳴られるよりもよっぽど恐ろしい。


(アナベルさんはモードは二つあると言うけれど、実際三つだと思う…)


厳しいのは仕事の時だけで、仕事外では基本的に物腰の柔らかい方だ。

前に、

『リアンは、仕事モードとプライベートモードの差がすごいのよ』

とアナベルさんは苦笑していたけれど、そのプライベートモードにも二種類あると私は思っている。だって、リアンさんは、こんな蕩けそうな視線をアナベルさん以外に向けいない。あまり一緒にしたくはないけれど、元婚約者が聖女だという少女に向けていた、愛しくてたまらないと言わんばかりの視線。魔王様やアナベルさんほど関わりがあるわけではない私でも分かるくらいの溺愛っぷりは、アナベルさんのいうプライベートモードなんだろう。彼女はいつだってこの視線を向けられていた。


(溺愛モードに改名した方がいいのでは?)


そんなことを考えながら、アナベルさんの額に持ってきた水で冷やし直した布を乗せていると、ふと疑問が芽生えた。


「…アナベルさんが、倒れることってよくあるのですか?」


あの時を思い出して、ふと思ったのだ。皆さん焦っていたけれど、どんな対応をすればいいのかわかっていたように見えた。慣れていると言うか、《《知っている》》。そんな反応だった。

あの場で私はなにもできなかった。アナベルさんが倒れたことに動揺して、リアンさんが転移(ワープ)で現れるまで、カイトさんのように応急処置をしたり、他の団員の方々のように伝令に走ったりもできなかった。自分の無謀さに嫌気がさす。いつもお世話になっているのだ。いつか絶対に、恩を返したい。


「どうして?」

「…カイトさんが、真っ先にいつ魔術を使ったのかと聞いていたのが気になって…ただの体調不良ではなく、別に体の悪い所があって、以前も似たようなことがあったのではないかな、と思いました」


私の回答に、リアンさんはこちらに向けていた視線をアナベルさんに戻しながら言った。


「そうだね…最近は落ち着いていたけど、何度か倒れたり、体調を崩し気味になっていたことはあったよ」


まるで宝物に触れるように、リアンさんはアナベルさんの真っ白な手を握る。いや、彼にとっては正しく彼女が『宝』なのだろう。


「魔力過多症って、知ってるかい?」

「魔力、過多症。おそらく聞いたことはないです……でも」


自分の持っている知識と照らし合わせるけれど、聞いたことはない。でも、どんな症状かはなんとなく名前だけで分かる。


「アナベルさんの魔力は尽きることはない、と以前アルノルトが言っていました」

「そう。人も魔族も、魔力回路っていう、血管みたいな、魔力の通り道が全身に張り巡らされているんだ。心臓に近い場所で、魔力が作られて、全身に運ばれる。大体の場合、魔力の生産が魔力消費に追いつかないから、どんどん魔力は減っていく。まぁ、時間が立てば戻るんだけどね。でも、アナベルは特殊な体質で、魔力の製造スピードが他とは比べてものにならないくらいに早いんだ」


高熱のせいだろう。羨ましいくらいに真っ白なアナベルさんの肌は、薄く桃色に染まり、呼吸は荒い。そんな彼女を労わるように、空いている方の手で、彼女の顔にかかったピンクブロンドを優しくはらいながら、リアンさんは続ける。


「いくら魔力を使ってもそれが切れることはない。魔術師としては最高の才能だけど、多すぎる魔力が、かえってアナに害を与えることがあるんだ。魔術使用後よりもゆっくりになるとはいえ、なにもしなくても製造され続ける魔力を三ヶ月も溜め込んでいた。体はもう限界だろう。そんな満タンに溜め込まれ、ギリギリを保っていた魔力を、使ったらどうなると思う?」

「急に空いた隙間を埋めるために、さらに魔力を作り続ける…」

「溜め込んでいるだけなら、ゆっくり魔力を放出し続ければ、微熱かな?くらいで済んだんだ…まぁ溜め込んでる時点でダメだけど……今回重症化したのは、魔術を使ったことで魔力生産が体が貯められる魔力量を大きく超えて、それに体が対応できなかったから。ここ100年くらい魔力過多症なんて発症してなかったにもあるだろうね。魔力過多症になる人なんて滅多にいないから、毎回ソフィアに魔力の生産を一時的に止める薬をつくってもらうんだ」

「そう、なんですね」


リアンさんの口から語られる情報は、初めて知ることばかりだ。勉強不足…歴史の勉強をしていたけれど、今度図書室に行った時に魔力について調べてみよう。そう決意していると、


ゴンゴンゴン!


荒々しいノックの音が室内に響いた。


「カイトです!薬!完成しました‼︎」

「本当か!?」


時計を見ると30分ほど時間が立っていた。もう完成したのか、と驚いていると、カイトさんの言葉を聞いて、リアンさんがバッと立ち上がった。


「り、アン?」


扉へ駆け寄ろうとした彼の袖が、おそらく今目覚めたアナベルさんによって掴まれていた。


「アナ」

「ぃかない、で」

「薬を貰いに行くだけだよ?すぐ戻ってくるから」

「ぃや」

「私が行きます」

「ごめん、お願いするよ」


リアンさんは、意識が朦朧としている様子のアナベルさんの頭を撫でながら彼女を宥め始めた。


「こりゃ重症だ…はい、薬」

「ありがとうございます」


扉の外から部屋の会話を聞いたカイトさんは、苦笑しながら、琥珀色の液体が入った小瓶を差し出した。


「全て飲み切るそうです」

「わかった、ありがとう…アナ、ソフィアが薬をつくってくれたよ」

「い、らない」

「なんで。飲まないと苦しいままだよ?」

「苦い、嫌い」


アナベルさんは駄々っ子のように薬から顔を背ける。いつも凛としている彼女からは想像もできない姿だ。


「しょうがないじゃないか」


そう言って一つため息を吐いたリアンさんは、何かを思案するように小瓶とアナベルさんを見比べると、小瓶を一気に煽った。


「リアンさん⁉︎」


作るのに数時間かかる薬を飲み干すというか奇行に、思わず目を白黒させる。リアンさんはそんな私を気にせずに、顔を背けたままのアナベルさんの顎をつかみ、口付けをした。


(な、なにが起こってるの⁉︎)


なぜキスをしているのか。というか恋人ではないとこの間言っていなかったか。目の前で起こっている光景を理解できずにいると、アナベルさんの喉元が、軽く上下したのが目に入った。


「口、移しですか」

「ごめん、驚いたよね。でもあのままだったら多分飲まなかったと思うから」

「い、え」


薬の効果なのか、再び眠ってしまったアナベルさんに布団を被せながら、苦笑するリアンさんに、なんとか返事を返す。私にはm刺激が強すぎる。


「これで大丈夫だ。24時間魔力の生産が止まって、その後の生産も緩やかになる。起きて思いっきり魔力を使えば、元気になるよ」

「…よかったぁ」


正直未だ混乱している部分はあるけれど、アナベルさんは大丈夫。そのことに私は自分の胸を撫で下ろした。


(本当に、よかった)






さらに数時間後、リアンさんが張った結界の中で、アナベルさんがとんでもない規模の魔術を発動させて、彼女が四天王であることを再確認するのは、また別のお話。

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