恐怖の大魔王は突如として現れる
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
大地の果てから届く微風がそっと優しく窓を叩きその音が鼓膜を優しく刺激する。
静寂の中に響くその音色はどこか心を落ち着かせる効果があるようだ。本日の釣果で満足に至らなかった俺の蟠り、憤りを柔らかく溶かしてくれた。
翌日に備えて部屋の燭台に灯る橙の明かりを頼りに道具の整理を続ける中、日常にありふれた音色に人知れず感謝の言葉を心の中で呟き大きく息を漏らす。
「ふぅむ……。竹竿のしなり、撚糸の練度、そして重り用の鉄と釣り針。どれも素晴らしい逸材を使った道具なのだが……」
竹竿は大陸の末端の森の奥地に生える頑丈な竹を利用した素晴らしい強度誇る逸品だ。
撚糸は麻と知り合いの者を通じて練って貰った糸を合わせた至高の作。
重り用の鉄は黒鉄を使用し、釣り針は自ら製作して餌を食んだ魚が逃げぬ様に返しもちゃんと作ってある。
これを見た釣り人は口々を揃えてこう言うであろう。
『最高傑作』 だと。
それなのに!! 何故魚が掛からない!!
待てど暮らせど浮きは動く気配を見せず、たまぁに動いたと思ったらすぐさまピタリとその動きを止めてしまう。
魚が釣れないのは道具だけではなく第三の要素的な何かが足りないんだ。
「むぅ……」
自慢の竹竿を床に置き体の前で腕を組んで今日一日の己の行動を思い返す。
俺の行動に一々イチャモンを付ける恐怖の大王は小旅行に出掛けており、なぁんのしがらみも無く釣り場である湖に出掛け。年不相応な鼻歌を奏でつつ餌を釣り針に付けて投擲。
ふむふむ、相変わらず完璧な初動だ。これこそ釣り人本来が取るべき行動であろう。
釣り糸の先の浮きの羽をじぃっと見つめ、動かない事に少々飽きたらのなら流れる雲をおかずにしながら空気を美味しく飲み込む。
流れ行く雲の数を数えるのが億劫になったのなら再び水面へと視線を戻す。
この反復動作が釣り人の腕前を証明している、と。釣りのツの字も知らぬド素人どもは口を揃えて言うだろうが真の釣り人はこの時間をも愛でなければならないのだ!!
水面から魚が顔を覗かせるその時を想像して心を温め、微かな当たりを見逃さぬ様にして釣り竿に指を添える。
釣りを始めてから何度も行って来た行為を続けつつ無限とも思える時間を有効活用する為に少々の昼寝を享受。
それからは……。あれ?? ずっと同じ風景の繰り返しだぞ??
何だ、釣りの作法が間違っていないのなら俺に落ち度はない筈だぞ!!
『じゃあ、何故魚はお前の餌を食まないんだ??』
憤怒にも似た得も言われぬ感情がぬるりと心に湧くともう一人の俺が心の中から語り掛けて来た。
魚が釣れないのは邪念……、だろうか。
『はっ!! 安易だな!!』
仕方がないだろう。釣りたいのは本心なのだから……。
いっその事久方ぶりに海釣りにでも変更しようか??
だが、この大陸近海の魚は猛々しい連中ばかりだからなぁ。
自慢の竿が折られたらたまったもんじゃない。しかも、湖の主さえ未だ釣れていないのだ。そこから逃げ出しても何も良い事は無かろう。
いや、でも……。魚の当たりをこの手で感じたい。魚が水面から顔を覗かせる刹那を心に刻みたい!!
これでもかと満面の笑みを浮かべて散々俺の事を罵って馬鹿にした妻を見返してやりたい!!
その為には結果が必要なのだ!!
万人が大きく頷く大きさに巨大に光る鱗。どっぷりと太った腹の魚体を持つと腕が嬉しい悲鳴を上げる。
大物を釣り上げた時のあの素晴らしい感触をもう一度体感したいのだ。
あの湖よりも海の方が釣れる確率は遥かに高い。釣り人の本懐を成し遂げる為に多少の事には目を瞑る、か??
『逃げるのか??』
違う!! 釣る場所を変えるだけだ!!
