プロローグ 求婚しましょう。そうしましょう。
これはやさしい黒竜と聖なる力を持つ少女の物語。
昔々、まだ人間と魔族が争っていた時代。魔王を討ち取るため、人間は聖女を召喚しました。
ステンドグラスでできた天井絵から七色の光が注がれる教会。
床に描かれた魔法陣を囲むのは、人間の国の王、王子、勇者、そして100人の魔法騎士だ。
魔法陣が青白い光を放ったとき、全員が叫んだ。
『いでよ、聖女!』
カッと眩しい光柱が魔法陣から出現し、教会は光に包まれた。あまりの眩しさに人々は目を瞑る。
光が消えたとき、魔法陣の上にいたのは黒髪の少女だった。セミロングの髪がふわりと風に舞い上げられ、少女は閉じていた瞳を開けた。
「ここは…ひぇっ!?」
自分を突き刺す大勢の視線に怯えたのだろう。少女はその瞳に涙を浮かべガタガタ震え始める。
そんな彼女を見て、否、彼女が伝承通りに紺色の衣…セーラー服を着ているのを見て、人間たちは雄叫びを上げた。
「召喚が成功した!」
「これで憎き魔王を倒すことができる!」
一方で少女――棗は顔を真っ青にして辺りを見回していた。
「こ、ここどこですかぁ!?」
棗は17歳の女子高生だ。今日は楽しみにしていた本の発売日だったため、ホームルーム終了と同時に教室を飛び出したのだが…その先にあったのは廊下ではなく教会だった。おまけに目の前にいるのは中世の服を着たコスプレ集団。一体全体なにがどうなっているのかさっぱりわからない。
放課後は家でゆっくりと本を読む予定だったのに、なぜこんなことに。混乱と不安で目の前がぼやけてくる。
そんな棗の元に、人間の国が王、リンファーデル・アズベリアが下卑た笑みを浮かべながら近づいてきた。
「よくきたな、聖女!命令だ!憎き魔族どもを亡ぼ…「きゃー!悪代官んんん!」ゴフォォッ!」
少女――棗の拳が王の顔面にめり込んだ。
ブゥオンッと風を切る音が聞こえた。王は空の旅を楽しんだのち、ぽてんぽてんと床を撥ねる水切り石体験をした。
「「「……。」」」
召喚成功から1分も満たないうちに急展開を迎えた現実から逃れるべく、王子は勇者は魔法騎士たちは思考を放棄した。
棗はすぐに自分の失態に気づいた。
老人の顔がドラマで見た人身売買に手を染める悪代官に似ていたから、売られると思ってつい拳を突き出してしまったが、よくよく考えれば悪代官が現代にいるわけない。つまり棗は無実の人間を攻撃してしまったのだ!
慌てて王様のコスプレをした老人を探して青ざめる。なんということだ…彼は30mも先でのびていた。そんなおじいちゃんの頬は、こぶとりじいさんのこぶのようにパンパンに腫れあがっているではないか。
「わ、わたわた、私!おじいちゃんになんてことを!大丈夫ですか!?」
「見て分かるじゃろ!?大丈夫じゃないわァッ!わしパパにも殴られたことないのに!」
強い口調ながらも涙混じる王の声を聞き、王子たちはやっと我に返った。
「お、王!大丈夫ですか!?」
「聖女、いったいなにをするのです!?」
「あなた様が力を振るうべきは王ではなく魔王です!」
「聖女!わしはこの国の王だぞ!わかっているのか!」
棗はコスプレ集団に詰め寄られてしまった。
「はわわわ」
自分の何倍もの背丈のある男性たちに囲まれた棗は恐怖に震える。
「ご、ごごごめんなさいっ」
これは当然ながら相手に非がないのに殴ってしまった棗が悪いので、コスプレ集団に合流していた老人に誠心誠意謝罪した。そんな棗に対して老人はつばを飛ばしながら怒鳴った。
「悪いと思っているなら態度で示せ!早く魔界へ行け!」
「ど、どこですかそこは!?」
私、マカイじゃなくて本屋さんに行きたいのですが…。ぽそりと呟いた声を老人は聞き取っていたらしく、眉を顰めてめてさらに怒鳴った。
「ふざけたことをぬかすな!ホンヤサン?など聞いたこともないわ!」
「え、えぇぇー?」
なにかがおかしい。棗の心臓がどくどくと嫌な音を立て始める。
気づいたら教会にいた時点でおかしいと思ってはいたが再認識した。目の前の人たちは本屋さん?と首をかしげていた。演技なのか、それともほんとうに知らないのか。どちらにしたってこの場に居続けるべきではない。逃げなければ。
棗は教会を出るべく走り出そうとした。が、できない。自身を取り囲むコスプレお兄さんたちが逃がさんとばかりに詰め寄ってくるのだ。少しでも隙間があればそこから出られるのだが、それすらないほどに密集してコスプレ集団が迫ってくる。進みたいのに後退することしかできない。棗は泣いた。
助けを求めて咄嗟に勇者のコスプレをした男性を見れば、彼はうっと顔をひきつらせた。
「えぇっと、悪いな。逃がしてやるわけにはいかないんだ」
「そんな…」
その言葉に棗は青ざめた。
脳裏に浮かんだのは昨日見たテレビ番組、アンバレーバボー。自分は今見知らぬ場所にいる。そして逃がさないと言われた。つまり…誘拐!?
