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誰にも気づかれぬよう家の外に出たミーナは、しばらく歩いていると声を掛けられた。やはり近づいて来たかと思う。さっき客間のドアの外で立ち聞きした声と同じだ。
「ミーナさん、良かった! お会いしたかったんですよ」
「――誰ですか、あなた?」
分かってはいたがとぼけて尋ねると、グラハム伯爵の使いはいかにも恭しく頭を下げて見せた。
「失礼いたしました。私、グラハム伯爵の使いです。ミーナさんに、耳よりのお話をお持ちしました」
「説明しなくていいわ。分かっているもの」
ミーナは素っ気なく相手の話を遮った。
「――で、一つだけ確認したいんだけど、あたしを妻にしたがっているその伯爵様、魔王バルバロッサのファンなわけ?」
使いは大きく目を見開き、それから笑いだした。
「困りましたな。そう身もフタも無い事をおっしゃられては。求婚とは、ロマンチックな夢の中でなされるものでございますよ。ミーナさんの自由奔放さを伯爵様は愛でておられる。それで良いではありませんか」
「――嘘をつく気も無いのは、こちらの足元を見ているわけ?」
「――あなたにとっても、良いお話だと思いますよ」
ニンマリ笑いながら、ナマズ髭の使いは言った。
「娘の婚約破棄騒動で、フロー子爵家は今もお怒りだ。その上今度は恐れ多くも王太子殿下の婚約破棄騒動の張本人。まあ、王室の信じられない程寛大な御処分で、今はどちらも一応収まってはいますが、それだって王太子妃様のご気分次第でどう転ぶか分かったものじゃない。そうなる前に、確かな後ろ盾が欲しいとは思われませんか?」
「…………」
「グラハム伯爵様の奥方になれば、あなたの将来は安泰です。子爵家はもちろんあなたやあなたのご家族に手が出せなくなるでしょうし、王室だってそう簡単にあなたの扱いを変えることは出来なくなるのは間違いないですからね。どうです、申し分ない見返りでしょう?」
「で、伯爵様の見返りは、ご執心のヒロインの生き人形が手に入る、というわけね」
冷たい皮肉を言うミーナに、使いは平然と答えた。
「貴族の縁組など、所詮は家同士の政略の一環です。だがあなたは違う。外見だけにしろ、あなた自身を望まれているのですよ。生き人形、結構ではありませんか。伯爵様は、あなたを大事になさると思いますよ。それに、あなただって、二度も婚約破棄騒ぎを起こしたんだ。さすがにまともな縁談は、もう来ないでしょう。そう考えれば、これはずい分まともな縁談だと思いますよ」
「…………」
使いはニンマリ笑うと、自分をにらみつけるミーナに顔を近づけてささやいた。
「最後にもう一つ。断わった場合の、伯爵様のお怒りも、考えられた方が良いかと。あなたばかりではなく、あなたのご家族に対してもね。そういう事は、あなたも十分お分かりでしょう」
「――――」
「まあ、すぐには決めかねるでしょう。修道院に戻られたら、私の話をよくお考え下さい」
使いはそう言って一礼すると、去って行った。
「ホント、足元を見られたものだわ」
しばらくしてミーナは呟いた。そして、何処へ行くともなく歩きだした。
あの使いの言う事は正しい、とミーナは思った。
今は、表立ってミーナやリットン家を誹謗中傷する者はいない。しかし今の周囲の平穏さが、王室の寛容さの上に成り立っている事は、否定できない。それに、リットン家に対して礼儀正しく接する家も、ではミーナを息子の妻に望むかと言えば、それは別の話だ。
まあ、今は結婚話など考えたくも無いという心境ではあるが、さすがに家族に害が及ぶなどとほのめかされると、穏やかではいられない。
修道院長のヒルデガルドが言う事は、しょせんは綺麗ごとだ。どう悔い改めようが、世間は自分のした事を忘れはしないだろう。
現実的な処世を考えるなら、グラハム伯爵の求婚を受け容れる以外の道は、考えられない。
それなのに。
何故、自分はためらっているのだろう? どうして今、ヒルデガルドの言葉が、こうも強く、自分を引き留めるのだろうか。
〝大事なのは、反省して改める事〟
ミーナは泣きたくなった。
悔いていない訳が無い。中でもカトリーヌにした事は最低だった。
あの時、フロー子爵家から爪はじきにされたリットン家は完全に孤立していた。
フロー子爵家は四代続いた家柄で、先代の時に功績を立てて子爵に叙せられたのだ。平民が貴族に取り立てられるだけでも大変名誉な事だが、その家が子爵になる事は、平民が貴族になる道を作っているこの国でも更に稀だ。
だからフロー子爵家は同じ新興貴族の中では一目置かれる存在だった。その家にミーナは泥を塗ったのだ。
リットン家は必要な作法やしきたり一つ教えて貰えず、様々な場での間違いや不手際を嘲笑された。
特にその原因となったミーナへの風当たりは強かった。子爵令嬢の取り巻きの娘達は、それこそ令嬢のご機嫌を取る為に、先を争ってミーナに嫌がらせをした。ミーナにでまかせの作法を教えて皆で嘲笑った事も、一度や二度ではない。
精神的にも状況的にもどうしようも無い程追い詰められていた時、ミーナは王太子に出会ったのだ。
王太子がミーナを傍に置くようになってから、周囲へのミーナの扱いは一変した。
令嬢たちの嫌がらせは嘘のように無くなり、中にはへつらう者まで現れた。家族への風当たりも、緩くなった。
それが、王太子の威光を恐れての事であろうと、自分を苛んでいた針の筵から解放された安堵を味わってしまったミーナは、もう二度と私刑の沼に戻るのも、家族が再び嫌がらせを受けるのも耐えられなかった。だから、何としても王太子を失いたくは無かったのだ。
ただの恋人なら、王太子が冷めれば終わる。ならば簡単には終えられない関係にすればいい。
今思えば完全にまともな判断力を失っていた。だとしてもそんな途方も無い考えを抱いた底には、自分が置かれた理不尽な環境への怒りがあった。
自分は子爵令嬢の婚約者に対して断じて何かした訳では無い。男の方が勝手に惚れ込んだだけだ。
なのに婚約破棄の騒ぎまで起こしたのは全て自分のせいだと責め立てられた。ならばいっそ本当に婚約破棄を引き起こしてやろう。そんな自暴自棄の心があった。
カトリーヌへの歪んだ憎しみがあった事も否定出来ない。自分をいたぶる令嬢達がこぞって褒め称える公爵令嬢を貶めてやれば、さぞかし胸のすく思いがするだろう。そんな感情もあった。
嵐が過ぎ去り、冷静になった今なら思える。本当に愚かだった。断罪されて、当然なのだ。
悔いる気持ちが、その悔いに対するヒルデガルドの言葉が、受ければ今度こそ完全に自分を貶めることになる縁談に向かうのをためらわせていた。
ミーナが物思いに沈んでいた時、突然かん高い、敵意に満ちた声がした。
「ああら、これはこれは、王太子殿下の元恋人殿ではございませんか」
顔を上げれば、フロー子爵令嬢が自分を冷たく睨んでいた。
明日も12時前後更新の予定です。
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