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リアール修道院には行儀見習いの少女の為の寄宿舎がある。ミーナもそこで暮らしていた。
「さあ、これで出来上がりよ」
ミーナがそう言って髪から手を放すと、ローザは振り返ってニッコリ笑った。
「ありがとう。今度は、あなたね」
そしてローザはミーナを自分が座っていた木の椅子に座らせる。そしてミーナの髪を櫛ですき始めた。
他人に髪を触られる心地良さに目を細めながら、ミーナはやはり同室のシルビアに、いつもと同じ事を尋ねた。
「今日は誰?」
シルビアはやはりミーナに編んで貰った三つ編みを崩さないように上着に袖を通しながら答える。
「ロッティよ。今ドアの前で待ってるわ」
「分かった。じゃ、さっさとやってちょうだい。もうすぐ礼拝が始まる。時間が惜しいわ」
ミーナがそう言うと、ローザはすまなそうな顔をした。
「何だか申し訳ないわね。あたし達ばかりあなたに髪をこんなに綺麗に整えて貰っているのに、当のあなたの髪はいつも適当だなんて」
寄宿舎では、少女達は自分の髪を同室の娘と互いに結い合う。
何故なら修道院には虚栄心を助長する物だとして、鏡が一枚も置いていない。だから自分自身でちゃんと髪をまとめるのは難しいのだ。
そういう訳で、娘達は自分自身がどんな姿をしているのかは、修道院にいる限り分からない。
それでも女の子のしゃれっ気は中々消せないもので、寄宿生達の間ではミーナと同室のローザとシルビアの髪が実にうまく結えていると評判になった。おかげでミーナの下には自分も結って欲しいと願う娘が殺到したが、もちろん全員の髪を結えるはずも無い。
それで話し合いの結果、ローザとシルビア以外で、ミーナは毎朝順番で一人だけ髪を結うことになったのだ。
「髪を結って貰うのはお互い様でしょう? それに、あたしも見返りはちゃんと貰ってるから、問題無いわ」
素っ気なく言うミーナに、ローザは大げさに手を振った。
「何言ってるの! あたしとあなたでは、センスも出来も、全然違うわよ!」
「……センスって、たかが三つ編みでしょ? それも、みんな同じ髪型じゃない」
「たかが三つ編みだから、センスを出すのが難しいんじゃない! あなたの三つ編みは素敵よ。髪一筋の乱れも無いのに、規則にギリギリ反しない程度にゆったり編んであるから、すごくオシャレに見えるのよ」
そこまで言われると、ミーナも悪い気はしない。
「――昔、近所の髪結いのお姉さんに教えて貰ったことがあったから」
「そうなんだ。道理で上手なはずだわ」
素直にほめる同居人に、ミーナもつい笑みがこぼれた。しかし時を知らせる鐘が鳴るのを聞いて、顔を引き締める。
「もう終わったんでしょう? じゃ、ロッティを入れて。時間が無いわ」
ミーナがそう言うと、シルビアがドアを開けてロッティを招き入れた。12歳の彼女はもじもじしながら部屋に入って来る。恥ずかしがり屋なのだ。
ロッティはいそいそとミーナに近寄ると、ぴょこん、と頭を下げた。そして椅子に座る。
ミーナが手早く髪を梳いて編み上げていくと、ロッティの頬は喜びで赤くなった。そして切なげに言った。
「鏡があればいいのに。素敵になった髪を見たいなあ」
その言葉に、ミーナは大きく顔をしかめた。
「そう? あたしは当分自分の顔なんか、見たくも無いわ」
自分が入れられる修道院の規則を最初に聞いた時、ミーナはこの世の終わりが来たような気がしてげんなりした。何しろあまりに厳しかったからだ。
修道院寄宿生は、一日にやる事の殆どが決められている。起床とベッドの直しに身支度、朝夕の礼拝、食事、学習、礼儀作法の習得、修養に清掃などの奉仕作業。自由は殆ど無い。
唯一息を抜けるのは午後の散歩の時間と週末の帰宅日だけだ。しかもミーナに帰宅日は無かった。罰として此処にいるからだ。
17歳なら、本来は修道院に行儀見習いに行く歳ではない。なのにどうしてこんな目に遭わなければならないのか。ミーナは改めて王太子を恨んだ。
しかし、実際に修道院に入ってみると、思ったよりも辛くは無かった。むしろ気分的には〝外の世界〟よりもずっと楽なのだ。
何故なら、人間関係におけるストレスが、全くと言って良いほど無かったからだ。
「あら、上手くなったじゃない。動作がきれいよ。音もしないし」
隣に座るローザが、スープを飲んでいるミーナに声を掛ける。本来食事の時間はお喋り禁止だが、ミーナの食事に関してはマナー向上を手助けする類の声掛けだけは特例として許されていた。
ローザの言葉には嫌味も当てこすりも無い。純粋に上達をほめている事がハッキリ分かる口調だ。だからミーナも素直に笑みを返す。
外の世界では違っていた。
〝あら、存じませんでしたわ。お紅茶をそういう風に頂くやり方は、お祖母様の代で終わったとばかり思っていましたけど、またその様な作法に戻ったのですね。ミーナさん、さすがですわ。時代を先取りされてますこと〟
ミーナがカップの紅茶をその受け皿に注いだ時、子爵令嬢のエルヴィラは嘲りの笑みを浮かべてそう言った。その飲み方は彼女の取り巻きの一人に、貴族とはそうやって飲むのだと教えられたものなのに。
エルヴィラの婚約者が自分への興味を露骨に示すようになって以来、ミーナはずっとこんな連中の嫌味と蔑みの針に痛めつけられてきた。
食事や茶会でのマナー、貴族には必須の教養、音楽の嗜み。
パーティー等の集まりに呼ばれる度に、ミーナはそうした事に関する素養の無さを冷笑され、当てこすられてきたのだ。
そうした針が、ここには無い。
知らないのなら、教えてくれるだけだ。
ミーナとローザが笑い合っていると、食事の監督をしている修道女が二人を見やって言った。
「結構なことです。ならばミーナさんの特例は、そろそろ外しても良さそうですね」
「そんなあ! もう少し大目に見て下さいよ」
悲痛な顔で修道女に哀願するローザに、ミーナは更に笑った。
明日は12時前後更新の予定です。
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