とある日の差し入れ
「これであらかた初級魔術は覚え終わったわね。少し休憩しましょうか」
「休けーい!!」
「「「「「「「はい!」」」」」」
訓練場に元気な声が響く。アネモネ王国の偵察から早三ヶ月。今日も今日とて訓練場でアルノルトに魔術を教えている。
(思ったよりも早かったわね)
他の団員と座り込んで談笑するアルノルトをみながら考える。思っていた以上に本人にやる気があったし、素質もあった。見本で魔術を見せる必要もない。最近は平和だったから、付きっきりで教えられたことも大きいだろうけど、本来なら半年くらいかけてやる気分野を三ヶ月で終えて見せた。
「たいしたものねぇ」
「そうですね!」
「…うるさい。横で大声で出さないで」
いつの間にかカイトが隣にいた。いつものようにニコニコと楽しそうに笑っている。
「すいません…でも、ほんとにすごいですよねぇ」
「えぇ…あなたも、ありがとう」
「え?俺ですか?」
カイトが思いっきり怪訝そうな表情を浮かべる。そんなに私がお礼を言うのがおかしいだろうか。そんな薄情なつもりはないのだけれど。
「私がアルノルトに付きっきりの間、ずっと他の団員残り纏めてくれていたでしょう?そうでなくても、私が不在だったらやってくれているのに。だから、お礼を言っておこうと思って」
「そんな。俺は、副団長としての仕事を全うしただけですよ。それに…彼には頑張って欲しかったから」
そう言ってカイトは懐かしそうに目を細めた。アルノルトの方に目を向けているのに、どこか遠くを眺めているみたいで、普段ふざけていることの多いカイトの、ひどく大人びたその表情に、私の知らない彼をみた気がした。
「そう…そういえば、あなた彼女はどうしたの?最近訓練見にこないわよね?」
少し湿っぽくなってしまった空気を変えるために、明るく聞いてみた。お試しとはいえ、ファンだと言う彼女の熱愛ぶりはすごかった。少しでも時間が空けば、訓練を見にきて声援をあげる。それを照れくさそうに受けるカイトも初々しかったのだけど…
「あぁ、2週間くらい前に振られちゃったんです。やっぱり、一方通行は辛いって」
「あら」
「僕なりに、大事にしてたつもりなんですけどね……」
「…そう。なんかごめんなさい」
思ったよりも触れちゃな話題だった。いつもなら、こんな気まずさを加速させるようなヘマしないのに。実戦をしなさすぎて、色々鈍ってしまったのだろうか。
(やっちゃったぁ)
「アナベルさん!」
この空気どうしようと考えていると、聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。
「リーリエ?」
メイド服のスカートを風に靡かせながらこちらに向かってくるのは、いつものように微笑みを浮かべるリーリエだった。オースティンの侍女であるはずの彼女の手には大きめのバスケットがあった。
「魔王様に休暇をいただいたので、皆さんに差し入れを、と思いまして」
そう言って開いたバスケットには、色とりどりのサンドウィッチが所狭しと詰まっていた。魔力を感じるから、これは魔法箱なんだろう。多分中にはここにいる全員分入っている。
「あら、美味しそう。手作りなの?大変だったでしょう?」
「いえ、こちらにきてから、料理を習っているんです。魔術師団の皆さんに差し入れを作らせてほしいとお話したら、手伝っていただけて…」
「それでもこの量は骨が折れるでしょう。ありがとう、リーリエ。みんな!差し入れよ!!」
みんなお腹を空かせていたのだろう。待ってましたといわんばかりに、受け取ったサンドウィッチにかぶりつく。
「うま!」
「なにこれめっちゃ美味しいんだけど!」
「どう作ったらこうなるんだ…」
「リーリエちゃん!ありがとうー!」
あっちこっちから歓声が上がる。褒めちぎられたリーリエは照れくさそうに頬を染めながら、最後のサンドウィッチをアルノルトに渡した。
「ありがとう」
「いえ。殿下のお口に会うといいのですが…」
この子はどこまで卑屈なのだろう。今でこそ『私なんか』と言うことは少なくなったけれど、来たばかりの頃は、卑屈な言葉を使ってはオースティンに注意されていた。完全になくなったとまではいかないけれど、だいぶ自己肯定感も上がったのではないだろうか。
「…ねぇ、その『殿下』っていうのやめない?もう僕は王子でもなんでもないんだからさ」
「え」
少し不満げに言われたアルノルトの提案に、リーリエが青天の霹靂、と言わんばかりに、大きな目をさらに大きく見開く。
「アルノルトって、呼んでくれない?様はなしね」
「ですが…」
「ね?」
「……ア、アルノルト」
アルノルトの圧が強い。子供のころから徹底的に王族へ礼儀を叩き込まれてきたリーリエは、どうしても王子を呼び捨てなんて抵抗があるのだろう。圧に押されて絞り出した言葉は、ひどく小さくて、今にも消えてしまいそうだった。
「よし!これからそれでよろしく」
名前を呼んでもらえたアルノルトは、嬉しそうな笑みを浮かべ、サンドウィッチにかぶりついた。
「美味しい!」
「よかったです」
頰いっぱいにサンドウィッチを詰めて、満面の笑みを浮かべる彼からは、リーリエの強い好意が感じられた。
「甘酸っぱい〜」
「小説のワンシーンみたいですね!」
完全に蚊帳の外となった私たちは、ニヤニヤしながら二人を見守る。落ち込んだ様子だったカイトも、後でからかってやろ〜と楽しそうに別の仲間の方へ向かった。よかった。そう一息はきつつ、私は今も執務室で書類を捌いているであろう幼馴染へ向けて心の中でつぶやいた。
(うかうかしていたら、リーリエが取られちゃうわよ!)
☆☆☆
「ハクシュ!!」
同じ時間、静かだった執務室に大きなくしゃみが響いた。
「風邪ですか?」
「いや、誰かが噂でもしてるんだろう」
「どんな噂なんでしょうね」
雲ひとつない快晴だった今日は、オースティンに、リーリエを狙う、強力なライバルが現れた日だった。




