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確かに小説を読むことは低俗な趣味だと、巷ではかなり蔑まれている。まして上流階級、それも王太子妃であるなら、何とかして周りに隠そうとするだろう。その小説が本当に好きであれば、それはとても辛いことに違いない。
それを誇るべき趣味だと言って貰えれば、どれだけ嬉しいだろう。
カトリーヌは更に言った。
「それだけではありません。ファンクラブの雰囲気も、私はとても好きなのですよ」
「雰囲気?」
「ええ。ファンクラブが主催する場では、私は王太子妃ではなく、ただの魔王バルバロッサの一ファンとして振舞う事が出来ます。特別扱いされることも無く、一人の人間になれるのですよ。そして本来なら顔を合わせることすら出来ない方達と、私達が知るものとは異なる形の礼儀正しさをちゃんと守った上で、好きなだけ交流することが出来る。それも、正しくあろうとする空気の中で。そういう雰囲気を、私は何としても守りたいのですよ」
カトリーヌのこの言葉は、ミーナもうなずけるものがあった。
ミーナは、今後もただ心の中でカトリーヌに詫び、感謝し続けるだけで終わるのだろうと思っていた。それがまさかカトリーヌと再会して、きちんと謝罪と感謝を伝えられる日が来るなど、思いもしなかった。
だから思うところを言った。
「確かに、銀の渓谷の雰囲気には、私も感謝しております」
「そうでしょう! 私も、あのパーティーではあなたの事をただかなり追い詰められた娘さんとしか思っていませんでしたが、ここで今日あなたとお話して、これだけちゃんとした方だと知って、嬉しく思っていますわ」
カトリーヌとミーナが互いを見やって笑い合った、その時。
支配人が再びやって来て、カフェにいる者に告げた。
「皆さん、トラブルが解決するまで、少し時間がかかりそうです。その為他のフロアのお客様にもこちらへ移って頂くことに致しました。御了承ください。それから御不自由な思いをさせてしまうお詫びとして、封鎖が解除されるまでにここでご注文された料理飲み物については、全て無料とさせていただきます。また、お望みの料理などがございましたらメニューに無いものでも出来る限り対応させていただきますので、遠慮無く仰って下さい」
カフェにいた客にどよめきが起こった。早速ウエイターを捉まえ、いつもは頼めなさそうなお高い料理を注文する客が何人もいる。カトリーヌ達も色めき立った。
「カトリーヌ様! それではひょっとして……」
「ええ。ぜひ注文しましょう!」
エリザベスがウエイターを呼んでミルクセーキとアイスクリームを注文すると、今度はすんなり通った。カトリーヌ達は歓声を挙げた。ユリアーナが目を輝かせて言う。
「天は私達を見捨てませんでしたね! 当初の予定通りになるなんて、なんて素晴らしいトラブルなんでしょう!」
やがて他のフロアから店員の誘導で少しずつ客が移動してきた。
カフェ自体はかなり広いので、全員を何とか収容出来そうだ。足りない椅子や注文した飲食物を置く台は、店員が他のフロアから持ち込んだ。
カトリーヌ達を見知っている客も何人かおり、声を掛けたり挨拶にやって来たりする者もいた。見ると平民らしき者もいるが、カトリーヌ達も気軽に受け答えしていた。
それは確かに通常の礼儀とはかけ離れていたが、しかし双方の態度には決して失礼さも無礼さも感じられなかった。カトリーヌの言う通り、ミーナが知るものとはまた違った礼儀作法が守られている。
挨拶に来た客に、カトリーヌはミーナの正体は伏せ、まだ魔王バルバロッサの内容は知らないが、興味を持ってここに来た人だと紹介した。皆はミーナがベールをかぶったままであることに特に触れることも無く、注意深くネタバレを避けながら小説の見所や面白さ、そしてファンクラブが主催する面白いイベント情報などを教えてくれた。
そうした彼らの態度はとても気持ち良いもので。
ミーナが彼らやカトリーヌ達との歓談に興じ始めた頃。
上階にいた客が誘導されてきた。その中の一人にカトリーヌが驚きの声を上げる。
「王太子様!」
その言葉に王太子は振り返った。そしてカトリーヌに気付くと笑いながら手を振った。当然、ミーナには気付いていないようだが、思わずミーナは下を向く。
ミーナの緊張感が、和やかだった場の空気をちょっとヒンヤリしたものにして。
「――ああ、まずい方もいらしてしまいましたわねえ」
ユリアーナが呟いた。
明日も12時前後更新の予定です。




