ジョゼフ・ウルヴェンワルド自伝
自伝を記すに当たり、私――ジョゼフ・ウルヴェンワルドは何処から人生を語るべきだろか?
勿論、父と母の愛から産まれたその日を始まりとするのが正しいだろう。だが、あの時に産まれた赤子は、果たして“ジョゼフ・ウルヴェンワルド”であっただろうか?
答えは否だ。
あの時の私は、まだ私ではない無垢な存在であり“私”と言う“個”ではない。
私は産まれながら私ではなく、私と共に私になったのだ。
では、始めて私が私になった日は何時だろうか? ウルヴェンワルドの森を走りまわった幼少時代だろうか? 旅行先の聖エント院で見た大レオナルドの絵画を見た時だろうか? 父について一六歳で従軍した地獄の体験だろうか? 戦場から抜け出して画家を決意した朝だろうか?
考えるまでもない。
太陽歴一六五一年。一月二三日。彼との出会いが私の運命を決定付け、私は私となった。
戦場から逃げ出し、家名を捨てた当時の私が向かった先は、鉄血帝国の首都アイゼンリュリオンだった。当時のアイゼンリュリオンは今よりもずっと雑多で混沌としていたように思う。先々代の皇帝ビルクス三世は無類の新しい物好きで、彼の統治する都には大陸各地から珍しい物が集まり、異国の奇妙で珍奇な生き物や、嗅ぎ慣れない臭いを発する食べ物、異形の人間の見せ物小屋、胡散臭い秘薬や霊薬、古の砂漠の遺跡から盗掘されたミイラ、それらを目当てにした旅行客が都中に溢れ返っていた。
だが、残念ながら私は見せ物小屋の主人でもなければ、錬金術師でもなかった。当時の帝都には、前述した連中以上に、職を求める地方の人間や、職にあぶれた浮浪者達で溢れ返っており、私もそう言った一人だった。
幸いなことに、文字の読み書きができる私は、小さな酒場の従業員になることができた。会計役として雇われたはずだったが、実際は夕方から夜中までウエイターとして働くことが多かった。給料は良くなく、日中は日雇いの仕事をして小銭を稼ぎ、キャンバスと絵具を買う為の資金に充てていた。
そう、私は画家になるために都に出て来たのだった。
だが、現実は非情だ。精巧さを追い求める私の画風は、当時の帝都の主流ではなかった。絵画は表現の手段であり、馬鹿正直に現実を描く私の絵は古臭い時代遅れの作品だと鼻で笑われ、勤める酒場の壁に飾られるのが精々であった。その絵を見た誰かが買い取りたいと言うことは一度もなく、どっかの先生が才能を目にかけてくれると言うこともなかった。
そんな生活を繰り返すこと半年。年明けの祭り騒ぎも消沈し、いつも通りの喧しい日常が戻って来た頃、私は買ったばかりのキャンバスを脇に抱えてビスルク川のほとりを歩いていた。今も昔も帝都の中心と言えるビスルク川だが、当時はまだ開発が途中で、“ほとり”なんて言う言葉から想像される牧歌さはなかった。狭い道の上を大勢の人間が歩いており、貴族の馬車が通る時は皆慌てて端によって嵐が過ぎ去るのを待つように小さくなっていた。
当然と言うべきか、日に数度、ビスルク川への落下者が出た。あまりにも溺死者が多い為、教会は溺れた人間を助けた場合には三万、出来死者を蘇生させた場合は三〇〇〇万の報奨金を出すと掲示を出した程だ。
その為、ビスルク川の近くには、いつも溺れた人間を探す人間達が少なからずいた。が、蘇生の三〇〇〇万に強い魅力を覚えた者達の数は多く、溺れた人間を見つけると直ぐに助けることはなかった。殆どの者は被害者が疲れきって川底に沈んでから救助へと向かうことが殆どだった。
その日も、そうだった。馬車に驚いて一〇の少年が川に落ちたのだが、助けに飛び出す者はいなかった。父親らしき商人の男が叫ぶが、周囲の人間は私を含めて誰も動き出そうとしない。私は泳ぎが達者でなかったし、キャンバスを盗まれることを怖れていた。
私の隣には医者らしき男達がいて、二人はそれぞれ蘇生の為の道具を持って、今か今かと少年が溺れ死ぬのを談笑しながら眺めている。一人の手には瀉血(悪性の血を抜く治療方法)用の刃物を持ち、もう一人は鞴のついたチューブを持っており、肛門から空気を入れて蘇生するのだと言っていた。