棗は想像力が豊かなタイプの人間だった。
王子は勘がいい。棗が真っ青な顔で「まさか私がアンバレーバボーな体験をすることになるなんて、はわわ」と謎の言葉を呟いたのを聞き逃さなかった。
「聖女、落ち着いてください。おそらくあなたは勘違いをしています」
「聖女、お前の仕事は魔王を討ち取ることじゃ。帰りたければさっさとやつを殺せ!」
「…こ、殺せ!?」
「父上、余計なことを言わないでください」
王子の懸念通り、棗はさらに青ざめた。
私は、セイジョとやらになってしまっていて。マオウさんという方を殺さなければ、家に帰してもらえない。私は殺人の片棒を担がせられそうになっている。つまり、彼らはコスプレ好きのヤクザ!?
棗が昨夜見たドラマは極道モノだった。
「ひ…」
「ひ?」
「人殺しは、したくありませーんッ!」
「ポギャアッ!また、わし…殴られ、た」
「チッ。聖女を捕縛しろ」
「ひぃえええ」
棗の正拳突きが王の腹にきれいに決まったところで、王子たちは戦闘態勢に入った。取り囲まれた状態で剣を向けられ棗はさらに泣いた。
「これってあれですよね!?小指切り落とされるやつですよね!?痛いの嫌です!」
「そ、そんな物騒なことしませんよッ!」
「嘘ですぅ~~~~~~!!!」
棗が叫んだときだった。
ドゴォンッ
「ハッ。己らの都合で呼び寄せておいて、従わなければ力に訴える。同族に対してもその仕打ちとは。貴様らの性根はとことん腐っているな」
大きな爆発音と共に天から声が聞こえた。
テ、テロ!?カチコミ!?ハッ!この混乱に乗じて逃げてしまおう。棗は即決即断の自分を褒めながら地面を蹴った。が、その足は宙を蹴っただけだった。
「え…えぇ!?」
気づいたときにはすでに空中にいた。棗は空を飛んでいた。否、空を飛ぶナニカの前足に体を掴まれていた。棗が青ざめる一方で、地上では豆粒ほどの大きさになってしまったコスプレヤクザの方々が叫んでいた。
「聖女が魔王に攫われたー!」
「おのれ、魔王め!」
右から左へコスプレヤクザさんたちの叫ぶ声を聞き逃していた棗であったが…
マオウ…え、魔王ですか!?それは先ほど私が殺せと言われた方の名ではないですか!棗は驚愕した。
自分をコスプレヤクザから救い出してくれた親切なこの方は殺されそうになっている。このことを早く伝えなければッ!
