判断が甘かった海竜さん
お疲れ様です。
本日の投稿になります。
静寂な朝も大分進むと街の様子は喧噪の序章を奏でていた。
晩秋の実りを知らせる作物を一杯に載せた荷馬車が嬉しそうな音を奏でて車道を走り、仕事に遅れるのかそれとも待ち合わせに遅れるのか。額に大粒の汗を浮かべながら走る若い女性。
そして。
「ねぇ、聞いてよ。この前さ……」
「あらやだ!! うちもそうだったのよ?? 夫の帰りが遅くてぇ」
「「アハハ!!」」
歩道の脇で家庭や夫の愚痴を話し合って軽快な笑いを上げている主婦の方々。
陽気な天候に相応しい姿が街の至る所に存在していた。
『カエデ、書店ってどこにあったっけ??』
私の右隣りを歩く先生の綺麗な念話が頭の中に響く。
『西大通りは銀時計の側、東大通りは東門との中間地点、南大通りは武器屋の側ですね』
目ぼしい大きな書店はこの三店。
先ずは宿屋から近いお店に向かって人の流れに乗り、西大通りの歩道を歩き続けている。
『銀時計、か』
ふっと懐かしむ瞳を浮かべ、間もなく見えて来るであろう銀時計の場所を見つめていた。
『レイドと待ち合わせた場所、ですね』
『彼ったらさ――、待ち合わせ時間に遅れて来たのよ?? 女性を待たせるのはどうかと思わない??』
『それは分かりますけど……。レイドは仕事で疲れていましたし、少し位なら大目に見ても宜しいのは??』
私なら、うん。
少しでも、ずっとでも待つかな。
だって……。レイドと一緒に歩けたら嬉しいもん。
『甘い!! 男って生き物は甘い顔をするとす――ぐ調子に乗るから駄目なのよ。主導権を握りたければ厳しく躾をしなさい』
『躾、ですか??』
『そう。反抗したら手痛いしっぺ返しが来るんだぞって体に刻み込んでやるの。うふふ……。彼が私に屈服する日も近いわねぇ』
ふぅん。先生はそうやって接しているんだ。
この前のデートの時はそんな感じはしなかったけどな??
終始笑っていたし。
それだけ楽しい時間だったのだろう。
『お、噂をすれば影。銀時計、見えて来たわよ』
先生の目線の先へ視線を送ると見事な造りの銀時計が無表情な顔で街の賑わいを見下ろしていた。
そしてその前の広場では複数の男女が明るい笑みを浮かべて会話に華を咲かせている。
朝から元気ですねぇ。
ま、今の私には関係ない事ですが。
『あらあら。今日も御盛んねぇ――。今から生殖行為をするのかしら??』
淫靡な笑みを浮かべて彼等の営みを見つめる。
『知りません。書店はこっちですよ』
『あ、もう。待ってよ!!』
卑猥な言葉に背を向けて銀時計の直ぐ側の書店へと足を運んだ。
「いらっしゃいませ」
うん、静かで気持ちが良いですね。
五月蠅さが常駐する街中とは真逆。
店内は紙の香りと知的な雰囲気に包まれていた。
既に何名かのお客さんが本を手に取り、沈黙を守りつつ文字に目を通している。
良いですね、やはり書店はこうでないと。
本が整然と陳列されている棚の前を歩き、お目当てである新刊が置かれている場所へと向かう。
『ふぅん。色々あるのねぇ』
『宜しければ色々見繕いますよ??』
『大丈夫。今は本を読む気分じゃないの』
今は……ですか。
先生が本を読む姿を想像出来ないのは私だけでしょうかね。
本より、こう何んと言うか……。
男を追いかけまわしている姿が良く似合う。
怒られますから、言いませんけど。
『あそこじゃない?? 新刊が置いてあるの』
そうです。
この店はどういう訳か、店の最奥に新刊を纏めて置いてあるのですよ。
普通、新刊は売れ筋商品ですので目の付き易い入り口付近に陳列すべきでしょう。
店長さんに一言申したい所ですが、言葉が通じぬ以上それは意味を成しません。
走り出したい気持ちを抑えて目的地に到着すると目を皿の様にして目当ての本を探す。
えっと…………。
モールド氏の探偵物系列はっと……。
あった!!
一枚の紙に。
『モールド氏が書く探偵物系列最新作、大農場からの針小棒大。凸凹探偵の二人が織り成す活躍劇は一見の価値ありです!!』
そう書かれているが、その隣には空白の空間が見受けられた。
う、嘘ですよね!?
