~ エピローグ。愛娘の旅立ち ~
お疲れ様です。
後半部分の投稿になります。
草原の向こう側から吹く優しい風が温かい空気を運び燦々と輝く太陽の下に並べられている洗い立ての服達を静かに揺らす。
鼻腔を擽る草々の香りと若干の土っぽい匂いが朗らかな雰囲気に若干の詫び錆びを醸し出してくれる。
朝とお昼の間。
一日という時間を俯瞰して見ればこの時間は朝一番からの忙しさを癒す貴重な時間に位置付けられると判断出来る。
まだ夢現の中に居る家族を尻目に朝食の準備に取り掛かり、中々起きない家族を叩き起こして朝食を摂らせ、汚れてしまった家族の服と徒手格闘を開始する。
世の主婦はこの時間に至るまで途轍もない労力を費やし、そして失った体力をこの時間を有効活用して取り戻して午後からの家事に備えるのだ。
「ふぅっ!! これで洗濯物はお終いっと!!」
爽快に晴れ渡る空の下。
私は腰に手を当てて竹竿に掛けられて楽しそうに風に揺れる彼等を見つめて満足気に頷いた。
これで朝の仕事はお終いっ!! ベッシムは急な里帰りで居ないし、私がしっかりしないとねぇ。
旦那は家事に対しては地面に蠢く働き蟻さんの方がよっぽどマシに見える程に役立たずだもの。
それを見越してか、それともクソ……。っと失礼。言葉が汚かったわね。
親同士が勝手に取り付けた大昔の約束を律儀に守ろうとする泥棒猫が頼みもしないのに勝手に中庭に降り立って私の仕事を横取りしようとするから困ったものだ。
『グシフォス様っ。あぁんな料理が下手な無能で貧相な胸の女よりも私の方が役に立つと思いませんかっ??』
『シュランジェ……。頼むからもう少し離れてくれ』
『えぇ――。これが幼馴染のあるべき距離感なんですよ?? そうは思いませんかぁ?? そこで無意味に拳の骨を鳴らしている貧乳龍さんっ』
『二秒やる。それが最大限の譲歩だ……』
『わ、分かった!!!!』
『まぁっ、ふふっ。昔からグシフォス様は恥ずかしがり屋さんなんですね。その可愛らしさが堪らないですわ』
たった二日前に此処で交わされた一悶着が私の心にドス黒い感情を湧き起こしてしまう。
あのクソ野郎……。事ある毎に私にちょっかいを出して来やがって。
幼馴染だか、許嫁だか知らないけどもしも今度夫と私にイチャモンを付けて来たら横っ面に剛拳を捻じ込んでやる。
泣こうが叫ぼうが私は一切遠慮しない。それが切っ掛けで北の龍族と問題が起きても私は一切関知しない。もしも戦いが勃発したのなら喜んで北の連中と拳を交えてやる。
人の神経を逆撫でする方が悪い!! それにぃぃいい!! 夫の軟弱な態度も許せないわ!!
私という女性がありながら他の女性に対して鼻の下を伸ばすって有り得ないでしょ。
だけど彼女の視点から私を見れば泥棒猫に映るのも致し方あるまい。許嫁と言う口約束を反故して彼は私を選んだのだから。
まっ、怒ってばかりじゃ今日という素敵な日に泥を塗る羽目になっちゃうし。此処は一つ綺麗な青空と太陽の御力を借りて憤りを消しちゃいましょうかねっ。
「ん――……。ふぅっ」
主婦御用達の白い前掛けを外し、蒼天へと向かって両手をぐんっと伸ばして朝一番の仕事から溜まった体の疲れを解す。
気分一新してこれからの作業を頭の中で思い浮かべていると騒音さんさえも顔を顰めてしまうけたたましい足音が中庭に響いた。
「ちょっと!! 母さん!! 私の下着知らない!?」
烈火も思わず二度見する深紅の髪を揺らし、愛娘が中庭に漂う朗らかな雰囲気に不釣り合いな口調と足音を奏でながらこちらへと向かって来る。
『へ、へへっ。どうも』
その背にはパンパンに膨れ上がった背嚢が苦い顔を浮かべて私に挨拶を交わしていた。
凄い荷物ねぇ。必要最低限にしなさいって言ったのに。
「下着?? あぁ、アレの事??」
竹竿の一角。風によってユーラユラと揺れている朱の下着を指す。
「あぁ――!! 洗っちゃったの!?」
「え?? うん。洗濯籠の近くに置いてあったし」
