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「そんなに怯えないで下さいな。今のリットン家には、誰も手出しはしませんから。もちろん、あなたにもね。王室からくれぐれもリットン家に誹謗中傷はするなと厳命されておりますから。おかげで我が子爵家の、あなたに対する意趣返しもお休み中という訳ですわ。修道院送りになったとはいえ、ようございましたね、一時でも王太子殿下の恋人になった見返りがあって。あなたお得意の、他人の婚約者に手を出すお癖も、今度はお役に立ったということかしら」
そう言って口に手を当ててこれ見よがしに笑う子爵令嬢を、ミーナはじっと見た。
だが、令嬢の言うように怯えていたからでは無かった。逆に驚いていたのだ。
彼女は、こんな下品な人だったのかと。
行儀作法指南役の子爵家から徹底的な放置嫌がらせを受けていた時、ミーナはこの令嬢が怖くてたまらなかった。何故なら彼女はミーナから見れば、その輝かしい家名に加え、非の打ちどころの無い上品なマナーと教養で、圧倒的な高みに立っていたから。だから彼女のミーナに対する憎しみと蔑み・冷笑は、ミーナを完膚なきまでに打ちのめしたのだ。
どんな仕打ちをされようが、ミーナは太刀打ち出来なかった。何故なら常に間違っているのは自分で、相手は絶対に正しいのだから。
だが半年間、みっちりヒルデガルドの薫陶を受けたミーナは、今目の前にいる令嬢にそんな影響力は全く感じなかった。むしろ道理に合わぬ八つ当たりで自分を貶めようとする姿を、下品だと思ってしまう。
〝大事なのは反省し、改める事。あなたにそれが出来るなら、恥じるものは何もありません。その努力を知ろうともせずに過去のあなただけを取り上げてあなたを蔑む者など、気に掛けることは無い。きっぱり無視しておやりなさい〟
ミーナは背筋をシャン、と伸ばし、まっすぐ令嬢を見つめた。そしてハッキリした声で、言いよどむ事無く言った。
「あなたの婚約者について私がやましく思う事は、一切ありません。以前あなたに伝えた通り、私は自分からあなたの婚約者に話しかけるどころか、近づいたことすら一度も無い。それなのに強引に誘われた事はありましたが、全て断わりました。それ以上私に出来る事があったとは思えません」
子爵令嬢があ然とした顔をする。無理も無い、ミーナが自分に対してここまで毅然と反論するのは、初めてだったから。
そんな子爵令嬢に、ミーナは言葉を続けた。
「ですから婚約者とあなたの不和については、あなた方の問題です。そして王太子殿下についても、あなたにとやかく言われる筋合いはありません。私が申し訳なく思い、謝罪すべきはカトリーヌ様、いえ、王太子妃殿下だけです。これ以上理不尽な嫉妬心でご自分に関係の無い事まで持ち出して、他人を貶めようとするなど、そんな下品な真似はなさらないで下さい!」
「げ、下品ですって!?」
怒りに顔色を変える令嬢に、ミーナは臆せず言った。
「落ち度の無い者に逆恨みして理不尽な真似をする事が、品のある行為とは思えません。あなたが貶めているのは私じゃない。あなた自身です。由緒ある貴族だと誇るなら、そんな真似はするべきじゃない!!」
一喝したミーナの気迫に、子爵令嬢の方が怯んでいた。今までミーナがほぼ無抵抗だったから、彼女も高飛車に出られたのだ。本来この令嬢はさして度胸があるわけではない。
子爵令嬢は唇を噛んでブルブル震えていたが、やがてくるりと後ろを向くと、足早に去って行った。
遠ざかる令嬢の背を見つめながら、ミーナは呟いた。
「すごいブーメランだったわ」
落ち度の無い者に逆恨みして理不尽な真似をする。まさに自分がカトリーヌにした事だ。刺さったブーメランの痛みはかなりきつい。
しかし、その痛みが、ミーナにはむしろ爽快だった。
まさに自分は下劣な真似をした。深く恥じるべきだ。貴族として。
そう、自分がされたことを否定し、自分がした事を否定する事で、ミーナは今、自分を貴族と思うことが出来たのだ。
しかしそうなると、グラハム伯爵の申し出に対する返事も決まってしまう。
「――どうしよう。断わったら、絶対にお父様達に害が及ぶ」
己の尊厳を考えるなら、あの求婚は絶対に受けるべきではない。あんな脅しまでするような使いを寄越す男なのだ。
しかしそういう男だからこそ、あの使いが言った通り、断れば理不尽な怒りを自分ばかりでは無く家族に対してもぶつけて来るだろう。フロー子爵家のように。そうしたら相手は伯爵だ。どんな目に遭うか。
自分は恨みを受ける覚悟はある。だが、家族の事を考えれば、どうしてもためらってしまう。再び自分のせいで辛い目に遭わせるような事は、させたくない。
ミーナが芽生えたばかりの誇りと家族への想いに迷おうとしていた時、誰かが声をかけた。
「あの…… ミーナさん」
振り向くと、大人しそうな少女がいる。
明日は16時前後更新の予定です。
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