『あちゃ――。売り切れちゃったみたいね??』
開店してまだ一時間足らずですよ!?
『これは由々しき事態です。あり得ません』
『他にも置いてあるじゃない。ほら、この……大罪からの冤罪とか。暗殺者からの恋慕とかあるわよ??』
空白の空間の隣に積まれている幾つかの本を手に取り、先生が話す。
『それはもう持っています。続編物でして、今回で十作になるのです』
『ふぅん。題名にからのって付くのが面白いの??』
『いいえ。出来の悪い主人公と、大変優秀な助手が繰り広げる物語が面白いのです』
しまった。
十作という記念だから売れちゃうんだ。
しかも、昨日付けの新聞に今日発売と記載されていたし……。
私の考えが甘い事を痛烈に思い知らされてしまった。
『先生、次の店に行きましょう』
『あ、はいはい……』
静かなお店に似合わない速度で踵を返して出入り口へと向かう。
今の私の剣幕は呑気に草を食む牛をも動かすでしょう。
あ、ユウの事じゃないですよ??
恐らく今頃盛大にクシャミをしているであろう彼女に一言付け加えて店を後にした。
『ねぇ――。歩くの速いわよ――』
『これ位でいいんです!!』
本当なら駆けて行きたいのですが……。先生を置いて行くのは流石に気が引ける。
分相応な足取りで東大通りへと向かい始めた。
『そんなに焦らなくても売り切れないって』
『私が欲している本は少数ですが熱烈な愛好家が居まして。しかも発刊部数も少ないのです』
私が急ぐ理由はこれだ。
さっきの本屋さんに積まれていた作品は比較的発刊部数が多い作品。
特に少ない。
三作目の『孤島からの脱出』。
六作目の『想い人からの信託』。
この二作品は手に入れるのに苦労しました。
どちらも魅力的な登場人物が目立ち、人気があるのです。
私が好きなのは孤島からの脱出。
今も暇を見つけては何度も見返しています。
『買った本はどうしているの??』
『家に持ち帰って自分の部屋に保存してありますよ』
『態々家に持ち帰っているの!?』
先生が大きな目を見開いて話す。
『えぇ。昼間に移動しては皆さんと両親の迷惑になりますので、時間が出来て尚且つ魔力に余裕がある日の夜中にこっそりと空間転移で移動しています』
『はぁ……。まぁ、カエデの魔力なら一人位なら余裕か』
『余裕ではありませんよ?? 往復分の魔力を消費しますからね。レイド達には黙っていて下さい。バレたら私の家に押し寄せて来そうですので……』
別に招いてもいいのですが、綺麗に陳列した本を荒らされたくないし。
それと……。
『うっひょ――!! カエデ!! あんたこんな下着持ってるんだ!!』
『あたしにはちょっと大きさが合わないかなぁ』
『あはは!! 本当だっ!! ユウちゃんじゃあ零れちゃうね!!』
陽気な三名が好き勝手に暴れて部屋の隅から隅まで探索してしまう恐れがあるのですよ。
一度招いた時もマイとユウが私の部屋の箪笥を勝手に開けたし……。
別にそれは構わないのですが、本の棚だけは荒らされたくないのです。
『ん!? 美味しそうなパンがあるわよ!!』
最短距離を突き進む為、中央屋台群に到着すると。馨しい香りが私達を包む。
マイ程ではありませんが、否応なしに食欲が刺激されてしまい唾液が分泌された。
『屋台、空いているし。朝ご飯買って行きましょうよ』
「…………」
どうするべきか。
ここで数分を消費して、もしその間に本が売り切れていたら。
けど、お腹が空いているのも事実。
『ほら、行くわよ』
『あ……』
悩む私の手を取り、半ば強引に屋台の前に移動させた。
こういう強引な所が先生らしい。
「いらっしゃい!! 美味しいベーコンパンだよ!!」
少し強い油がパンに染み込み肉のありがたみをこれ見よがしに私達に見せつけて来る。
しかもかなりの大きさ。
一つでお腹が膨れちゃいそう。
「お姉さん達、幾つ買うんだい??」
先生は黙って二本の指を立てた。
「二つだね!! 毎度あり!! 三百ゴールドだよ!!」
安いですね。
現金を取り出そうと鞄に手を入れると。
『ここは私が奢ってあげる』
