3.喧嘩を売られていたそうです
「魔王がお前を元の世界に返してやる。その方法が見つかるまでお前にはこの城に滞在してもらう。その間俺は聖女の護衛をすることになった。ようするに超優秀な俺様がァ、お前を敵から守ってやるわけだ。が、俺はそんな面倒ごとごめんだ。だからこの部屋に結界を張ったァ。こっから出なけりゃ安全、出たら危険。部屋から出てもいいけど俺はお前を守らないから怪我をするなよ。魔王とレキにチクったら殺す。じゃーな」
「え、ウ、ウルさん!?」
バタンッ
あくびをしながら扉の向こうに消えてしまったウル。
どうしましょう。寝起きでしばしばする目をこすりながら、とりあえず棗はさきほどウルが届けてくれた朝食のトレーをテーブルの上に置いた。
棗が目覚めたのは今からちょうど2分前。
ぐっすり眠っていたところをウルにたたき起こされたのだ。頭上に疑問符を浮かべる棗を無視してウルは朝食のトレーを押し付け、そのまま口頭で先ほどの説明をした。そして部屋から出て行った。
「いやぁ、寝起き一発目に猫耳のイケメンさんを見たときはびっくりしましたけど。おかげでこれが夢じゃないって気づけました。ありがとうございます、ウルさん」
ウルはいないのでとりあえず歯磨き粉に描かれていた猫ちゃんにお礼を言った。
歯を磨きながら棗は窓の外を見る。
棗の部屋からは騎士たちの訓練の様子が見えた。運動部が練習をしている・・・ふむ、学校にいる気がしてきた。しかし走り込みや素振りを頑張る彼らの頭には、ひょこひょこと動くかわいらしい耳がついていて、お尻には右へ左へ揺れる尾があり、
「異世界ですねぇ~」
棗はうんうんうなずいた。
朝ごはんはどこの世界でも同じなようで、柔らかい黄色のコーンスープに、焼き立てのロールパン、サラダにりんごジュース。棗は幸せを噛みしめながら食べた。
「明日は魔王さんと一緒に朝ごはんを食べたいです」
眼を閉じれば浮かぶ、愛しい漆黒の竜。
あのつやつやな鱗に頬ずりをしたい。知的な青い瞳に私を映してもらいたい。「棗」とやさしく名前を呼んでほしい。笑いかけてほしい。
「えへ、えへへへへ」
妄想にふける棗の口はだらしなくゆるむ。口からよだれが出る。
棗は朝から煩悩にまみれている。
「よし!朝食を食べ終えたところですし、魔王さんに会いに行きましょう!」
母は棗に教えていた。好きな男ができたらとにかくアピールしろ。一分一秒、無駄にするな。片時も離れず愛を囁き続けろ!そして脅せ!と。
棗は柔軟体操をし、筋トレをし、シャドーボクシングをする。ウォーミングアップも済んだ。
そうそう。心配することなかれ彼女はウルの言葉を覚えていた。
部屋に結界は張るけど、外に出たら自己責任。けがをするなと彼は棗に言った。
「ご安心ください、ウルさん!私、けがしません!」
余談だが棗が魔王に会いに行くことを見越して、魔王とレキはウルに棗の護衛兼監視役を任せた…のだが配役ミスだった。2人は疲れていたのだ。仕方がない。
ともかく、こうして棗は部屋を出た。
最初に向かうのはキッチンだ!朝食のトレーを返却するのだ。
しかしご機嫌でスキップをしていた歩調は、次第に弱まり、とうとう止まってしまった。
「…キッチンってどこにあるのでしょうか」
辺りを見まわすが、右も左も綺麗な装飾の施された扉ばかりで、前後は赤い絨毯が美しい長い廊下が続いているのみ。そういえば棗はここが何階なのかもわからない。
これは誰かに道を聞くしかなさそうだ。
そこで棗は気づく。そういえば魔王の居場所もわからないではないか!一緒に聞こう!
「あ!すみませ~ん!少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「え。せ、聖女、様…?」
しばらく歩いて棗が前方に見つけたのは、かわいらしいメイド3人だ。
クラシカルなロングのメイド服に身を包んだ彼女たちが手に持っていたのは食後の食器だった。今から食器を下げにいくに違いない。
3人の元に向かって走れば、彼女達も棗の元へと歩いてきた。親切な人の予感に棗の気が緩む。
距離はすぐに縮まるが、棗は走りながらメイド達に話しかけた。
「私、キッチンの場所を…わぁ!?」
足首に何かが当たった。これはまずいと思ったときには視界がガクンと傾いて、棗の目の前には絨毯の赤が迫っていた。
キッチンに向かうのもそうだが、なにより魔王に会いたかったから気が急っていたのだろう。足下への注意が足りず、なにかにつまずいてしまったのだ。
棗は食器を放り投げて手を地面につき転回し転倒を回避…しようとしたが、寸前で止まった。
投げ捨てようとした食器を慌てて抱きしめる。この食器はだめだ。だってお城のものだ。魔王さんはこのお城の主。愛する人の所持品を壊すわけにはいかない!
