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銀の渓谷は、七階建ての建物だ。その為他所では珍しい、昇降機が設置してある。
とはいえ使う者はそう多くはない。上階へ行く者や階段を上るのが難儀な者は利用しているが、銀の渓谷全てを楽しみたい者は大抵階段を使う。
何故なら階を上る毎に内装の雰囲気が変わり、見る者を飽きさせないからだ。
一階のエントランスロビーがバルバロッサの本拠地全体、二階の書籍コーナーとカフェがバルバロッサの居城、三階の一般グッズ売り場及び二次創作コーナーが、小説に登場する人間の世界を表現している。
中でも王太子が今いる四階の人形及びジオラマコーナーは、見本かつ売り物の人形やジオラマを展示して魔王バルバロッサの世界全体を表現しており,壮観だった。
王太子は人形職人と、細かい打合せをしていた。
この職人は銀の渓谷でも名工と評判で、王太子はこうして会うのに半年待たされた。やろうと思えば王宮に召し出してすぐに人形制作に取り掛かるよう申し付ける事も出来たが、それをしなかったのだ。
ファンクラブの中では王太子と言えどもファンの一人に過ぎないという不文律を、破るつもりは無かった。
「――この人形に遜色ないものを、持ち運べる大きさで創るのですか。途方も無い事を仰いますな」
壮年の職人は、王太子が持ち込んだ、例の等身大バルバロッサをじろりと見て言った。
「無理なのか?」
王太子の問いに職人は顔をしかめる。
「無理とは申しておりません。あ奴にその人形を作られた時は、私は悔しさに歯噛みしたものです。それを作り上げるだけの時と掛ける手間に対する費用を注文主が与えてくれるなら、と何度思ったことか。しかし皆さん、どちらも惜しまれる。そうなれば、出来上がる人形の質も、それなりのモノに留まるしかありません」
王太子は笑って言った。
「安心したよ。ならば時と費用は惜しまぬから、頼みたい」
職人の目が喜びで輝いた。
「有難い! 必ずや作り上げて御覧に入れます。その人形に劣らぬ、いや、私の最高傑作となるものを!」
その後は職人との細かい打ち合わせが続いた。それを終えると、王太子は人形の衣装の打ち合わせに入った。
今注文した人形と、今日持ち込んだ等身大人形の衣装、そして他にもう一着。
衣装は戦闘服やドレス、タクヤがイラストに描いた修道女服など多岐に及んだ。二体の人形の衣装はほぼ注文したが、それでも王太子はデザイン帳をめくるのを止めない。
あれでもない、これでもないとしばらく探すうちに、あるドレスに目が留まった。
それは、確かバルバロッサがある目的で、人間の王が催したダンスパーティーに姿を変えて潜入した時に身に着けたものだ。白地に紫をあしらった上品なドレスは、銀髪のカトリーヌによく似あいそうだ。
これにしよう、と王太子は思った。王太子のもう一つの目的、それはカトリーヌの十九歳の誕生日プレゼントを見繕う為だった。
王太子妃のカトリーヌには、誕生日の贈り物として他にも何着ものドレスと宝飾品が用意されているが、その中に王太子はこのドレスを加えるつもりだった。自分の気持ちとして。
本来なら、ファンの間では有名な、ユリスモールがバルバロッサに贈った指環にしたかった。六階の展示コーナーに陳列されているその指輪は、ファンの憧れだ。
だが、その指輪だけは、デザインした挿絵画家が絶対にレプリカは市販させないと断言しているので、仕方なく諦めたのだ。
全ての打ち合わせを終えた王太子は、久しぶりに銀の渓谷の中を見て回ろうとフロアの出口に向かったが、そこで自分の護衛の一人が売り場責任者と何やら言い争っているのを見た。
「どうした? 何かあったのか?」
護衛は振り返って一礼する。
「申し訳ありません。この者が、このフロアは閉鎖するので出てはならないなどと不埒な事を申しておりまして」
「責任者がそう言うなら仕方ない。ここで待とう。今日は銀の渓谷で時を過ごす予定だから、差し支えあるまい」
憤慨する護衛に王太子は鷹揚に答えると、今度は責任者の方を向いた。
「留まるのは構わない。ただ、外へ出られぬ理由を教えては貰えぬか。それならこの者達も納得するだろう。それだけは頼む」
「――かしこまりました」
責任者は一礼すると、王太子の傍に寄って耳打ちした。
「実は…… 六階に展示してありました〝ユリスモールの指環〟が無くなりました」
「何!?」
王太子は目を見開いた。ユリスモールの指環、それこそ挿絵画家が複製を拒む指環だった。
「盗まれたのか?」
「まだ分かりません。とにかくこの建物にいたお客様は、全員足止めさせて頂きました。申し訳ありませんが、状況が判明するまでは、どうかこちらでお待ち下さい」
「分かった。そんな大事が起こっているのなら、やむを得ぬ」
当然のように王太子は足止めを受け入れた。ファンにとって、ユリスモールの指環はそれ程高い価値を持つものだった。
明日は16時前後更新の予定です。




