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 挿絵画家ミカゲ・タクヤが御影卓也だった頃。



 御影卓也がマリア・ヘンダーソンに気付いたのは、高校二年生の秋だった。それまで彼女はかなり目立つ外見をしてはいたものの、卓也にとってはその他のクラスメイトと一括りにして片付けられる存在に過ぎなかった。


 そもそも当時の卓也には、クラスメイトどころかこの世の殆どの人間に対して心を動かす余裕など無かった。理由は、彼の類まれな絵の才能のせいだ。

 幼い頃から卓也の絵は、その技術も表現力も、他の子供達から抜きんでていた。コンクールに作品を出品すれば必ず最優秀の賞を獲得、複数の作品を出そうものなら年上の子供達を皆圧倒して賞を独占する。

 そんな彼の才能に、卓也の両親はすっかり夢中になってしまったのだ。


 それだけなら、まだ問題は無かっただろう。だがなまじ裕福だった両親が、著名な人だからと金に糸目を付けずに頼んだ絵の講師が、酷かったのだ。


 講師は言わば技術至上主義だった。更にまずい事には、彼も卓也の才能にすっかり惚れ込んでしまった。講師は自分の全てを賭けて卓也を巨匠に育てると宣言、卓也に高度な絵の技術を習得させる為、卓也の生活を絵の勉強で埋め尽くしたのだ。

 子供には過酷なスケジュールだったが、講師はそれが卓也の為だと強行した。両親が絵については殆ど門外漢だったこともあり、その行き過ぎた教育方針に疑問を投げかけたりブレーキを掛ける大人は誰もいなかった。


 朝から晩まで絵の技術の向上に努める毎日。その結果、卓也は本来なら絵を描くのに最も重要な、この世界に感動する余裕を失ってしまったのだ。

 この時の卓也にとって、世界は全て絵の素材に過ぎなかった。クラスメイトも、的確に描く対象以外のものでは無い。


 何しろ授業が終わればとんぼ返りで家に戻って絵の勉強。学校は、卓也の講師が教授を務めている美術大学に入学するのに必要な、高卒という資格を得る為だけの場だった。特別に思う程誰かと交流する機会など、欠片も無かった。


 この日までは。


 その日は、いつもの帰り道が工事中で通行止めになっていた。それで卓也は普段は通らぬ小道を曲がったのだ。

 そうしたら、マリアがちょうど男に顔を引っぱたかれたところに出くわした。


 マリアはその目立つ容姿と、卓也と同様に授業が終わると誰とも付き合わずにすぐ帰ってしまうことから、クラスメイトの間ではかなり()()()()()のだろうと専らの噂だった。その噂はクラスメイトと殆ど交流しない卓也の耳にすら入る程広まっていた。


 だからこの光景を見た時に、すぐ卓也は痴話喧嘩なのだろうと思った。

 男はマリアと同様に欧米系の顔立ちで、マリアの父親程の年恰好だったが、遊んでいる女の子なら、そんな年上の男と付き合うこともあるだろう。


 マリアの年齢を考えると法に抵触するだろうし、今見た所ではどうやらDVの気配もするが、卓也は関わり合いにはなりたくなかった。それぐらい、当時の卓也は正義感も含めた感情が麻痺していた。

 だからすぐに元来た道を戻ろうとしたのだが。


 卓也の背後で、男がこう怒鳴るのが聞こえたのだ。


「いいか、法律はどうだか知らんが、俺はお前の父親なんだ! 娘が父親と暮らすのは当然だろうが! あのクソ弁護士が何と言おうが、あんな老いぼれにお前の面倒が見れる筈が無いだろう! いいか、俺はお前の為を思って言ってるんだ。今すぐ一緒に家に帰るぞ」


 タクヤは立ち止まった。男の、どうやらマリアの父親の言ったある言葉が、麻痺していた卓也の心を捉えたからだ。


〝お前の為を思っているんだ〟


 それは、こんな暴力的な言い方では無いが、卓也が常に周りの大人から嫌というほど浴びせられてきた言葉だった。


「これはあなたの為なの。今のあなたには辛いでしょうけど、大人になれば分かるわ」

「我慢しろ。これはお前の為になる事なんだ」

「御影君、これは将来君の為になる事なんですよ」


 卓也は思ったのだ。マリア(こいつ)も、自分と同じ目に遭っているのだと。


 今の自分に何かが出来るなどとは思わない。だが自分と同じ境遇にいる者を、無視して立ち去ることだけは出来なかった。だって、卓也も本当は嫌でたまらなかったのだ。今自分が置かれている状況が。


 だから、せめてこの場にいようと思った。全てを見届けたら、後で彼女に何か言ってやれそうな気がしたから。


 卓也が再び二人の方を向こうとした時、卓也の耳にマリアの声が飛び込んだ。


「何度言われても、あたしはそちらに行くつもりはありません」


 卓也はすぐに振り返る。

 マリアは、全く臆していなかった。その背は真っ直ぐ伸び、目は毅然と父親を見据えている。


「前にも言った通り、あたしにとって、今の保護者はお祖母ちゃんです。藤田さんも、法律でそう決まったと仰っていました。お祖母ちゃんが具合が悪くなった時は、藤田さんがあたしの後見をしてくれる予定です。だからいい加減、あたしの事は諦めて下さい」


 実に毅然とした、揺るぎない口調だった。事実父親は言葉を失っている。

 卓也は、胸に清々しい風が吹き抜けるのを感じた。


 自分は今自分が置かれた状況を理不尽だとどこかで感じていても、どうしても両親や講師に言えずに従っている。

 だが、自分と同い年のこの少女は全く怯まず、父の理不尽な要求をキッパリ撥ねつけた。

 その姿を見た時、卓也はマリアに惹かれたのだ。本当は自分も望んでいる事を、見事にやってのけている姿に感動して。


明日は16時前後更新の予定です。

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