そりゃ誰だって洗濯籠の近くに置いてあれば洗ってくれと頼んでいるものだと考えるでしょう。
「今日出発だから持って行くつもりだったのよ!!」
「あら?? そうなの??」
「そうなの?? って!! 惚けた事言わないでよ!! あぁ――……。微妙に濡れてる……」
竹竿から己が下着を外して残念な顔を浮かべて見下ろす。
「でも、まぁ……。荷物の中に入れている内に乾くでしょう!!」
そして、うんうんっと一人勝手に何かを納得して。
『こ、これ以上は流石に無理ですぅ!!』
これ以上食べられないと苦悶の表情を浮かべる背嚢の口へと捩じ込んだ。
「もう行くの??」
「うんっ!! 準備万端よ!!」
ニコリと快活な笑みを浮かべて私の瞳を真正面で捉えた。
真っ赤な丸い瞳はこれから起こるであろう大冒険を想像している所為か煌びやかに輝き、口角は三日月も呆れる程に湾曲する。
年相応に育った背とちょっと残念な双丘に体全体から滲み出て来る陽性な感情。
私と何ら変わりない身長に育ってしまった姿を捉えると何だか感無量の想いが湧いてしまった。
「そっか……。お姉ちゃんに続いてマイちゃんも遂に旅立つのねぇ……」
ちょっと前までは可愛い言葉使いと仕草を見せてくれたのに、いつの間にかこんなおっきくなっちゃって……。
「何しんみりしてんのよ。それより父さんは?? 折角だし、見送って貰いたかったんだけど」
マイちゃんが中庭の周囲へと向かって忙しない視線を向ける。
「え?? あ――……。今日も釣りに行ってるんじゃない??」
「うっそでしょ!? 娘の旅立ちを見送る事よりも釣りを優先するの!?」
「そりゃお父さんですもの。それに永遠の別れって訳じゃないでしょ」
「ん――……。まぁ、そうか」
体の前で腕を組んで仕方が無い。
そんな意味を籠めて大きく息を漏らした。
「はい、ここでもう一度確認よ。向こうの大陸に着いたら先ず何処へ向かうのでしょうか??」
娘はどちらかというといや、確実に今の気分で行先を決めてしまうし。
今の内に釘を差しておかないと。
「しつこい!!」
私の言葉を受け取ると眉を顰めてあろうことか、私の顔をこれでもかと睨み付けて来た
甘いわねぇ、それは睨んでいる内に入らないわよ??
睨むってのはこう……。するのよ。
「シツコイ??」
刹那に顔の表情と感情を消失させ、瞳の奥に漆黒の憤怒の陽炎を出現させてやった。
「いぃっ!? え、えぇっと……。復唱します。大陸に到着したら寄り道せずに東へ。そして巨大な街、レイモンド?? だっけ。その街から真南の森に下ってミノタウロスの里へ向かう」
「うんうん。良いわよ、その調子」
感情を一切籠めていない口調で言う。
「そこの里で挨拶を交わすがてら、レイモンドの街やら他の街の情報を入手。そこからは自由行動です」
「はいっ。良く出来ました」
私がいつもの表情を見せると、娘がはぁぁっと大きく肩を落とした。
「大体さぁ。別にミノタウロスの里へ向かわなくても直接街に行けばいいじゃない。人間とは言葉が通じないんでしょ?? だったらミノタウロスの里に居るあんちゃん達も街の事を知る由もないでしょ」
あんちゃんって……。もう少し言い方という物を覚えて欲しいものだわ。
「そうねぇ……。でも、彼等の里には『美味しい』 作物がこれでもかとあるのよねぇ」
ここで敢えて、とある単語を強調してやる。
当然、娘はこれに悠々と釣られる筈なのだ。
「へ、へぇ!! ふぅん。そうなんだぁ……」
はいっ、見事に一本釣りです。
今から味を想像してか、二つの目は普段通りだが口元はもう既にだらしなく垂れ下がってしまっていた。
「他種族と会うのは初めてでしょ?? 色々と経験する事は損じゃないわよ??」
「ん――。それもそっか。喧嘩吹っ掛けられたら張り倒せばいいんだし」
「あのねぇ……。直ぐそうやって暴力で解決しようとしないの。話し合い、考えを共有して解決策を……」
「あ――!! はいはい!! 説教は帰って来てから聞くわ!!」