今の私からすれば、二人の治療法は治療法とも言えないお粗末な物だが、当時の人間は皆、瀉血は万能の治療方法だと信じていたし、肛門から空気を打ち込むことにも確かな効果があると考えられていた。
いよいよ、憐れな少年は川面から沈み切った。医者の奴隷達が冷たい川に飛び込むと、暫くして少年は引き上げられた。川の冷たさと呼吸停止により青くなった顔は明らかに死人の者で、神父が心音を確認してその死が宣言された。
二人の医者は喜び勇んで少年の蘇生に取りかかろうとするが、それに待ったをかける声があった。
「貴様達! 何をするつもりだ!」
突然割れた人混みから現われたのは、黒髪黒眼のまだ幼さを残す顔立ちアーグリア人であった。彼の背後には屈強な褐色肌の五十男が控えており、誰がどう見てもラウ族の傭兵だとわかる革の防具を身に付け、腰には大きく反った剣が鈍い輝きを放っていた。
「メーストールの若先生だ」
誰かが言った。
「“血を怖れる医者”か」
「とんでもないヤブだって話だぜ」
「水銀を毒だって言って治療に使わないらしいぞ」
「手と口を洗えば病気にならないって戯言を言っているんだって?」
「病院の看護師に掃除をやらせているって話だ」
野次馬達が次々に“メーストールの若先生”について噂を口にする。
その殆どはネガティブなものだったが、お陰で彼がどんな人間かわかった。医者だ。それも都に大きな病院を構える名門“メーストール”の嫡男である。現在と変わらず、当時も医者は権力ある職業だが、メーストールはその中でも特に大きな力を持っていた。帝都医療協会の四大幹部の一家であり、代々皇族の助産医者の大役を担っている名医の家系、貴族でこそないが、その地位と栄光は軍の末席を汚していた私の家系の比ではないだろう。
だが、この若先生の評判はよろしくなかった。
血を忌み嫌い、エプロンや医療器具を熱心に洗う。水銀を有毒物質だと言う論文を提出した。大量の瀉血には医療的な効果は一切ない。伝統的な薬を否定し、手洗いや水浴び、日光を浴びること、適度な運動が健康に必要だと訴える。病院のシーツを細かに交換し、患者の包帯も毎日変えるように看護師に強要する。
当時の常識から考えれば、若先生の主張は全て馬鹿馬鹿しい妄言であり、目立ちたがり屋のボンボンが阿保なことをしているだけと多くの人間が彼のことを見下していた。
だが、中には違った目で彼を見るものもいた。
「馬鹿言え。あの先生は悪魔だぞ。あのラウ族の傭兵の頭を見ろ」
屈強なラウ族の頭部は全て髪の毛が剃られており、そこには三日月型の大きな刃物傷があった。比較的新しい傷で、みるからに痛々しい傷だった。だが、それ以上に奇妙な傷だった。もしアレが斬撃によるものであるのなら、頭蓋骨を吹き飛ばして脳にまで刃が達していることだろう。それは死を意味する。あんな傷を受けて、生きていられるわけがなかった。
「あの傷は、若先生がやったんだ。工事現場からレンガが落ちて来て、あのラウ族の頭にぶちあたったんだ。最初は平気そうだったが、すぐにぶっ倒れちまった。その場の全員が死んだと思ったんだが、たまたま通りがかった若先生は、ラウ族の頭の皮を切って頭蓋骨に孔をあけて、頭の中の血を吸い取ると、切り口を縫って蓋をしたんだよ。そしたらあのラウ族は甦って、先生に忠誠を誓うようになったんだ」
頭の皮膚を切って、頭蓋骨に孔をあける。それはどんな拷問よりも恐ろしい話だろう。
若先生のおぞましい噂はそれだけではなく、浮浪者の死体を引き取って腸を並べて見たり、貴重な薬を犬に飲ませたり、生命には共通する原理があると主張し、その中には生命は絶えず変化すると言う聖書の記述に真っ向から逆らう物もあった。
神をも畏れぬ冒涜的なその医者は、金とラウ族の武威で二人の医者を息をしていない少年の傍から追い払うと、「見本を見せる俺の真似をしてくれ」とラウ族に告げた後に両の手を使って、溺死した少年の死体の胸部を思い切り押し潰した。何度も何度も一定のリズムでそれを繰り返すと、ラウ族が「わかった」と呟いてその動きを代わった。少年の父親は「これ以上息子を痛めつけないでくれ」と泣き叫んだが、悪魔の医者はそれを無視した。