「大変ですよ、彼らはあなたを殺す気です!私と一緒に警察に…っ!」
そして棗は固まった。
自分を掴み青い空を飛翔していたそれは、漆黒の竜だった。
ゴクリと生唾を飲み込む。
艶やかな黒い鱗に包まれた硬質な身体。長い首から背中にかけての美しい曲線。風を切る力強い翼。額からは黒曜石のように美しい2本の角が伸びており、青い瞳の中心にある瞳孔は縦に割れ…
視線を感じたのか、魔王はその瞳に阿呆のように口を開けて己を見る聖女を映した。
そして彼は聖女の体がガタガタ震えだしたことに気づく。
怯えているのだろう。人間どもは我を殺すべく異世界から聖女を召喚したが…ハズレを引いたな。魔王は口の端をあげた。
「我が恐ろしいか?」
「っ!」
聖女に問えば、彼女は焦った様子で俯いてしまった。
失敗したと思った。己の声は地を這うように低い。怖かったのだろう。聖女の震えはさらに強くなっていた。
魔王は聖女を捕らえていない方の手で自身の頬をかく。女性を怯えさせるのは本意ではない。しかし魔族の脅威と成り得る彼女を人間たちのもとに、否、彼女を道具として扱おうとしていた者たちに渡すわけにはいかなかった。
どうしたものかと頭を悩ませていると、
「…き、です」
聖女が震える声でなにかを言った。だがその声は小さすぎて聞き取れない。
「我に伝えたいことがあるのなら、もう少し大きな声で言ってくれないか」
「好きです!結婚してください!」
「ぐっ、うるさい。貴様、限度というものを……は?」
聞き間違えか?魔王は聖女を見て、固まった。
俯いていたはずの彼女は顔をあげてこちらを見ていた。そんな彼女の頬はなぜか桃色に染まっていて、小さな手は離さないとばかりに自分の前足を握りしめていて。茶色の瞳はキラキラと輝いて……
「好きです!大好きです!私と結婚してください!」
「……。」
トチ狂ったか?トチ狂ったな。魔王は自己完結した。
聖女は異世界から召喚されると文献には記されていた。召喚の際に気をやってしまったか、混乱して一時的に頭がおかしくなった、どちらかだろう。竜である己に人間が恋慕の情を抱くなど有り得ない。魔王は聖女を無視して飛翔を続けた。
が、
「あの、お返事ください!」
聖女がピーチクパーチクうるさくて飛翔に集中できない。
無視したいところだが視界に入ってしまうし、どんどん聖女の声が震えて、鼻水をすする音まで聞こえてくるから…ようするに魔王は根負けした。
「魔族たちの王である我のことを好きだと、貴様は本気で言っているのか?」
魔王はわざと聖女に殺気を向けた。彼に殺気を向けられれば人間は逃げることもできずに失神する。同じ魔族であっても恐怖のあまり硬直する。
聖女の戯言を黙らせるにはこれが一番効果的だと魔王は考えた。のだが、
「は、はわっ!」
「……。」
魔王にじっとにらまれた(見つめられた)棗は、ぽっと頬を桃色に染め両手で顔を覆う。
違う。そういうつもりで見たわけじゃない。
「あ、当たり前じゃないですか!本気で好きです!ひ、ひひひ一目惚れだったんです!」
きゃあ~。言っちゃった~。棗は照れた様子で笑う。その顔はとても幸せそうだった。
一方で魔王の顔はひきつっていた。
「悪いが、貴様…」
「棗です!」
「な、棗の気持ちには応えられん!」
「…そんな」
聖女に影響を受けたのか魔王の頬もわずかだが桃色に染まる。だがそれはそれ、これはこれ。彼はきちんと断った。
人生初の告白をして、フラれた。棗はしょんぼり肩を落としながら、自分を掴む魔王の前足を握り締めた。
「では言い方を変えます」
「言い方の問題ではないのだが」
棗は諦めない女の子だった。
「私と結婚してくれなきゃ、世界を亡ぼしちゃいますよ!」
「…は?熱ッ!?」
棗がかわいらしく顔を真っ赤に染めながら魔王を脅した時。魔王の前足から黒い煙が出た。よく見れば、魔王の手を握る棗の手は青白い光を放っている。その光の正体は高温の炎だった。
「……え?」
魔王は頭の処理が追い付かない。告白された。振った。脅された。現在進行形で前足燃やされてる。はい?
棗を見れば、彼女はえへへと照れたように頬をかいた。いや照れるな。その反応はおかしい。
「母の教えなんです。私、一目惚れの血筋でして。惚れた男は脅してでも手に入れろって家訓があるんですよね。それで私も断られたからには魔王さんを脅すしかないな~と」
「……。」
笑顔で言い放つ聖女。魔王は思考を放棄した。
とりあえず魔界に帰ってからこの聖女の処遇を決めよう。
「ちなみに諦めるという選択肢は…」
「ありませんっ!なので私と結婚してください!」
「……。」
こうして一目惚れした聖女と一目惚れされた魔王の脅し脅される生活が幕を開けた。
ちなみに棗がずっと楽しみにしていた今日発売の本の名は『特選爬虫類図鑑』である。