英雄か、さもなくば死か ~この門をくぐる者は一切の希望を棄てよ~
「神は気まぐれ。神は無謬じゃない。神は人を選別する。神は……。いや、だから俺たちは、神など信仰すべきじゃない……」
俺は鋭い剣で、脆弱な小動物を鏖殺していた。
なぜ死のとき、生命は過剰なまでの血液を大地へまき散らすのだろう。
まるで赤い液体で満たされた肉の風船だ。いや、「まるで」などと比喩のように言うべきじゃない。血液でパンパンになった肉袋そのものだ。
大量の死肉。
青空を映し込むほどの一面の血液。
これは犯罪行為ではない。
モンスター退治だ。名目上は。
虐殺の対象は「ボールピッグ」と呼ばれるモンスターだ。
見た目はまっしろな、マシュマロのような愛らしい小動物。森の奥で独自の生活を営んでいる。
警戒心が強く、俺たちが乗り込むとすぐさま戦闘になる。
かなり弱い。少し強く蹴っただけで死ぬ。こちらは剣まで有しているから、まず一方的な虐殺になる。
俺は血なまぐさい空気を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出して、振り返った。
美貌の女が、うっすらと笑みを浮かべていた。
「また一歩、英雄へ近づいたわね」
「ただの殺しだ」
「神はあなたを祝福しないかもしれない。けれども、私は祝福するわ」
「神などと……」
「ね、殺してるときいっつもブツブツ言ってるけど、なんて言ってるの? 教えて?」
「ただのひとり言だよ。意味なんてない」
俺は英雄じゃない。
現代日本に生まれた、少なくとも能力的には平凡な存在だ。
それがあるときどこかへ呼び出され、戦いを強いられた。いや、強いられたというのはウソだ。俺はこの女の話に乗せられて、自分の意思で殺害を繰り返している。
英雄には、特別な武器とヒロインが与えられるという。
たしかに、意味不明なほど強力な剣が与えられた。そしておそらくヒロインであろう女も。
長いまつげに、ガラス玉みたいな虚ろな眼球。淡く輝くようなプラチナの髪。スラリと伸びた四肢。淡いブルーのサマードレスを身にまとっている。見た目だけはいっぱしのヒロインだ。
彼女の正体は分かっている。
異星人だ。
俺たち地球人よりも少しだけ先に進化した人類、ということらしい。とはいえ、色素が薄く、身体がややほっそりしていること以外、俺たちとの違いはない。
名はフレア。
きっと本名ではないが、そう名乗っている以上、フレアと呼ぶしかなかった。
「頑張った原始人にはご褒美をあげないとね」
それが彼女の常套句だ。
褒美というのはごくシンプル。
好きなだけヤらせてくれる。
ただそれだけ。
それだけのために、俺は命令に従っている。
だから、彼女のせいで命が消えているのではない。俺が、俺の欲に負けたせいだ。欲のために命が消し飛んでいる。これは正しく「悪」であろう。
いまの俺は、あらゆる誹謗中傷を受けるにふさわしい存在だ。いまに始まった話でもないが……。
「なあ、こんなこと繰り返して、ホントにあんたの言う『英雄』とやらになれるのか?」
俺は鞘へ剣をおさめた。
加護を受けているとかいう刃は、血に汚れることはない。
彼女は、こちらより背が低いのに、まるで見下ろすように顔をあげた。
「なれるわ。あきらめなければね。そういう設計だもの」
「設計、ね」
何者かの意図が介在している。
モンスターどもの暮らすこのファンタジーみたいな世界は、異星人の設計した舞台装置なのだろう。
俺はバーチャル空間ではないかと疑っているが、それはすでに彼女から違うと言われている。だから現実なのだろう。地球上のどこかなのか、あるいは別の場所なのかは分からない。
「不満なの?」
「いや」
「ご褒美は? ここでする? それとも宿に戻ってから?」
「いまはいい」
体中に戦いの興奮が満ちていて、正常な判断ができそうになかった。
アドレナリンの出すぎだ。
目もチカチカする。
モンスターを殺す。
褒美をもらう。
その繰り返しだ。
女の真の目的は不明。
表向きは、俺を英雄にすることだそうだが。
*
宿に戻ってから、動けなくなるほどヤった。
彼女からすれば、サルを相手にしているようなものだろう。言葉が通じるだけ他の動物よりマシかもしれないが。