『ありがとうございます』
先生の言葉を受けて素直に礼を言い、鞄から手を放した。
「ほぉら。落とさないように気を付けてね!!」
美味しそうな小麦色のパンを入れた長めの紙袋を頂き、人の流れに沿って再び移動を開始した。
『座って食べる??』
急ぎたいのは山々ですが、歩きながら食べるのは行儀が良くありませんね……。
『えぇ。東大通りへ抜けてから座って頂きましょう』
『はいは――いっ』
「は――いっ!! 皆さ――ん!! 進んで良いですよ――!!」
交通整理のお姉さんの許可を頂いて車道を横断。東大通りの直ぐ近くのベンチに座り、紙袋を開けた。
へぇ……。本当に良い匂いだ。
小麦のふわぁっと甘い香りが少しだけ強張っていた肩の力を解きほぐし、直ぐ後に続くお肉の香りがお腹の中で眠っていた私の食欲さんの肩を掴む。
『頂きま――すっ。んふっ、美味しいわね』
『少し脂が強いですけど……。はい、美味しいです』
ベーコンの塩気と、小麦の甘さが丁度良い塩梅で口一杯に広がり私の舌と体は両者共に合格点を叩き出した。
良く考えればこれから一日を過ごそうと言うのに何も口にしないのは不味いですね。
もしかしたら、先生はそれを見越して私に朝食を勧めたのかもしれない。
『ここにレイドがいたらなぁ。口移しで食べさせてあげるのにっ』
『行儀が悪いですよ』
『細かい事は気にしないの』
そう言いながら髪をふっと搔き上げてパンを口にする。
「「「……」」」
そんな何気ない仕草でも、通りを歩く男性が先生の顔を見つめて見惚れていた。
『先生。皆見ていますよ??』
『ん?? あ――。もう慣れたから気にならないわよ』
慣れるものだろうか。
少なくとも私は慣れないと思う。
『レイドと遊んだ日もさぁ。銀時計の下で男共が代わる代わる声を掛けて来ていい加減うっとおしく思ってね。いっその事、結界でも張ってやろうかと思ったわ』
『それは止めて下さい』
先生がこの街で力を解放したら大勢の人が魔力に当てられただけで失神してしまいますから。
心臓が弱かったり、ひ弱な人は最悪命を落としかねないですからね。
『分かってるわよ。ふふ、それでね?? レイドが迎えに来たら、あんな普通の男が……。って言って目を丸くしながら私達を見送ったのよ。見る目がないわよねぇ』
それは同意します。
彼は私達を何の躊躇もなく受け入れてくれる。
そして、その事から懸念されるべき事態は……。
人と魔物の間に位置する者。
そう、この事だ。
私達が人間から迫害を受けて人間を敵に回す事になっても彼は私達の側に付くだろう。
例え、友人を敵に回しても……。
そうならないように細心の注意を払って行動している訳だが、レイドは疲れないのかな??
人と魔物の狭間に立って。
それなのにマイ達や先生ときたら、彼の身を案ずる事もせず自分達の都合の良いように扱う。
それがちょっとだけ、砂粒程度ですが鼻に付きます。
龍の力を有してしますがレイドは無敵でも不死身でもありません。
ミルフレアさんの一件から、私は気付きました。
彼を支えてあげたい。
この気持ちに嘘、偽りは無い事を。
今は心に秘めていますがいつかは彼の前で、声を大にして話したい。
私の我儘かもしれません。
けど……。
これだけは譲れない。ううん、譲りたくない。
我ながら自分勝手だと思うけどこの想いを受け止めて欲しいものです。
『はぁ、食べた食べた。カエデ、もうお腹一杯??』
『あ、いえ。食べます』
先生に声を掛けられ、食を進める。
いけません。
今は時間が無いのでした。
こうしている間にも本が着実に売れ行き。残り僅かな在庫が刻一刻と無くなって行く想像が私の顎を驚くべき早さで動かした。
『そんなに慌てなくてもパンは逃げないわよ??』
『ふぉうですか?? ンンッ!! 御馳走様でした。先生、行きましょう』
『あ、うん……』
すっと立ち上がり、次の目的地へと直進する。
お願いします。どうか売れ残っていますように……。
存在が不明瞭な本の神様に祈りを捧げ、私は次なる目的地へと向かって忙しなく二本の足を動かし続けた。
お疲れ様でした。