2.涙ながらに脅します
「え~ここ地球じゃないんですか?」
応接室にて驚きに口を開けているのは棗ではなく、魔王であった。
「き、貴様っ。気づいていなかったのか!?」
「そうだろうと思いましたよ。理解していたら、人間たちをコスプレヤクザなどという珍妙な名で呼ぶ訳ないですからね」
言いながら紅茶を注ぐのはレキだ。
棗は王城にある応接室にいた。返り血にまみれ気持ち悪かった体はお風呂に入ったおかげでさっぱりだ。
隣にレキ、左斜め前にウル、そして正面の床に座る魔王と向かい合う形で棗は席についていた。
ちなみに魔王は自身の体の大きさを自由に変えることができるようで、この部屋には体を少し小さくして入室していた。とはいえ上体を起こせば天井に頭が付いてしまうため、彼は床に伏せる形で棗たちと話す。ほんとうは隣に座ってほしかったけれど、地に伏す姿もかわいいので棗は幸せだ。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
レキがウインクと共にくれた紅茶は良い香りで棗の気持ちは和む。いや、和むなと棗をにらむのは魔王だ。
「なんだ?では貴様の元いた世界、地球とやらにも我らのような魔族がいるということか?」
「ああァ、たしかに。てめぇ、俺らを見ても全く驚いてなかったもんな」
魔王の発言に同意するようにウルがうなずくが、
「いえ、いませんよ」
「「「はあ?」」」
棗は首をかしげる。なぜ3人はそんなにも驚いているのだろうか。棗にはさっぱりわからない。
「ついでに言うと魔法もありません」
「「「はあ?」」」
地球には動物はいるが、ドラゴンや狼の耳の生えた人たちはいない。
この世界に住む者達は皆魔法がつかえるらしいが、もちろん地球に魔法なんてあるわけがない。
棗が不思議な力を使えるのは、この世界に聖女として召喚されたからなのだろうか。よくわからないけれど楽しいので、手から火を出したり消したりして遊ぶ。
「…意味わかんねェ」
「聖女にとってこの地は未知そのものじゃないですか」
「恐ろしくはなかったのか?」
3名から理解不能という視線を浴びる棗だが、なぜか彼女は得意げに胸を張った。
「魔王さんのおかげで恐怖は感じませんでした」
「ああ。我の姿が非現実的すぎて、恐怖を抱く間もなかったと?」
「いえ、愛の力です!」
「アハハ!」
「ギャハハ!」
「ちょ、レキさん、ウルさん!笑わないでください!」
腹を抱えて笑い出す2人に棗は怒る。
魔王はもう慣れたのか、大きな口で器用に紅茶を飲んでいた。ああ、もちろん慣れたくなどなかったさ。だが胃に穴を開けないためには慣れるしかなかったのさ。
「もうっ!お2人とも、ほんとうに怒りますよ!私はこの地で運命の人に出会えたから、意味分からない世界に連れて来られちゃって、コスプレヤクザさんたちに囲まれて、…お母さんとお父さんに会いたいけど、魔王さんがいるから好きな人ができたから、怖くなくって…うぅぅ。うわぁーん」
「「「えー…」」」
そうして前触れもなく突然泣き出した棗に23歳の男たちは固まる。だって女の子の涙には弱いんだもん。
硬直が先に解けたのはウルだ。彼は心底面倒くさいとばかりに顔を歪め、ティーカップの下にあったソーサーを棗に向かって投げた。彼は感情のままに生きる狼だった。
「びーびーびーびーうるっせぇーなァ。ガキじゃあるまいし泣くな!」
「「っウル!」」
青ざめたのは棗ではなく魔王とレキだ。棗は泣いていて迫るソーサーに気づいていない。
レキは棗に迫るソーサーを止めようと手を伸ばし、魔王は棗を庇おうと上体を起こす。
が、
「私未成年ですっ!子供ですッ!まだ17歳だもぉんぅぅううう」
「ぐはぁっ」
「「……。」」
棗がソーサーを真剣白刃取りの要領で受け止め反射でウルに投げ返したため、レキは手を降ろし魔王はまた伏せた。
ちなみに打ち返されたソーサーが顔面にクリーンヒットしたウルに関しては誰も心配しない。棗に至ってはウルが床で伸びていることにすら気づいていない。だって目の前が涙でぼやけて見えないんだもん。
「うぅう。ごめ、さい。泣いて。魔王さんたち、かんけっないの、に…」
涙を止めることができないから棗は謝ることしかできない。
自分がこの世界に召喚されたことに魔王たちは関与していない。自分が泣いても迷惑でしかない。見なくてもわかる。魔王は今棗が泣いているから困っている。困らせたくない。棗は涙を止めようと両の手で目を擦る。
「な、なぜ謝る。泣きたいのなら好きなだけ泣けばいい」
だというのに棗が一目惚れした黒竜はやさしい言葉をかけてくれる。だからさらに涙が出てしまう。
「ひどい、です。魔王さん。私、泣きた、ないのに。好きで、す。結婚して、くだ、さ。そしたら、泣き止、ます」
魔王は深くうなずいた。
「わかった。何十時間でも泣くといい」
「うわぁあああん。魔王さ、ん。か、っこいー。好きぃいいい」
「いやこいつバカだろ。結婚したら泣き止むって言ってんのに、魔王は泣けっつったんだぞ」