『それは言い訳だろう。貴様は釣り人としての矜持を曲げたのだ』
自分の声に言い返せない己が情けない。
不甲斐ない腕の所為で俺は今日も釣果を上げなかったのだから……。
悔しさに胸を痛めていると腹の虫が不機嫌な声を突如として上げた。
そう言えば……。昼から何も食べていなかったな。
癖の強い龍族の集まりを難なくこなし、各族長から寄せられる議題を纏めて意見を集めて、会議は滞りなく終えた。
俺の楽しみをとことん邪魔する龍族の集まりを終えて帰宅するとベッシムが腕を揮った昼食を提供してくれて、それを瞬く間に胃袋へと詰め込み湖に出立した。
そこからはずぅっと水面と睨めっこだ。生物は生きていれば腹が減るんだ。
もう遅い時間だし適当に何か食べて明日に備えて今日は寝ようか??
ポンっと膝を叩き立ち上がろうとすると頭の中に突如として雷が発生した。
――――。
待てよ?? 生物は腹が減るんだよ、な??
つまりこれを言い換えれば魚も当然腹が減るって訳だ。
『ふっ。漸く気付いたか、未熟者め』
あぁ、やっと理解したよ。
本日の情けない釣果は餌が原因だったんだ!!!!
もうこれしか考え尽かない!! 俺にこれ以上足りない物はないからな!!
己の意見を肯定する様にウンウンっと激しく頷き、快刀乱麻を断つ勢いで問題を解決すると廊下から思わず仰け反ってしまう様なけたたましい足音が聞こえて来た。
この足音は……。非常に不味い。
姿形は見えぬが恐らく肩で風を切り、目くじらを立て、そして双肩から強烈な魔力を滲ませながら歩いているのだろう。
その姿を視界に捉えた者は口を揃えてこう思う事だろう。
あぁ、あの人はきっと何かがあってあそこまで怒っているのだろうと。
長年連れ添ったお陰か足音だけで相手の感情が手に取るように分かってしまうのも考え物だ。
「あなた!!!! 今帰ったわよ!!!!」
「お、おぉ。お帰り」
件の人物が俺の部屋の扉を勝手に開けると帰宅の第一声を放つ。
勇ましく開かれた口からは怒気を含んだ息が零れ、荒い呼吸によって肩は大きく上下に動き、縦に見開かれた目は彼女の伴侶である俺でさえもちょっと引く程に血走っている。
大方想像通りの姿である事に何故だか良く分からぬ安心感を覚える一方で、これまで幾度と無く強敵を退けた妻が此処まで荒ぶる理由は一体何だろうと不思議な疑問も浮かぶ。
悪魔も慄く様相の彼女の背後では勇ましい勢いで開かれた木の扉が苦い顔を浮かべ、甲高い音を奏でながら閉じようか閉じまいか中途半端な位置で迷っていた。
「ちょっと聞いてよ!!!!」
「聞いている。先ずは落ち着け。怒り狂った牛でもそんな鼻息を荒げないぞ」
その怒り狂った牛でも今の妻を見たら情けない声を出して踵を返すだろうさ。
さてと……。釣り竿を破壊されたらたまったものじゃないし。
釣り竿を安全地帯に置いて理不尽に襲い掛かって来るであろう衝撃に備えるか。
「誰が牛ですって!?」
「ぐぇっ!!!!」
フィロの二つの腕が首に絡みつくと容易に俺の体を宙に浮かべてしまう。
宙に浮いた二本の足がせめてもの抵抗として小さく動かすものの、彼女は俺の首をへし折る勢いを保ったままギュウギュウと締め付けて来た。
く、くそっ。予想していた衝撃の三つ上を行く攻撃に早くも心が折れそうだぞ。
「いい?? よぉく聞きなさい」
「は、はい」
「あのね?? 向こうの大陸で色んな友達と会って来たのは知っているわよね??」
「あ、あぁ。そう言って飛び立っていったな」
陽性な感情を隠しもしないで出立したのに何がどうなったらこんな憤怒を抱えて帰って来るのだろう。
「イスハの所でお酒を飲んで温泉に入って体を癒して。王都でした買い物で心を潤し。ミノタウロスの里で陽性な感情を貰ったんだけど……。最後に会った友人が不味かったわ」
「誰に会ったんだ??」
「フォレインよ」
フォレインか。
今は蜘蛛一族を一手に纏め、その昔は霞刀と呼ばれ俺達そして当時を知る魔物達からは恐れられていた。
陽動にも計略にも動じない冷静沈着な傑物であり妻の良き友人の一人でもある。
「奴に会ったのが何故悪い??」
