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「君も来ていたんだね、カトリーヌ」


 笑顔で近寄って来た王太子に、カトリーヌは一分の隙も無い笑顔を見せた。ユリアーナとエリザベスも、何事も無いかのように頭を下げる。

 銀の渓谷(ここ)では王太子に対しても、その程度の礼で許されるのだ。


 ミーナも二人に倣って一礼した。ただ、その際少しでもベールがずれぬよう、細心の注意を払った。王太子夫妻がそろったところで自分の正体が王太子に知れたら、気まずいことこの上ない。


 この夫妻はミーナが参加した例の聖唱会のチケット争奪戦に参加したクチだ。だがあの時カトリーヌと王太子が得ようとした立場は観客に過ぎなかった。

 それに仮に観に行けた時は、当然正体が分からないよう変装するつもりだったから、ミーナと個人的な接触が生じる機会はあり得なかったのだ。


 しかし今はそうしようと思えば王太子とミーナは言葉を交わすことも出来る状況だ。それはミーナもカトリーヌも、やはり少々気まずい。

 そういう訳でミーナは正体を隠し、カトリーヌはミーナの事は黙っていた。


 本来ならそれで無事にやり過ごせるはずだった。挨拶を済ませた後は、せっかく友人達と気の置けない時を過ごしているカトリーヌの邪魔はすまいと、王太子も立ち去っただろう。


 しかし今は非常時だった。


 カフェを出ることが出来ない王太子は、そのままカトリーヌ達の席に留まってしまったのだ。

 そりゃ同じカフェにいるのに王太子夫妻が席を離れて座るのも不自然ではあるが。


「やれやれ、穏やかじゃないアクシデントに遭ってしまったね。早く解決して欲しいよ。王太子夫妻がそろって予定超過は、さすがにまずいからね」

「全くです。場合によっては王宮へ使いを出しましょう」


 注文した紅茶を飲みながらぼやく王太子に、カトリーヌは何食わぬ顔で答える。穏やかな笑顔を崩さないユリアーナとエリザベス。ひたすら大人しくしているミーナ。

 ミーナはとにかく居心地悪かった。このまま何事も無く解放されれば良いと願っていたのだが。


 カフェの責任者が二次創作コーナーから来た客も含めて、顔を隠している客の確認を始めた。

 1人ずつ断りながら、なるべく他の者には見えないようにしてではあるが、素顔を見ている。

 やがて責任者はミーナの所にもやって来て言った。


「お客様、まことに恐縮ではありますが、非常時です。どうかお顔を拝見させて頂けないでしょうか」


 カトリーヌとミーナは顔を見合わせた。しかしそう言われれば、仕方ない。

 ミーナは止むを得ずベールを持ち上げた。ミーナの顔を見た途端、責任者は愕然とした顔になった。


「こ、これは聖女…… いえ、事情はよく分かりました。どうぞベールを降ろして下さい。大変失礼いたしました」


 酷く恐縮した体で謝ると、責任者はすぐにその場を離れていった。

 ミーナは深いため息をついた。王太子がポカンと口を開けて自分を見ている。どうやら顔が見えてしまったらしい。

 カトリーヌがため息をついた。



         ※          ※          ※



 ヒナツと別れた後も、ヘンリーはヒナツが言った事について考えていた。


 原作者が自分の思い描くものとは外れた事をヒロインにさせようとしただけで、激高して挿絵を描くことを放棄したタクヤ。それがただバルバロッサに似ているというだけのミーナに会おうとするなど、ヒナツの様にイメージが崩れることを嫌わないのだろうか。外見を見るだけならともかく、会って言葉を交わせばヒロインとは全く気性が違うと、嫌でも思い知るだろうに。

 ヒロインを生み出そうとしているタクヤは、ミーナに何を望んでいるのだろうか。


 考え込むうちに、ヘンリーは銀の渓谷に着いた。懐中時計を確かめれば、ミーナとの約束の時刻が近づいている。


 ヘンリーは頭を振って物思いを払いのけた。これ以上は一ファンが考えるべきでは無い。自分はファンクラブの会長として、ミーナに頼まれた立会人の役目を果たすだけだ。

 タクヤがミーナに何を望もうと、それがミーナにとって害で無ければ、後はミーナの判断に任せれば良い。


 入り口の扉を開けると、支配人の切羽詰まった声が聞こえた。


「会長とはまだ連絡がつかないの!? 幾ら何でも聖女様と王太子ご夫妻を、これ以上足止めする訳にはいかないでしょう!! 他に、会長が行きそうな場所は無いの!?」


 何かトラブルが起こったらしい。ヘンリーは足早に支配人の下へ行った。ヘンリーの顔を見た支配人が、救われた様に安堵の色を浮かべて訴える。


「会長! 急ぎ確認して頂きたい事が起こりました。例の、タクヤ様からお預かりした品が、無くなりました!」

「何!?」


 ヘンリーは顔色を変えた。タクヤから預かった例の品とは、タクヤがバルバロッサの為にデザインした指環に他ならない。

 あの指環をどれだけ金を積んでも欲しがるファンはかなりいるだろうし、ファンでなくとも指環自体の価値も相当なものだ。タクヤが選びに選び抜いた宝石を使い、名のある宝飾職人と相談の上作らせた逸品なのだから。


 ただ、盗難では無い可能性もあった。


 ヘンリーは支配人に問い質した。


「で、例の〝印〟はあったのか?」

「――はい。ですがご承知の通り、その真偽を確認出来るのは会長だけです。どうか、取り急ぎご確認をお願いします」

「分かった。私も予定がある。すぐに行こう」


 ヘンリーは昇降機で六階の展示コーナーに向かった。

 六階のフロアは、明るい色調と暗い色調が入り乱れる内装になっていた。女魔王バルバロッサが誕生する前の、混沌とした世界を表現したものだ。その混沌に生まれた星の様に、様々な展示品が散りばめられている。


 ヘンリーは一番奥に向かった。

 厳重な強化水晶と侵入者を即座に知らせるこの世界最新の防犯装置を施しているそのコーナーは、確かに空になっている。しかし強化水晶も防犯装置も、破壊された形跡は一切無い。

 この状況で指環を持ち去れる人物は、自分以外には一人しか思いつかない。それが正しいか、ヘンリーは確認にかかった。


 防犯装置の解除を行うと、ヘンリーは空になっている展示場所に置かれている一枚の紙片を手に取った。その紙片には、ヒロインであるバルバロッサの絵が描かれている。その左手の薬指にはまっているのは、紛れも無く失った指環だ。


 それを確認したヘンリーはホッと息を吐き、後ろで心配そうに見守っている支配人に言った。


「大丈夫だ。タクヤ様が持ち帰ったので、間違いない」


 ここに展示されていた指環を貸す条件として、タクヤは必要になった時は何時でもすぐに返して貰うことを要求した。ヘンリーはそれを承諾する代わりに、タクヤが持ち去った時はそれとはっきり分かる印を置いて貰う事にしたのだ。

 それが、この紙片だった。防犯上、描く絵が何であるかを知っているのは、タクヤとヘンリーだけだったので、支配人はヘンリーに確認を頼んだのだ。


 ヘンリーの言葉を聞いて、支配人はみるみる安堵の色を浮かべた。そして客に伝えに、足早にカフェに向かって行った。


 ヘンリーは紙片を見てため息をついた。この状況であの指環を取り返すなど、タクヤは一体何を考えているのだろうと思いながら。



明日は16時前後更新の予定です。


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