「なんでこんなことするんだ?」
終わったあとで説教をするダサいおじさんみたいだとは思ったが、俺はそう尋ねないわけにはいかなかった。
彼女はぐったりしたまま、目だけをこちらへ向けた。
「話すと長くなるわ」
「いいよ」
「私がよくないの」
*
無益な戦いは続いた。
モンスターを殺す。
飽きるほど血を浴びる。
血を洗い流して、女とヤる。
だが、変化は突然やってきた。
フレアに道を案内された俺は、その日もモンスター退治だと思い込んでいた。
場所は、森の奥の朽ちた遺跡。
石像が倒れている。
待ち構えていたのは、魔術師のようなローブの老人。
傍らには、ショートヘアの小柄な女もいた。
「先客がいるようだが?」
俺が尋ねると、フレアはかぶりを振った。
「あれが討伐対象よ」
「モンスターには見えない」
「あなたと同じ英雄候補よ」
つまり、人間を殺せというわけだ。
このとき俺は、ようやくこのゲームの「設計」を理解した。
老人も傍らの女となにか話していた。かと思うと、いきなり女の頬を平手で打った。
老人は怒った様子でこちらへ近づいてきた。
「お前と戦うつもりはない。俺は降りるぞ」
「……」
俺はイエスともノーとも応じなかった。
戦わずに済むならそれでいいと思ったからだ。
「もし降りるなら、代償を差し出す必要があるわ」
フレアが呼び止めた。
余計なことを、とは思ったものの、俺はあえて口を挟まなかった。
老人は足を止め、いまいましげに振り向いた。
「代償? なんだそれは?」
「それは神が決めるはず」
「バカバカしい! 付き合いきれん」
足早に行ってしまった。
背が遠ざかってゆく。
その姿が、にわかに閃光に包まれた。
かと思うと、ズガンと耳をつんざくような炸裂音。
天から放たれた雷が、容赦なく老人を焼いたのだ。
彼は膝から崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
一瞬で黒焦げになり、あっけなく死んでしまった。
「不戦勝だったわね。あなたには戦利品が与えられるわ」
フレアがそう告げると、老人の女が近づいてきた。
「私はパペット。あなたを祝福する従者となります」
冥い目をした女だ。
叩かれた頬がまだ赤い。
俺たちは特に理由もなく殺し合い、勝ったほうが女をぶんどっていくようだ。
原始人には原始人らしいルールを、ということか。
俺は思わず笑った。
「祝福なら間に合ってるよ。ついて来なくていい。自由にしてくれ」
するとパペットは、機械のような無表情のまま応じた。
「神が許可しません」
「神?」
茶化してやりたかった。
しかし、ついいましがた、その神とやらに老人が焼かれたばかりだ。
俺の想像する神とは違うのかもしれないが、なにかがいるのは間違いなかった。
「分かったよ。じゃあついてきてくれ。あんなふうに殺されるのはゴメンだからな」
「……」
無口なタイプのようだ。
*
宿に戻ると、さっそくひと悶着あった。
「さ、ご褒美を受け取って」
フレアが身を寄せてきたのだ。
パペットが見ているというのに。
「待ってくれ。まだ着いたばかりだろう」
「なにか問題でも?」
「彼女が見てる」
「知ってる」
一体どういうつもりなのだろうか。
俺は彼女の肩を押し返した。
「その前に、聞きたいことがある」
「つまらない話なら、したくないんだけど」
「あの老人は何者だ?」
「言ったでしょ。あなたと同じ、英雄候補よ」
それは聞いた。
俺は遠慮なく溜め息をつき、こう尋ねた。
「なぜ選ばれた?」
「くだらない質問ね。彼女に聞いたら?」
パペットが知っているということか。
彼女は無表情のまま、壁を見つめている。俺たちのことなど興味ないとばかりに。
「なあ、パペット。教えてくれ。あの老人は、なぜ選ばれた?」
すると彼女は、冥い目をギョロリと動かし、こちらを見た。
「どうしても知りたいのですか?」
「できれば」
「そうですか。ならばお答えします。彼は、私の好みだったのです」
「はっ?」
いや、いいのだ。
老人を好きな女がいてもいい。
だが、本当に?
彼女は乱暴な扱いを受けているようだった。本当に、彼女があんな男を望んだとでも言うのだろうか?