「お互いの見解の相違よ」
「見解?? 申し訳無いがそろそろ手を放してくれないか?? 首が折れそうだ」
「あぁ。悪い悪い」
妻が恐ろしい顔のままぱっと手を放すと。
「いでっ」
臀部に激しい衝撃を受けてしまった。
もう少し優しく下ろしてくれよ。
「――――。よいしょっと。それでさぁ、聞いてよ」
俺の首をへし折る勢いで握り続けていた彼女がポンっと弾む様に俺のベッドに腰かけて話す。
「だから聞いていると言っている」
「あっそ。フォレインとはね、教育の方針で言い合いになったのよ。向こうは自分の娘にもう既に色々と教え込んでてさぁ。私が未だ物事の分別を見抜けない子に色々と詰め込み過ぎじゃないって言ったのよ。そしたら!! 何て言ったと思う??」
「さぁ」
俺はお前じゃないし。
そして、蜘蛛一族に親交がある者はいない。分からなくて当然であろう。
「話せない猿に育てる人よりマシって言ったのよ!? も――――。それで怒っちゃってさぁ!! さっきまでずぅっと言い合いしていたのよ!!」
成程、その喧嘩の所為で帰りが遅くなったのか。
「マイは??」
「部屋で寝かしつけて来たわよ。あっ!! ぬふふ――。それでもちょっと良い事あったのよねぇ」
「何だ??」
「フォレインの娘、アオイちゃんって言うんだけどさ。二人で喧嘩始めちゃったのよ。きっとあの二人は性格が合わないのよね。取っ組み合いになってどっちが勝ったと思う??」
表情を見る限りその結果を聞く前から答えは既に分かっているのだが……。
「当然、私の娘よ!! いやぁ、あれは愉快だったわ!! 向こうの娘がぐずって泣き出すのを必死に堪える姿が……」
「お前なぁ、他人様の家で派手に暴れるなよ」
「お前??」
冷徹な目がジロリと俺を捉えると肝が大変大きな冷や汗を浮かべてしまう。
「おほんっ。フィロ、他人の家で暴れるのは了承出来ないぞ」
「ふんっ。向こうが先にちょっかいを出して来たのが悪いのよ。私は悪くないもんっ!!」
はぁ……。出たぞ、いつもの奴だ。
こいつは俺と二人きりの時になると素の性格が出てしまう癖がある。
ベッドに仰々しく仰向けに倒れ、シーツの淵から出た足を無意味にバタバタと上下に激しく揺らし己の憤りを表示する。
こういう時は決まって慰めを求めるのだ。
「教育の方針が違うとはいえ、自慢の娘を猿呼ばわりするのは確かに頂けないな」
「でしょ!?」
がばっと上体を起こして嬉しい笑みを漏らす。
ほら、もう機嫌が良くなってきた。
「それでさぁ。ここにオークが大挙を成して襲って来ても助けてあげないぞ――って言っても。私達で何んとかしますぅ、だとさ!! あんた達の所為で他の種族に迷惑掛けるなって言ってもさ――」
はぁ……。この下らない愚痴はまだ終わりを告げないのか。
俺の言葉を聞いては上体を起こし、そして溜まった憤りを語り終えると再びパタンと仰向けになる。
いい大人が起こすべき行動では無いなのだが……。妻の反復動作を見ていて飽きない自分にも驚きを隠せない。
久方ぶりの小旅行はきっと彼女の中では大切な思い出の一つとして保存されたのだろう。そうでなければこんな風に忙しなく動く筈は無いのだから。
月が大欠伸を放ち西へと向かい、眠気眼の太陽が月に朝の挨拶を交わす暁の頃。
「ん――……。大方言い終えたし、眠たいからそろそろ部屋に帰ろうかしらね」
「あぁ、お休み」
「お休み――……、あっ、でももう少し話したい事があるかも??」
「それは気の所為だ。頼むから寝かせてくれ……」
「何よ!! 妻の愚痴を聞くのが夫の役目でしょ!?」
扉と部屋の間で五月蠅く喚く妻を無理矢理部屋の外に追い出してしっかりと施錠を掛けると安堵の吐息を漏らした。
妻の強制的な拘束から漸く解放された俺は月に倣って顎が外れるのでは無いかと思われる角度で口を開き、新鮮な空気をこれでもかと取り込んで眠りの準備に取り掛かった。
眠気で思考が定まらない中、それでも本日使用すべき餌の数々を思い描きながら床に着いたのであった。
お疲れ様でした。
現在、最終話の執筆と編集作業中ですので次の投稿まで今暫くお待ち下さいませ。




