ご機嫌斜めな鬼宰相
「疲れたぁ」
仕事が終わり、どっと体にのしかかった疲労感にぼやき、伸びをしながら廊下を歩く。1日指導してみたが、アルノルトの吸収が早い。あのスピードではすぐに通常訓練に参加できるくらいになるだろう。
(となると、心配なのは体力面かぁ)
魔術師に体力なんていらないと思う人もいるかも知れないが、魔術を使うにも相応の体力が必要だ。いくら魔力量が多くても、体力が尽きたら魔術は使えないし、普通に倒れる。だから訓練には体力維持のためのトレーニングが組み込まれている………が、流石にあのメニューは、幽閉されていたアルノルトには厳しいだろう。もっと基礎体力をつけさせなければ。
「アナ」
そんなことを悶々と考えていると、後ろから誰かに抱きしめられた。聞き慣れた声と、フワッと香る匂いで誰だかわかってしまった。まぁ、誰かいるなぁとは思っていたけれど。
「どうしたの?」
普段はしない行動に動揺しつつ、私は肩口にあるリアンの顔を見た。想像以上に近くにあったその綺麗な顔には、なぜか笑みが浮かんでいて。そこから感じられた怒気に、背筋が凍った。
(怖ぁ!)
私に怒ることなんて滅多にないリアンの、近年稀に見るくらいのガチギレだった。一見、穏やかに微笑んでいる様に見えるが、お腹に巻き付けられた腕には、少し痛いくらいの力が入っていて、なんか後ろに黒いオーラなんかも見える…様な気がする。
「リ、リアン?」
一体何に対して怒っているのかわからず、取り敢えず名前を呼んでみる。すると、リアンは無言で一度ニコッと笑った。不意打ちの笑顔にドキッとしていると次の瞬間、目の前の景色が消え、誰かの部屋のものに変わっていた。
(転移?ここは…リアンの部屋ね)
結界を得意とするリアンだけれど、無詠唱くらいまでなら魔術も扱える。かと言って、私みたいにボンボン使うわけじゃないから、知っている人もそこまで多くはないけれど。
「なに…わ!ちょっとリアン!びっくりするじゃない!」
状況を確認していたら、いきなり抱き上げられた。所謂お姫様抱っこというやつだ。驚いて声を上げた私を無視して、リアンは奥に方に置いてあった長椅子に座った。
「おろしてよ」
座ってもなお、私を膝の上に乗せるリアンから降りようとすると、さらに巻かれた腕に力が入って抜けられない。普段書類仕事で、ペンを持ってばかりのこの腕の、一体どこにそんな力があるというのだろう。腕を外そうと踠いていると、やっとリアンが口を開いた。
「俺という恋人がいながら、なんで満面の笑みで他の男の手を握っていたのかな?」
相変わらず、リアンの顔には笑みが浮かんでいる。その整った顔立ちと、ゆっくりと言い聞かせる様な口調が、その迫力を増大させているのは気のせいではないと思う。
恋人。
怖いと思うと同時に、その単語に嬉しくなってしまうのは、もう1ヶ月も経っているのに浮かれ過ぎだろうか。
『好きだよ』
『な、ん』
『幼馴染じゃ、満足できなくなっちゃったんだ。ずっと考えてたんだよ。告白しようって。唯一無二の幼馴染もいいけど、俺は、アナの恋人になりたい。アナだって、本当は知ってただろう?』
あの日の告白、今でも思い返すと嬉しさと恥ずかしさに襲われるが、結局私はリアンを受け入れた。のらりくらりと結論から逃げるのをやめたのだ。
『…私も、ずっと』
『昔から、あなたが好きよ』
想いを伝えたら伝えたで、こんな簡単だったのかと、少し拍子抜けしてしまった部分もあったけれど。そんなこともあって晴れて今、私とリアンは恋人なのだ。最近はただでさえ甘やかされていたのに、より一層リアンが甘くなった。自分で言うのはなんだが、もう溺愛と言ってもいいだろう。
まぁ、それは置いといて、
(訓練…見てたのかぁ)
十中八九、アルノルトに魔力を流していた時のことだろう。久しぶりに、人に何をを教える、という状況が楽しくて笑っていたのも事実。でも、リアンなら何をしていたのかぐらいはわかるはずだ。なのになんでここまで怒っているのだろう。
「く、訓練の一環で、魔力を流していただけよ?ほら、体の一部に触らないと、魔力は移せないじゃない?」
「ふーん」
やましいことなんてないのに、なんだか言い訳がましくなってしまった。返事はしたが納得はしていないのだろう。一向に腕が解ける気配はない。
「俺とは魔界に帰ってきてからロクに一緒に過ごせてないのに?あの王子はいいの?」
どうしたものかと悩んでいると、リアンが拗ねた様に言った。
(あぁ、そういうこと)
そこでようやく私はリアンがどうして機嫌が悪いのかを理解した。確かに、魔界に帰ってきてからは、1ヶ月も人間界にいた反動でお互い仕事が立て込んでいた。執務室で顔をあわせることはあったけれど、休憩時以外リアンは仕事モードなので、恋人らしいことはできないし、私は魔術師団の方でバタバタしていた。幼馴染だって時でさえ、恋人とほとんど変わらないくらい一緒にいたのに、あの時の比にならないくらい忙しくてなかなか会えない。
そこに今日の訓練だ。自分は会えないのに、私は楽しそうのアルノルトの手を握っていた。
要は嫉妬だ。普段なら隠すなりそれとなく伝えるなりするそれが、溜まっていた疲れと一緒に爆発したのだろう。
(可愛いなぁ)
「ごめんなさい。そんなつもりはなかったわ。私も寂しかった。そうね……明日は休みだし、デートでも行きましょう?ね?」
そう言って私はリアンの頭を撫でる。嫉妬は嬉しい。だって、それだけリアンが私を好きでいてくれていると言うことだから。私からも、言葉にしようと思う。
「リアン、大好きよ」
ずっと変わらない私の気持ち、伝わってくれると嬉しいけれど。
「はぁ〜。不意打ちずるい、一人で勝手に嫉妬していた俺が子供みたいじゃないか……アナ、俺も大好きだよ」
そう嘆きながら、彼は顔をこちらに近づける。私は先を察してまぶたを閉じた。
「甘い」
「ん」
「もう一回」
そう嬉しそうに、イタズラっぽく笑うリアンの顔を、私は生涯忘れないだろう。