「遠回しに断りましたよね」
床にのびたままウルがあきれ、レキがそれに同意する。
「…貴様らあとで覚えていろ」
「びぃどぉい゛い゛ぃぃ。世界亡ぼ、ずぅううう!」
ドゴォンッ ドガシャンッ
泣き叫ぶ棗から光の球が飛び出して天井を突き抜いた。城勤めの誰かの叫び声が聞こえた。ついでに爆発音も。
「レキ、ウル!さっき話しただろう!我は、脅されているんだ!棗は本気だ!死にたくなければ棗を刺激するような話をするなッ!?」
「いやお前が聖女と結婚するっていう選択肢はねぇのかよォ」
「そうですよ。そうすればすべて丸く収りますよ」
「え?魔王さん、私とげっごん、じて、ぐれるん…」
「しない」
「うぉぉおおおおんん!」
棗は泣いた。さらに泣いた。乙女だもん。連続でフラれて心が折れないわけがない。棗は立ち上がり愛しの黒竜に突進した。ひどい、ひどいと棗は魔王の背中に頬ずりしながら泣いた。好きな人の鱗は冷たくて気持ちよかった。棗はわりと強かな女であった。
ちなみにウルは帰った。飽きたから。
レキも帰ろうとした。だけど魔王に捕まった。
「…はぁ。もういい。我の鱗に塩水を擦り込ませる無礼には目を瞑ってやる。ついでに貴様の愚痴も聞いてやるから、泣いているうちに吐き出せ」
魔王はもういろいろ諦めた。
「うぁあああん!あぎらめ、ない。げど、今日は、ここまでに、じどいて、やりまずぅ!」
「ああ、それは助かる」
「ずぎぃ!魔王さん、やざじずぎて、ざらに惚れ、るぅううう!」
「そうか、そうか」
「王ざま、2回もなぐっで、ごめ、なざぁああい!」
「…え、王様って…アハハ!」
「あれの頬が腫れていたのは、貴様の仕業だったか。ハハハッ」
「剣、ごわが、っだぁああ!」
「…怖かったな」
「魔王、ざんが、だずげて、ぐれながっだら、わだじ、死んでだぁぁああ!」
「死にはしないでしょうけど、女性を怯えさせるなんて彼らはほんとうにクズですね」
「だずげて、ぐれで、ありが、ございまずぅぅううう」
「……あぁ」
「見た目もダイプなん、でずぅぅうう。一目、惚れでずげど、本気で、ずぅうう!結婚ぢでぐだ、ざぁい!」
「……。」
「うぁあああん!魔王、ざん、無視ずるぅぅうう!でも、好ぎでずぅうう!」
「……。」
そうして棗が泣き疲れて寝たときには、明るかった空はもう夕日色に染まっていた。
「ずいぶんと叫んでいましたね」
レキが魔王の背に張り付いて眠る棗にタオルケットをかける。
おそらく5時間は泣き叫んでいたのではないだろうか。体力があるなとレキは感心した。
「最後までずっと魔王さん結婚して!って言ってましたね」
くすくす笑うレキを見て魔王は小さく口を開いた。
「……最後までずっと、ではない」
しかしその声はレキには聞こえなかったようだ。首をかしげて彼は魔王を見る。
「なにか言いました?」
「いいや、なにも」
「そうですか。それでは彼女を客室に連れて行きますね」
「…頼む」
レキは棗を魔王から引きはがし抱えると応接室を出た。
棗がいなくなったことで軽くなった体。伸びをしながらも魔王の視線は棗が出て行った扉から離れることができなかった。
「……。」
魔王だけは、自身の背にずっと張り付かれていた魔王だけは、棗が眠りに着く直前に口からこぼれた小さな音を拾っていた。
彼女は言った。
お父さん、お母さん。会いたい。さみしい。
「……。」
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ぐっすりと深い眠りにつく棗の部屋に現れたのは一人の青年だ。
肩にかかる程度の長さの漆黒の髪。サファイアのような青い瞳。その瞳孔は縦に割れていた。
同じ黒髪でも魔王と棗では色が違う。魔王の黒は闇の色だが、棗の髪は黒というよりかは焦げ茶色であたたかみがある。
嫌いではない、そう思った自分に気づいて魔王は自嘲の笑みを浮かべる。己は出会ってまだ1日も経っていないこの娘に、好きだなんだと囁かれ絆されたのか?くだらない。
「一目惚れなど、戯言を。我の本当の姿を見てもなお、貴様は我を好きだと言えるのか?」
無理だな。魔王は笑う。
悲し気な瞳に映るのはすやすやと寝息を立てる聖女だ。彼女の頬に残っていた涙の痕に気づいて、そっとそれを拭う。
頭をなで、やわらかいこげ茶の髪をすいて、棗が楽しい夢を見られるように魔法をかける。魔法は効いたらしい。眠る棗はにまにまと幸せそうに笑っていた。
「人間どもの戦争の道具として召喚された哀れな聖女…」
思い出すのは、帰りたいと泣いた棗の顔。
棗は魔王を倒すためにこの世界に召喚された。彼女が涙を流したのは自分のせいでもある。
「安心しろ。我が必ず貴様を元の世界に返してやる」
月の光もなにもないあたたかい闇だけが、2人をやさしくつつんでいた。
だが闇はあたたかいだけではない。
「では、聖女様のことは頼みましたよ」
「…。」
闇は水面下で動く陰謀も覆い隠す。
目深にフードをかぶった者が王城を出て行く。その姿は誰に気づかれることもなく人間界のある方角へと消えた。