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目的の場所に到着したカトリーヌは、ゴクリと唾を飲み込んだ。遂に、自分は禁じ手を使うのだ。
ここは王都の繁華街ではあるものの、高級店が軒を並べるメイン通りからは少し外れた地区である。そしてカトリーヌが入ろうとしているのは、外から見れば、大きいだけで何の変哲もない建物だった。
カトリーヌがここへ来ること自体は初めてではない。頻繁にではないが、王太子と共に何度か訪れたことはある。
しかし王太子抜きで、しかも王太子に黙ってここに来るのは初めてだった。そう、カトリーヌは王太子が同行していると、かなり気まずい処へ行こうとしているのだ。
「王太子妃様、ど、どうしましょう。私、今になって震えが…… 本当に、入ってよろしいのでしょうか」
「私も、人の目が怖いです」
カトリーヌの隣で栗色の真っ直ぐな髪を垂らした落ち着いた雰囲気の女性と、金髪の巻き毛に鼻の頭に少し散ったそばかすが愛らしい女性が不安そうにささやく。ユリアーナ・クーパー公爵夫人とエリザベス・ウエスト伯爵令嬢だ。二人はカトリーヌにとって、貴重な魔王バルバロッサのファン友だ。
カトリーヌは同行者を安心させようと、強いて平静さを装って微笑んだ。
「二人とも、落ち着いて。私達はまだ入り口にも入っていないではありませんか。なのにそうも動揺されては、目指す場所になどたどり着けませんよ」
「で、ですがあんな処……」
「ユリアーナ、エリザベス。別に疚しく思うことはありませんわ。ただ少々刺激的な世界を経験するだけです。それに、私達の年齢なら全く問題ありません。さ、胸を張って入りましょう。あなた達だって、ここには何度も入っているではありませんか。その時より、少し冒険するだけです」
「そ、そうですわね……」
二人の不安を力強く打ち消すカトリーヌの言葉に、ユリアーナとエリザベスは何とか落ち着きを取り戻す。そしてカトリーヌと共に、帽子に付いているベールを前に垂らして顔を隠した。それが済むと、三人は馬車を降りて入口へ向かった。ちなみに、三人が乗って来た馬車は無紋だ。
二人にああは言ったものの、カトリーヌもやはり平静では無かった。確かにここには何度も来ているが、顔を隠して入るのは初めてだったからだ。要するにこれから行く処は、あまり顔をさらしたくはないような場所だった。
エントランスに入った途端、そこは魔王バルバロッサの世界が広がっていた。
そう、ここは魔王バルバロッサの総本山ともいえる店、魔王バルバロッサに関する物なら全て揃えていると言われている、ファンクラブ直営の〝銀の渓谷〟だ。ちなみに銀の渓谷とは、バルバロッサの本拠地の名だ。
まず正面に飾られた、大きなバルバロッサの絵がカトリーヌ達を出迎えた。それを囲むように、ユリスモール。蒼の魔王といった主な登場人物の絵が並んでいる。もちろん、全て挿絵画家タクヤ・ミカゲの描いたものだ。
他にも壁の模様、装飾、置かれている調度品、どれもが魔王バルバロッサに登場したものか、作品の場面をイメージしたもので統一されていた。客を瞬く間に小説の世界に引き込んでくる、壮観な内装だった。
「あら、あそこに飾ってある剣は改訂版の番外編でユリスモールが使ったものではありませんか。挿絵は無かったけれど、小説の描写にそっくりですわ。これ程早く用意するなんて、いつもながら見事な手際ですこと」
新しい調度品を目ざとく見つけたユリアーナが感心したように言う。エリザベスも他に新しい物は無いか、辺りを見回している。
つい本来の目的を忘れて三人で久しぶりに来るロビーの内装を見物していると、ベールで顔を隠した三人に年配の女性が近寄って来た。銀の渓谷の支配人だ。
「いらっしゃいませ、御婦人方。こちらへどうぞ」
カトリーヌ達は顔を見合わせてうなずくと、支配人が指し示す、ロビーの隅にある階段へ向かった。そこを上ると、目の前に扉がある。
もうここまで来たら怖いものは無い。カトリーヌはためらうこと無く扉を開けた。
明日は12時前後更新の予定です。