マイちゃんが私に向かって適当に手を振ると彼女の体から閃光が迸った。
「よっとぉ!! おう!! 今日も絶好調ね!!!!」
天を裂く事を可能とした大きな翼を広げ、それを一つ羽ばたかせると烈風が生じて洗濯物を大きく揺らす。
大地を確実に捉える太い二脚に大木を紙のように裂く事を可能にした爪。
鋭い深紅の目の下には岩をも噛み砕く事を可能にした龍族が誇る牙が備わる。
私と遜色ない立派な龍の姿が再び名残惜しい気持ちを湧かせてしまった。
「ふふんっ。龍族の誰しもが羨む尻尾の艶も最高じゃん!!!!」
背の先にある巨大な尾を上下に軽快に振ると野太い音が中庭にこだまする。
確かに娘の尻尾は私でさえも羨む龍鱗の艶加減だものねぇ。
「本当に行っちゃうのねぇ……。お母さんはちょっと寂しいわ」
「だからさぁ、さっき言ったじゃん。永遠の別れじゃないって」
「まぁ、そうだけど……」
娘の旅立ちを名残惜しまない親はいやしないだろう。
私もその例に漏れる事は無く、いつまでも彼女の凛々しい姿を脳裏に焼き付けていた。
「荷物を持って……っと!! よっしゃ!! 準備完了!!」
こんもりと盛り上がった背嚢を大きな手で軽々と持ち上げて私に最後の別れを告げる。
「ふふっ、行ってらっしゃい。ちゃんと前を見て飛ぶのよ?? 渡り鳥を食べない様に。それと……」
「あぁ、もう!! 続きは帰ってから聞くわ!! じゃあ行ってきます――――ッ!!!!」
風の力を纏った龍翼が二度、三度大きく舞うと土埃が舞い上がり巨躯が空へと浮き上がり。
「は――い!! お土産はいいからねぇ――!!」
「うんっ!! それじゃまたねぇ――――……!!」
空高く広がる蒼天の中に深紅が吸い込まれて行くと私はその姿が見えなくなるまで彼女が描いた軌跡を見上げ続けていた。
行っちゃった……。
気を付けて行って来るのよ?? そして沢山冒険をして聞き飽きる位の土産話を持ち帰って来てちょうだいね。
「――――――――。行ったか」
娘の旅立ちを確と見届けると低い男性の声が背後から届いた。
「えぇ、今しがた。ふふ、見送るのが恥ずかしいからって隠れなくてもいいのに」
私が振り返ると一人の男性が腕を組みそっぽを向いていた。
「べ、別にそういう訳ではない!! 只、こういうしんみりとした雰囲気が苦手なだけだ」
「もう、天邪鬼なんですから」
「ふんっ」
でも、そういう所が好きなんだな。私は。
「ね、あなた??」
彼の腕に己が腕を絡めて娘が見えなくなった空を仰ぎ見る。
「何だ??」
「マイはきっと沢山の友人を作って帰って来るわ。そして私達が想像しない出来事を引っ提げて帰って来るの」
「お、おい、友人は兎も角。後半部分は不穏だな??」
「マイは私達の娘よ?? 絶対普通に帰って来る訳ないもん。お腹を痛めて産んだ子だから分かるの」
彼の立派な肩にコトンと頭を乗せて話す。
「そうかもな」
「ひょっとしら、彼氏。ううん。将来を誓い合った伴侶を連れて帰ってくるかもよ??」
「な、何ぃ!?!? それはぜっっっったい許さん!!!! マイと結ばれる者は俺を倒した者だけだ!!」
そんな人はこの世に存在するのかどうかさえ怪しいわね。
「私はどんな人でもマイが選んだ人なら祝福するわよ??」
「俺は許さんからな!?」
「もう……。怒りん坊さん……」
彼の顎に指を当て五月蠅い口を此方に向かせ、半ば強制的に閉じてやった。
「んっ!?!? ――――。ま、まぁ…………。釣り好きな奴なら……。考えてやってもいいかも」
彼の口から己の口を外すと照れた声を放ちながらポリポリと鼻頭を掻く。
「んふっ。二人の娘達は暫く帰って来ないし、これからは……。沢山の時間が出来るわね??」
毎日顔を合わせて育児に苦労した話や下らない話を交わしつつ夫婦の絆を再び深めていくのよ。
今まで出来なかった事をするのもいいかもね!?
お弁当を作って森の中をお散歩したり。龍の姿に変わって大空の中を二人で手を繋ぎながら飛翔しちゃうのもいいかも!?
