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第八話 ダージャオ族の少年①

 ◆

 目を開けると薄暗がりに沈む部屋が見えた。黎はまどろみから覚め、ゆっくりと体を起こす。黎がいたのは意識を失う前と同じ狭い六畳の部屋。その隅にひかれた、畳の床の固さが伝わるくらい薄い布団の上で身体を横にして眠っていた。


(私、いつの間に眠ってしまったんだろう)


 シンと口論したところまでは覚えている。でもその後緊張の糸が切れたみたいに意識を失って、それからの事を覚えていない。


「起きたか」


 暗闇から声がした。目をらすと部屋の隅でシンが壁に寄りかかって座っていた。

 シンは立ち上がるとこちらに近付いてくる。反射的に身体を強張こわばらせると、屈みこんだシンが黎の額に手を当てた。


「まだ熱いな」

「……?」

「熱あるんだよ、お前。気づいてなかったのか?」


 そう言われてようやく身体のけだるさや頭がふわふわとしている事に気が付いた。喉も少し痛い。体調を崩していたのに全然気づかなかったなんて。


「色々あって疲れたんだろ」


 シンが離れていくと、途端に周囲の空気が冷えて身体に悪寒おかんが走った。薄い布団を肩まで被り横になる。と、


「――儀式!」


 黎は思わず飛び起きた。外を見るともうとっくに日は暮れていて真っ暗だ。儀式は正午からだったはず、それから何時間経ったのかわからない。


「婚礼の儀ならもうとっくに終わってるよ」


 冷静なシンの言葉に黎は熱っぽかった頭から一気に血の気が引くのを感じた。

 儀式をすっぽかした。しかも黎にとって大切な、小夜と煌の婚礼の儀だったのに――。

 黎は暗闇の中で取り乱す。頭がパニックになってどうすればいいのか、何も考えられなくなる。そんな黎にシンは冷静に呼びかけてくれた。


「……とりあえず着替えろ。その恰好窮屈きゅうくつだろ」


 黎はよく見れば礼服を着たままだった。差し出されたのは男物のワイシャツとスラックス。黎にとっては随分大きい。


「あと、すまん。これ――」


 申し訳なさそうに差し出されたのは紐の切れた黎のペンダントだった。暗闇で独特の光沢を放つ宵暁珀しょうぎょうはくが黎の顔を映す。

 何も言わずに受け取ると黎のてのひらでずしりと重みを増した。こんなに重いものを今まで肌身離さず身に付けていたのかと思うと、何だか自分が少し憐れに感じる。


「少し部屋を出ておくから」


 シンはそう言って部屋を出ていく。黎は渡された着替えとペンダントを胸に抱きしめた。




 三十分ほどしてシンが部屋に戻ってきた。彼は小鍋を乗せた小さな盆を手に黎の枕元に座る。


「これは……?」

かゆ。なんも入ってないけど」

「シンさんが作ってくれたんですか?」

「ああ」


 黎は目を丸くした。シンが料理をしているところなんて想像できなくて、でも、ここに下宿しているなら料理も出来ないとダメなんだろうとすぐに納得する。


「頂いてもいいんですか?」

「どうぞ。――皇女様の口に合うとは思えないけど」


 シンは皮肉気に笑った。その笑顔が逆に黎を安心させる。さじで真っ白な粥を一掬ひとすくい、口に運ぶと素朴な出汁だしの味が口の中に広がった。


「――美味しいです」


 黎が素直な感想を述べるとシンは意外そうに眼を見開いて、


「ほんとかよ。いつも料理人が作ってるんじゃねぇの?」

「まぁ……、屋敷のお抱えの料理人はいますけど」


 確かに普段屋敷で食べる料理とは少し違う。でも、このお粥も彼らが作るものに遜色そんしょくなく美味しい。むしろこんなにぽかぽかと身体が温まる料理は初めて食べる気がする。

 黎の感想にシンは複雑そうに渋面を浮かべた。


「……変な奴」


 ぽそりと呟かれた言葉は聞かなかったことにして、黎は静かにお粥を口に運んだ。




 夕食を食べ終わってしばらく黎は布団に横になりながら部屋の様子を眺めていた。まだ少し熱っぽい。部屋の隅でゆらゆら揺れるランプの明かりですぐにでもまどろんでしまいそうだった。

 少しすると階下から賑やかな声が聞こえてくる。がやがやとかしましいその声は、いつものメンバーが戻ってきたのだと教えてくれる。


「あいつら、呑みにでも行ってたのか」


 シンが呆れながらため息をつく。彼は部屋唯一の窓の縁に座り込んで外の様子を眺めている。月明りに彼の横顔が照らされて、やわい影を落としていた。薄明りに照らされて淡く光るのは瑠璃色の瞳。改めて見るとやはり不思議な色をしている。こんな瞳の色をしている人を黎は生まれて初めて見た。


「今日はいい天気だったな」


 その瞳に見惚みとれていると、瞳の主は静かに呟く。話題の無くなった時の場繋ぎみたいな台詞なのに、黎の心にぐさりと突き刺さる。


 昼も夜も、雲の無い快晴。それはこの国の未来を担う二人の門出にふさわしい日。

 華やかな小夜と煌の門出なのに、どうして黎はここにいるのだろう。

 今頃宮廷では大騒ぎになっているかもしれない。皇居内で新堂が何者かに襲われて、皇女が行方をくらました。下手をすれば警察沙汰になって大事になっているかも。

 早く戻らなければ、そう頭ではわかっているはずなのに。


「……どうして、お前を連れ出したかって聞いたよな?」


 不意にシンがこちらを向いた。昼間に口論した事の続きだと、黎はなんとなく察して身体を起こした。


「お前は同情かって言ったけど、……正直本当に分からないんだ」


 シンは本当に困った顔をしていた。自分の行動を自分でも理解できていない、そんな顔だ。


「でも、……あの時どうしてもお前を置いていけなかった。ダメだとわかっていても、お前をあの場から連れ出した」

「理由はない、という事ですか?」

「……」


 シンはますます眉間にしわを寄せた。けれども、しばらくして、


「――昔の俺に似ていたからかもしれない」


 予想していない答えをシンはくれた。


「昔の、シンさん?」


 黎が首を傾げると、それからシンはどこか決意を秘めたようにこちらを見つめた。その視線に黎の心臓がどくりと早鐘を打ち始める。


「俺の事を知りたいか?」


 まっすぐ向かってくる瑠璃色の瞳に身体が熱くなる。まだ熱が下がっていないのだろう。でも、これはきっと、熱だけのせいじゃない。


「――知りたいです」


 かすれた小さな声でも、その願いははっきりと聞き届けられる。初めて会った時からシンはいつだって、黎の言葉を逃さず拾ってくれるから。


「大して面白くもない話だぞ」


 知らなくていいと突き放したあの時とは違う、重々しい口調でシンは呟いた。そして、


「俺の本当の名前は――星輝(シンシャオ)


 黎が望んでいた彼の物語は見知らぬ名前から始まった。


(ハン) 星輝。俺は故郷も家族も失くした、何も持たない、ただの異邦人だ」

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