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このラーメン屋は他の店とは一線を画した本物の味を出していると評判の高級レストランで、大事な接待や会合に良く使われる。だから秘密の商談などに用いる個室も備えている。
ウエイターはヒナツが名を告げると心得たように一礼し、すぐ個室へ案内した。個室には既に担当編集者のミナコが待っていて、ヒナツが入ってくると歓声を上げた。
「ヒャッホウ! お久しぶりです! どうでした、休暇は? 行きたがっていらした青鏡の池には行かれたんですか? まあ、とにかくどうぞ、お座り下さい。まずは再会を祝して乾杯といきましょう! 今日は大奮発しちゃいますからね!!」
「――再会って、二カ月休んだだけじゃない」
担当のあまりのテンションの高さにヒナツが辟易していると、ミナコは大げさに首を振った。
「何言ってるんです! こっちは先生がこのまま引退なさるんじゃないかと思って、生きた心地もしなかったですよ。なんせミカゲ先生と、あれだけ大ゲンカしたんですからねえ。さ、まずは一杯」
そう言うとミナコは、この世界では貴重な氷を盛ったバケツで冷やしてある酒瓶を取り上げた。それを見たヒナツはギョッとする。エールじゃない。この世界では超高級品の、ビールだ。
「ちょっと待ってよ!! 何でそんな高い酒――」
「料理はもう頼んじゃいました。ヒナツ先生はチャーシュー麵、お好きですよね? だから特製チャーシュー麵にしときました。もちろん、焼餃子とチャーハンも付いてますよ。あ、ザーサイもね」
ヒナツはあ然とした。ここのごく普通のラーメンが一杯幾らすると思っているのか。それを特製チャーシュー麵に餃子にチャーハンだと?
青ざめるヒナツにミナコはにっと笑った。しかしアイシャドウが濃く塗られた目は全く笑っていない。
「まずは乾杯しましょう。先生のお話はその後で。ね?」
このあまりにも万全の迎撃態勢に、ヒナツは悟った。相手が、こちらの要求を断固として撥ねつけるつもりでいることを。ミナコの目は言っている。これだけの接待を受けた後で、あの要求を言えるものなら言ってみろ、と。
ヒナツは両手をギュッと握りしめた。そして自分に言い聞かせる。
ここで怯んでたまるか! この為にこっちだって万全の準備を整えてきたんだ!
「――分かった。飲みましょう」
ミナコはニッコリ笑うと、ヒナツのグラスにビールを注いだ。
「乾杯!」
グラスをかち合わせたらビールを一気に吞む。ヒナツは思わずうめいた。
喉越しも味わいも、エールとはまるで違う。
感無量のヒナツに、ミナコは解せないといった顔で聞いた。
「用意しておいて何ですけど、サカキ先生は十年前、十五歳の時にそのまま若返ることも無く異世界に来たんですよね? だったら日本でお酒なんか吞んだ事無かったでしょう。それなのにビールにそこまで感動するんですか? ……もしかして、未成年飲酒してたとか」
「違う違う! 普通にお酒として感動してるの。やっぱりエールよりこっちの方が断然良いわ」
そう言ってヒナツはグイグイあおる。飲み干したところでヒナツは深呼吸すると、ミナコの顔をじっと見て口を開こうとした。するとすかさずミナコが言う。
「駄目です」
「――まだ何も言ってないけど」
「サカキ先生が何を仰りたいかは分かっています。それは駄目です。受け入れられません」
「とにかく話を聞いてよ」
「聞くまでもありません。いいですか、先生はお気に召さないのかも知れませんが、ユリ君とバルバロたんがアイスを食べさせ合うシーンも、同じグラスのミルクセーキを二本のストローで飲むシーンも、いや、その他あの愛情篇だけに満載のイチャイチャシーン、どれも読者には大好評なんですよ! その大半を削除するなんて、出来る訳無いじゃないですか。そんな事したら、私はあのシーンを愛する魔王バルバロッサファンに対して死んでお詫びしなければなりません!」
「あれを書いた時のあたしは、どうかしてたのよ!!」
たまらずヒナツは叫んだ。今こうしてミナコにそのシーンを口で描写されるだけでも、恥ずかしくてのたうち回りたくなるのだ。
あの時、魔王バルバロッサ愛情篇を書いていたヒナツは色んな事が重なって、何かこう、すごく舞い上がっていた。そのノリで書いて、まあマズけりゃミナコが止めるだろうと気楽に考えて原稿を見せたら、ミナコが速攻で了承、そのまま原稿を通したのだ。
何しろ編集部が魔王バルバロッサに唯一不満を持つとすれば、女性受けするようなイチャイチャシーンが殆ど無いことだった。それが愛情篇はまるで出血大サービスのごとく、そういう描写が満載なのだ。
編集部はヒナツの気が変わらないうちにと速攻で編集作業に入り、二週間後にヒナツが我に返った時は、もちろん全てが終わっていた。
以後、編集部はヒナツがどれだけ懇願しようが、頑として描写の削除を拒否し続けている。
明日も12時前後更新の予定です。
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