第八話 ダージャオ族の少年②
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テルネシア大陸の内陸部。大陸東部の亜州と、大陸西部の欧州の境に位置するステップ草原の広がる地域には古くから遊牧民族が暮らしていた。家畜を養い、機を織り、狩りをしながら時折訪れる行商人に小麦を分けてもらい、星を眺めて家族と暖を取りながら眠る。牧歌的な暮らしは決して豊かとはいえず、近代化の進む国際情勢の中に取り残された閉塞的な社会であったが、彼らは彼らの平穏な生活を送っていた。
星輝の生まれ故郷はダージャオという内陸地域で、彼の部族もまたその名で呼ばれていた。父と母、祖父母、兄夫妻と従妹、そして姉。末っ子の星輝は年の離れた姉に甘えながら、一家の跡取りとしてすくすくと育っていた。
けれどもその平穏はある日突然壊された。
事の発端は亜州の大国、西華で革命が起こった事。革命ののち西華は帝政から共和政に移行したものの、立ち上がった新政権は安定せず各地で紛争を起こし、やがて軍閥と呼ばれる勢力が割拠し始めた。列強の支援を受け肥大していく軍閥は互いに勢力を争い、やがて国内の安定と民族統一を名目とした、辺境地の異民族粛清を断行するものも現れた。この時真っ先に目をつけられたのが、北部のロカニコフ帝国――のちのアウレア・イッラとなる国だ――にも服属の体勢を取っていたダージャオの一族だった。
星輝の村も標的にされ一夜にして滅ぼされた。村を襲ったのはトライベインの支援を受けていた郭軍閥の軍隊。集落に火を放たれ、逃げ惑う者たちは背中を撃たれた。大人しく捕まった者もその後どうなったか、想像するのも悍ましい地獄が待っていたに違いない。
幼かった星輝は何も出来ぬまま父や母、兄や姉に守られた。最初に祖父と父が物置にしまってあった猟銃を手に飛び出して行って、それから村の中心で怒号と銃声がして騒がしくなった。母の判断は迅速で、祖母と兄夫婦に姉と星輝を連れて逃げるように命じた。
「大丈夫、大丈夫よ。星輝」
母は最後に星輝の頬を愛おし気に撫で、その手首に母はスカーフを巻いてくれた。母が刺繍した美しい文様のスカーフを見つめて、何故母は一緒に来てくれないのかと疑問符を浮かべた。
それから姉に引きずられて家を出た。その時たぶん星輝は泣きわめいていた。星輝の側に祖母と兄とその奥さん、それから年の近い従妹がいた気はするが、村を抜け出した頃には近くには姉の姿しか見当たらなかった。
「大丈夫よ、シン。私がついてる」
姉は何度も星輝の頬を撫でてくれた。それは母が最後に星輝にしてくれた仕草と一緒で、姉自身が恐怖を紛らわせるためにしていたのだろうか、状況の理解できぬまま星輝は姉に手を引かれてひたすら歩いた。いくつもの町や村を経由して、身分を隠し追っ手を躱しながらひたすら歩いた。
だが、ある村で郭軍が星輝たちを見つけた。一人の兵士がダージャオ族を匿っているかと宿主に迫り、宿主は脅迫に屈し、宿に潜伏していた星輝たちの存在を告発した。
「あんたはここに隠れていなさい」
宿の裏手のゴミ捨て場に星輝を押し込むと、姉は愛おしそうに星輝の頭を撫でた。
「大丈夫、大丈夫よ。星輝」
それは最後に見た母と同じ表情と仕草。姉はもう戻ってこない事はわかっていた。
――置いていかないで。
星輝は必死に叫ぼうとした。でも、怖くて声が出なかった。遠ざかる姉の背中に縋ろうとしてもそれは出来なかった。やがて宿の表で複数人の男の怒号と、――姉の悲鳴が聞こえ遠ざかっていった。宿の主は、星輝は目を離した隙に裏口から逃げてしまったと兵に告げ誤魔化してくれた。姉を救えなかった、そのせめてもの償いだったのかもしれない。
星輝は動けなかった。恐ろしかった。あの怖い黒づくめの連中に連れて行かれる事が何より怖くて。
姉を助けなければいけないのに、星輝は自分の身が危険に晒される事が怖くて。
――姉を見殺しにした。
それからしばらく星輝はごみ溜めの中から動けなかった。悪臭や蛆が身体に纏わりついても星輝はじっと膝を抱えて座っていた。だれも星輝を見つけに来ない。自分はこのままごみとして処分されるんだろうか、と朧げに思った。
それでいいのかもしれない。自分は大好きな姉を見捨てた。姉だけでなく、父も母も祖父母も、兄も、叔母も従妹も。
生きる価値なんてない。そう思った、矢先の事。
突然腕を掴まれて星輝は暗いごみ溜めから引き上げられた。悲鳴を上げる事すら出来ず星輝は首根っこを引っ掴まれて宙に吊るされる。
「おいおい、随分でけぇ粗大ゴミだな」
最初は自分を捕まえに来た兵だと思って恐怖に身体が強張った。でも、目に飛び込んできたのはさっき姉を連れて行ったあの恐ろしい連中とは到底思えない雰囲気を纏っていて、
「へぇ、こいつは儲けもんだ」
無機質な兵とは違う、残忍で狡猾な笑みに別の意味でゾッとした。