「あたた…」
結果、棗は顔面から転んだ。まず額と鼻を擦り、その後に膝を打ち付けた。絨毯がやわらかかったおかげで血は出なかった。膝や額には青あざができてしまったかもしれないけど。
だが陶器の食器たちは守り切ることができたので棗は満足だ。
しかしそこで思い出す。そういえばウルに怪我をするなと言われていなかっただろうか…。
あわばば、ウルさんに怒られてしまいます。喜びから一転して棗が青ざめていると、頭上で焦っているような声が聞こえた。
「ご、ごめんなさい!私足が長いことを忘れていてっ!聖女様がつまずいてしまったのは私のせいですわぁ」
顔をあげれば、猫耳メイドさんがいまにも泣きそうな顔をして棗を見下ろしていた。棗がつまずいたのは彼女の足だったようだ。
猫耳メイドの黒くて長い尻尾は不安そうに左右に揺れている。安心させてあげたくて棗は彼女に笑いかけた。
「大丈夫ですよ!私頑丈なので!気にしないでください!」
ほら、元気ですよ~!と立ち上がり万歳をするが、猫耳メイドの顔は浮かないままだ。
「ごめんなさい。私の足が長かったばかりに」
「ちょっとやめなさいよ!聖女様は私たちと違って足が短いんだから、嫌味になるわよ!あっ。ごめんなさい、私聖女様に失礼なことをっ」
今度はカラスのように黒い羽を生やしたメイドが棗に謝罪した。猫耳メイドさんと同じように彼女も泣きそうな顔をしていて棗は慌てた。
「大丈夫ですよ!私よく友達に、棗は短足だけど足速くてうらやましいって言われてたんです!だから気にしないでください!」
「え、あ…そ、そうなんですか」
カラスメイドは笑顔で頷いたがその顔はどこか引きつって見えた。
猫耳メイドと同じように落ち込んでいるのかもしれない。ほんとうに気にしなくていいのに。棗の眉が困ったように下がる。
こういうときは話を変えるのが有効な手段だ!
「私、食器を下げたくてキッチンを探していたんです」
「ああ、食器なら…きゃぁ!すみません!」
棗の言葉に反応したのはうさぎ耳のメイドさんだ。しかし彼女は説明の途中で足を滑らせてしまったらしく、持っていたスープを棗にかけてしまった。
棗は頭からつま先までベージュ色をかぶる。が、にっこり笑顔で泣きそうなうさぎメイドさんに笑いかけた。
「大丈夫ですよ!私コーンスープ大好きです!頭からかぶるのいいですね!歩くたびにいい匂いがして幸せです!」
「…へ、へー。それは、よかったです」
少しべたつくけれど、唇を舐めれば甘くておいしいので全然アリだ。
棗のこれは演技ではなく本気で言っている。それがわかったのだろう。メイド3人は本能で後退してしまった。そんな彼女達に棗は頭を下げる。
「お仕事が忙しい中、邪魔をしてしまってごめんなさい!でも朝食を作ってくださった方にお礼を言いたいので、案内してもらえないでしょうか?」
「「「わかりました、ご案内しますわ~」」」
頭を下げていたから棗は気づかなかった。
3人のメイドが棗を見てニヤリと笑ったことに。
「わぁ!うれしいです!ありがとうございます!」
///////☆
「薄暗いですね~。この奥にキッチンがあるんですもんね」
「そうですよぉ~」
親切なメイド3人に案内してもらった棗は感謝を述べて薄暗い部屋の中に入って行った。この部屋の奥にキッチンがあり、そのさらに奥に料理人がいるそうなのだ。
夜行性の動物…きっと梟さんが料理人さんなのでしょうね!棗は部屋の奥へと足を進める。
そんな棗を笑うのはメイド3人だ。
魔王様が聖女を攫ってきたと噂に聞いたときは恐怖を抱いたが、なんてことはない。聖女は馬鹿だ。
「どうして魔王様は魔族の敵を生かしておくのかしら?すぐに殺せばいいのに。聖女に同情したの?」
「人間との交渉の道具にするんでしょう。同族にだって容赦のない冷酷な魔王様よ。同情なんかするわけないじゃない」
「まあようするに、命さえ奪わなければなにをしたっていいってことでしょ?うふふ。聖女の泣きわめく声を早く聞きたいわぁ」
長い尻尾を、黒い羽を、ぴょこぴょこ跳ねる耳を、楽しそうに揺らしながら3人は棗がいる部屋の扉を閉め、鍵をかけた。
ガチャッ
一気に暗くなった室内と、鍵の閉まる音は棗にも聞こえた。
棗は暗闇があまり得意ではない。少し慌ててしまう。
「あ、あの!鍵閉まっちゃったみたいですね!私暗いところがちょっと苦手で、開きそうですか?」
それを聞いて3人は喜ぶ。
どれだけ嫌がらせをしても全く効果がなかっただけに、かなりうれしかった。