パペットはかすかに息を吐いた。
「順を追って説明しましょう。一連の戦いは『教会』によって管理されています。その教会が、地球人から英雄候補を選出します。そして私たち祝福の巫女が、その中から自由に英雄候補を選び、ナヴィゲートします」
「教会というのは?」
「それ自体が固有名の、私たちにとって唯一の『教会』。けれども、神の存在はそれほど重要ではありません。『教会』が追及するのは、なぜ『教会』が存在しているのか。つまり、設立理由さえ思い出せないほど……言ってみれば愚かな組織なのです」
たしかに愚かだ。
そして彼女も、その愚かさを理解している。
まったく意味が分からない。
「合理化が進んだ結果、すべての概念は相対化され、無意味と思われる事象はことごとく捨て去られました。私たち宇宙ネイティヴは、あらゆる原始性をロストしてしまったのです」
「悪いこととは思えないが」
「いいえ。人類の大半は、そこまでの合理化に耐えられなかったのです。だから私たちは、意味の分からないものを、どうしても保持しておきたかった。そのひとつが『教会』です」
皮肉な話だ。
本当に必要なもの以外を捨てたら、心に穴が開いてしまった。
人はどうしても余剰を欲してしまう。
どうあっても、ミニマリストにはなり切れない。
「その『教会』は、なぜ俺たちを選んだんだ? 選考基準は?」
「罪」
聞きたくない言葉が出てきた。
罪――。
俺には罪がある。人の命を奪った。しかし世間はそれを事故として処理したし、俺に同情の眼差しさえ向けた。
俺は罪を犯しておきながら、しかるべき罰を受けずに生きてきた。
「つまりこれは、俺たちを罰するためのシステムなのか?」
「いいえ」
「じゃあなんだ? なにをさせたいんだ?」
罰するなら罰せばいい。
回りくどいことなどせずに。
けれども、彼女の瞳は冷たかった。
「あなたは英雄になるのです」
「それになんの意味がある?」
「意味? それは順序が逆です。『教会』はまず英雄を誕生させ、それが人類にどんな興奮をもたらすのか調査しています。一部の例外を除き、サンプルになりうるレベルの興奮は、データ上にしか存在しませんから。英雄が誕生してから、初めて私たちはその意味を知ることになるでしょう」
「……」
興奮?
巣箱でアリを育てるみたいに、英雄を作って観察しようってのか?
そんなことのために、俺は地球から拉致されたのか?
するとフレアがまた身を乗り出してきた。
「ね? つまらない話だったでしょ?」
「待ってくれ。まだ話の途中だ」
「続きは私が教えてあげる。あなたが私に勝ったらね」
*
俺はこういうことに自信があるわけじゃない。
けれども、彼女は話にならないほど弱かった。
体が華奢すぎるのだ。
「教えるわ……」
フレアは呼吸も荒れて、げっそりした顔になっている。
地球人と比べると、あまりに体力がなさすぎる。
「じゃあ質問だ。この戦いはそもそもなんなんだ? 断片的にではなく、順序立ててイチから教えてくれ」
断片的な情報だけ出されても、その前後がなければ理解は難しい。
彼女は深い溜め息とともに、ほっそりとした指先で、艶めくプラチナの髪をかきあげた。
「私たちは宇宙を放浪する部族なの。母星を出てから数千年が経過していて、そのルーツさえ分からなくなってしまった。歴史を知っているのは機械だけ。導入していたAIは、数世紀前から対話不能になってしまった。私たちはそれを、皮肉を込めて『神』と呼んでる」
「なぜ地球人をさらう?」
「たまたま地球に接近したときに、神が英雄譚を歌ったのよ。『教会』はAIを道具としか見ていなかったけれど……きっと興味を持ったのね。失われた原始性を補完したいというのは、みんなの願いだったし。願いというか、まあ、暇つぶしでしかないけれど。それで地球人の協力を得ることにしたの」
勝手な理由だ。
自分たちで宇宙に飛び出しておいて、いろいろ忘れてしまったから、地球人を使ってそのデータを取ろうというのだ。
「なぜ体を差し出す?」
「それも英雄の原始性を引き出すためよ。もっとも、私はそこのパペットと違って、もともと原始的な性質を持っていたから、この役はピッタリだったけどね。彼女がなぜ志願したのかは知らない。知りたくもないけど」
パペットは口を挟んでこない。