きっと……、ううん。絶対楽しいと思うのよね。
しかし、私が思い描いていた素敵な育児後の夢と願望は彼が放った言葉で脆くも崩れ落ちてしまった。
「あぁ!!!! どれだけこの時を待ち望んだ事か!! 実はな?? 今日から三日間耐久釣り三昧ってのを考えていたのだ!! ふふ。きっと楽しいぞぉ。娘も居ないし、好きな時間を好きな様に使用しても良い!! 新調した釣り竿もきっと出番を待ち望んで……。フィロ?? どうした??」
「……ッ」
彼が得意気に話している途中で腕を外し、中庭を通り抜けて終始無言のまま母屋へと向かって行った。
彼が楽しみにしている考えの中に私の存在が一切合切含まれていない事に対して憤りを感じざるを得なかった。
信じられない!!!! 私の可愛い妄想を返してよ!!
これからって時に自分の趣味ばかりを優先して!!
「お、おい!! 待てよ!! 何か悪い事したか!?」
「知らない。勝手にすればぁ??」
「は、はぁ??」
全身全霊の力を籠めて母屋の大きな扉を派手に閉じてやった。
こうなったら彼の部屋に置いてある釣り竿を全部へし折って、釣り道具を窓から放り投げて豪炎で焼き尽くしてやろうかしら。
燃え盛る釣り道具の前で慌てふためき、目から涙を零す姿を想像すると幾分か気分が和らいだ。
マイちゃん?? 男はね?? 下らない事を考える生き物なのよ。
女より自分の事を優先する愚劣な下等生物だ。
あなたは滅私奉公してくれる様な男性を選びなさいよ??
「フフフ……。さぁ、私の怒りに触れるとどうなるか……。それを分からせてあげましょうかね」
指の関節を何本か鳴らしつつ石造りの階段を登って行く乾いた心地良い音が頭の中に響く。
さぁって私と彼以外ここには居ないし。超久々に大暴れしちゃおっと!!!!
待っていなさいよぉ。忌々しい釣り道具共めが……。
大魔の血を引き龍一族を一手に纏める覇王をも恐れ戦かせた龍族の天才が今から向かって行きますからねぇ……。
『ギィィヤアアアアア――――――ッ!!!! お、お、俺の釣り竿がぁあああ!!!!』
『まだまだ沢山あるから構わないでしょ。ほら、それも私に差し出しなさい』
『こ、これは絶対駄目だ!!!! 古い友人に心血を注いで制作して貰った……』
『あぁ、あの卑猥な鼠の事ね。知らない仲じゃないし。それもポキっと逝かせるわ』
『お願いだから鎮まってくれ!! 何卒!! 何卒ぉぉおおおお!!!!』
憤怒に塗れた女性が釣り道具を破壊する恐ろしい音と、悲壮感に塗れた男性の声が美しい空の下で鳴り響く。
女性の怒りを買ってしまった一人の男性の阿鼻叫喚が天を穿つのは誰もが容易く想像出来るであろう。
男は自分が命の次に大切にしている道具を何故破壊されなければならないのかと必死に思考を凝らしていた。
その答えを導き出す為には大量の時間を費やしてしまうと、彼の性格と思考を熟知している者であれば想像に容易い。
『駄目に決まってるでしょ。腕の中で必死に守り続けている竿も出しなさい』
『これも駄目だ!! こ、これは俺が下げたくも無い頭を下げて作って貰った竿何だぞ!?』
『知らないの?? 貴方のやっすい頭なんて一山幾らの価値しかないのよ』
『や、止めてくれぇぇええ――――ッ!!!! 俺が悪かったからぁぁああ!!』
無駄に過ぎて行く時間の中で失われて行く彼の宝の数々。
彼は大量の宝を失った頃に漸く己の過ちに気付き、彼女が言った通り一山幾らの安い価値の頭を下げに下げ続けた後。漸くお許しを貰えた。
彼等の上空を飛翔して行く鳥達は眼下で行われている非情なやり取りを反面教師にして女性の怒りは決して買うべきでは無いと悟り、己の巣へと普段と何ら変わらない速度で帰って行ったのだった。
お疲れ様でした!!
これにて番外編の投稿は終わりになります。次の投稿は本編となりますね!!
そしてその投稿日はキリの良い所で三月の三日にします。
本編の最終章がいよいよ始まるのですが、最終決戦に至るまで第二部に繋がる御話を盛りこまなければならないので戦いのパートまで少々お時間が掛かります。予めご了承下さいませ。
そして、宜しければ番外編の評価をして頂ければ幸いで御座います……。
それでは皆様、次は本編でお会いしましょう!!