「ご、ごめんなさい聖女様!鍵が壊れちゃったみたいで、開かないんですっ!」
「あ!どうしましょう!私たち案内するお部屋を間違えてしまいました!この部屋の奥には凶暴な魔獣が封印されていて…」
「急いで誰か呼んできますね!」
慌てた様子を装ってメイド3人は言うが、その顔はとても楽しそうだ。
もちろん助けなど呼びに行くわけがない。2時間くらい閉じ込めておくつもりだった。
「え、大丈夫ですよ!」
そんな棗の声は無視して、彼女たちはその場でトタトタ足踏みをする。これで聖女は自分たちが助けを呼ぶためにこの場を去ったと思うに違いない。
暗闇と魔獣に怯えて早く泣いてしまえ、メイド3人はくすくす笑いながら扉に耳を押し当てる。
「ほんとうに大丈夫なんですけどね~」
ドゴォンッ
扉に耳を押し当てたのがいけなかった。
なんの前触れもなく扉を突き破ってきた小さな拳はうさぎメイドの顔面にめり込んだ。うさぎメイドは「ぎゃ…」と短く叫んでその場に倒れた。ちなみにこの扉は木製ではなく鉄製だ。
残ったメイド2人。青ざめる間もなく、今度は猫耳メイドが殺られた。
「わぁ!ワンちゃん!ごめんなさい、今は遊んであげられないんです。あと私毛のある動物より、蛇さんとかぁトカゲさんとかぁ、鱗のある子が好きなんですよね」
キャインッ
声こそかわいいが、棗に投げ飛ばされ扉をぶちやぶってきたのは3つの頭を持つケルベロスだ。カラスメイドは咄嗟によけたが、扉をぶちぬいて飛んできた魔獣ケルベロスは猫耳メイドにクリーンヒット。
彼女はケルベロスと鉄の扉の下敷きになって、ぷるぷる震えている。
「あれ?カラスメイドさん。もしかして戻ってきてくれたんですか?ごめんなさい、私一人で出ることができました。あと扉壊しちゃってすみません。やっぱり怒られますかね?」
カラスメイドがサァーと青ざめたとき、背後で聞こえたのは聖女の声だった。
振り返れば聖女はケロッとした様子で笑っていた。
純粋な恐怖を覚えた瞬間だった。
しかしこのカラスメイド、逃げなかった。
「あんた、いったいなんなのよ!?」
彼女はプライドが高く、そしてなにより仲間想いだった。
棗はメイドの問いに首をかしげていたが、納得したのかうなずいた。
「…あぁ!名前ですね、棗と申します」
「ちがうわよ!?」
カラスメイドは泣いた。
「もぅいいわ!ぶん殴ってやる!」
「え、なんでですか!?」
「わからないの!?あんたが嫌いだからよ!いっぱい嫌がらせしたのにどうして気づかないのよ!この馬鹿女!」
「え、えぇぇー!嫌がらせって私に、なにをしたんですか!?」
「足引っ掻けて、貶して、スープかけて、閉じ込めたでしょ!?なんでわからないの!?」
「え、えぇぇー!あれ嫌がらせだったんですか!?」
棗はそうかそうかとうなずいた。あれらがこちらの世界での嫌がらせなんですね。
棗の知っている嫌がらせとはあまりにもかけ離れていたため、気づかなかったのだ。
「つまりメイドさんたちは私に喧嘩を売っていたということですね?」
「そうよ!」
「わかりました」
棗はしょんぼりと肩を下げたあとで、フンッと力んだ。
瞬間、棗の足元に大きなクレーターができた。見間違えではない。棗の足元の床がめこりと円状に沈んだのだ。
「……?」
カラスメイド、宇宙烏と化す。
「安心してください!私、知ってます!喧嘩は買うのが礼儀ですもんね!」
どこに安心する要素があるのか。そう問いかける前に、体が地面に沈んでいた。右頬がおそろしく痛くてびりっびりするから、うん。きっとすごい勢いで殴られたんだろうなー。ぼんやりとそんなことを思って、カラスメイドの意識は途絶えた。
相手が悪かったとしか言いようがない。
「棗さん!部下からあなたがメイドたちに連れていかれるのを見たと、連絡…が……?」
慌てた様子でレキが棗の元に走ってきたのは、ちょうど棗がカラスメイドを地に沈めたときであった。
レキは混乱した。
まずケルベロスを閉じ込めている部屋の扉が壊されていて、その壊された扉となぜか目を回しているケルベロスの下に猫耳のメイドがいて。そのメイドの隣には顔面に拳の跡がついているうさぎメイドが倒れていて。棗の足元には頬を腫らしたカラスメイドがダウンしている。
ちなみに棗は頭からコーンスープをかぶっていて、膝には痛々しい青あざができていて、だけど昨日と変わらない笑顔。
「えーっと、だれが被害者ですか?」
棗にそう問いかけてしまったレキは悪くない。
ちなみにこの場合被害者は、『全員』である。