彼女にも彼女なりの理由があるはずなのだが。
俺はいちど天を仰ぎ、頭を整理した。
話の筋は分かった。
だが、受け入れられそうもない。
「なぜ俺を選んだ? 罪を背負った人間なら、いくらでもいるだろう?」
「それは『教会』に聞いて。どうせAIを使ったんだと思うけど。アレは基本的に対話不能だけど、自分の主張したいことだけは主張するから」
「あんたは、俺の事情を把握してるのか?」
「ええ。全部ね」
つまり、事故とはいえ、俺が家族を皆殺しにしたことを知っている、というわけだ。
俺が困った顔をすると、フレアは必ず満足げな笑みを浮かべる。
この女は、人の不幸を見るのが好きなようだ。
するとパペットが淡々と語を継いだ。
「強いコンプレックスを抱えている人間は、英雄願望も強くなる傾向にあります。きっとあなたもそうだったのでは?」
「アタリだ」
もちろん皮肉を言った。
俺に英雄願望なんてない。
俺はただ……家族に謝りたいだけだ。いや、謝ったってなにも解決しない。だから本当は、過去にタイムスリップして、事故を止めたいのだ。でもそれができないから、ずっと抱え込んでいる。
あの件はニュースにもなったから、見ず知らずのヤツらがネットに好き放題「感想」を書き込んだ。
どれも見るに堪えないものだった。
悪気はないのだろうが、ただ「悲惨な事件やね」とだけ書かれたものでさえ癇に障った。黙っていればいいのに、高みから、一言コメントを投げ込んでくる。「助かったガキがかわいそう」などと、一見心配するかのようなコメントにもイライラした。かわいそうだなんて絶対に思ってない。なんだガキってのは。なんでこうも偉そうなんだ。
誰も彼もが、他人の生き死にを、自分の人生のスパイスくらいにしか考えていない。
いや、俺もそうだった。
どこの国で誰が何人死のうが、飛行機が墜落しようが、交通事故が起きようが、クラスメイトが入院しようが、運の悪いかわいそうなヤツとしか思わなかった。
当事者になるまで、俺もネットのユーザーと一緒だったのだ。
その事実に行き当たったとき、吐き気をもよおした。
俺はあいつらを批判できない。ずっと同じことをしてきた。たまたま当事者になったから、今度は「知りもしないくせに勝手なこと言いやがって」などと怒っている。
ライターで紙を燃やして遊んでいた。
いつもは、すぐに消えてくれた。
俺は火をつけては消すという遊びを繰り返した。
だけどあるとき、火が俺の想像よりも大きくなった。俺はその炎を眺めていた。頭がまっしろになってしまった。火がおさまって欲しいと思っているのに、俺の気持ちとは無関係に、部屋中を焼き始めた。
姉が「なんかくさいんだけど」と部屋に入ってきた。
それから悲鳴。階段をドタドタ移動する音。親がなにかを叫んでいた。
その後、煙を吸い込んで、気絶したと思う。
俺はほぼ無事だった。
が、俺以外のみんなが死んだ。
祖母に引き取られることになり、学校も転校となった。それからの記憶は、あまりない。
知らない顔。よそよそしい態度。いじめられることはなかった。死んだみたいに生きてきた。誰からも相手にされなかった。
社会人になって、祖母の家から出ることなく、地元で働き始めた。
祖母は猫を飼っていた。
ある夜、俺は異変を感じた。
物音がしたのだ。
祖母が包丁を持って立っていた。
声が出なかった。
殺されると思った。
だけど、殺されなかった。
もしかすると、祖母は夜になるたびそんな行為を繰り返していたのかもしれない。
俺が気付かなかっただけで……。
いつか殺される。
そうなる前に、祖母を殺さねばならない。
そんな思いが、日に日に募ってきた。
気が付いたら、この世界にいた。
殺したのか、殺されたのかは分からない。
ただ、英雄になれと言われた。
「祖母はどうなった?」
「知らないわ」
答えたのはフレア。
パペットは口をつぐんでいる。
本当に知らないのか、知っているのに黙っているのか……。
「分かった。英雄になるよ。ほかに、することもないしな」
考えるのがイヤになって、俺はついそんなことを口走った。
フレアは妖しく微笑んでいる。
「そうよ。あなたは英雄になるの。私たちに思う存分その原始性を見せつけて? 期待してるわね、原始人さん」
そう。
俺には、ほかにすることがない。
(終)