そればかりか、医者は少年の顎を掴んで喉を真っ直ぐにすると、鼻を摘まんで口を広げ、自身の口を使って少年の口内へと息を吹き込んだ。同性同士の接吻に神父が怒りの声を上げたが、医者はそれも無視した。
少年の死体に向かって暴虐を繰り返す二人。
神父が怒り、少年の父親が泣き崩れ、野次馬達が騒ぎ立てる中、私はその光景に「まさか?」と言う念を強めていた。理性は想像を否定するのだが、有り得ないとわかっているのだが、私はその光景から目を離すことができなかった。
そして、その時が訪れた。
「っがはぁ!」
何度目かの医者の接吻が終わった直後、少年が口から臭いビスルク川の水を吐き出したのだ。まるで世界が停止してしまったかのように、周囲から音が消え去り、少年の噎せる音だけが私の耳朶を打った。
「奇跡だ」
と、誰かが言った。
その一言を切っ掛けに、「奇跡」の言葉が爆発的に広がった。あの医者の呼吸はまさしく“神の息吹”だっただろう。野次馬の興奮は収まらず、神父は感極まって泣き出していた。
「蒙昧な連中め。初歩的な医学だろう」
そんな我々を眺め若先生は悪態を吐き出すと、少年に何事かを話しかける。どうやら少年の状態を確認しているようだった。一通り話し終わると、少年の父親から謝礼を受け取り、ラウ族の傭兵に声をかけた。古兵の傭兵は、神父の頬を叩いて正気を取り戻させると「三〇〇〇万、メーストール病院の第二病棟まで持ってくること。証人は腐るほどいるぞ」低い声で脅すようにして報奨金を求めた。
私は宿に戻ると、一気にあの時の様子をキャンバスに描く。仕事もサボった。一切の誤謬をも許さぬように、脳裏に焼きついた光景を白紙の上に起こす。少年に息吹を押し込む医者と、心臓を再び動かそうとするラウ族の傭兵。神々しさも、主観も必要としない、ただありのままの事実を私は筆で描いた。
一睡もせずに絵を描き上げた私は、そのままメーストールの病院を探して帝都を走った。昼過ぎに病院に辿り着いた私は、看護師の一人に金を握らせ、若先生に取り次いでくれるようにお願いをした。看護師はしっかりと私の希望を叶えてくれ、神経質なまでに清掃が行き届いた来客室に案内された。
「お待たせしました」
先生が私の元を訪れたのは、飲めないコーヒーが冷めきった二時間半後だった。私より五つ年上の彼は、当時二三歳だったはずだ。
が、彼の雰囲気は私の父親の世代のように疲れ切ったものが隠し切れておらず、重ねて来た経験や時間の重みが、まるで私とは違うのだと思い知らされた。
時間に追われるようにしていた彼は、単刀直入に私に要件を訊ねた。実際、何時も彼は沢山の時間を必要としていた。この時の私は質に出していなかった貴族用の服を着ていた為に面会が叶ったが、そうでなければ門前払いされていただろう。
私が絵描きだと自己紹介すると、彼の態度は露骨に悪くなった。昨日、三〇〇〇万の報奨金を手に入れ成金相手の画商だと思われたらしい。昨日からひっきりなしに、そんな連中が訊ねて来るものだから、この時の先生の機嫌は最低のものだった。
それに加え、先生にとって絵画等は低劣な娯楽だった。金持ちの自慢の為に存在する無価値な物で、画家と言う贋金造りに比べれば盗人も聖人に見えたとまで豪語した。そんな物を買う金があるのならば民に還元するべきだし、そんな物を描く余裕があるのならば社会の為に働けば良いと、激しく私を罵った。
どれだけ説明しても、先生は私の話を聴いてくれず、押し付けるようにしてキャンバスを渡すと、私は逃げ出すようにして病院を後にした――のだが、その四時間後には先生の使いだと言うラウ族の傭兵に捕まり、再び病院の敷居を跨ぐことになる。
「昼間はすまなかった。ちょっと苛々していたんだ」
応接間に案内されると、先生は深々と頭を下げて謝罪を口にした。そして私の反応を待つことなく、「君を雇いたい。絵描きとして、だ」と話を続けた。昼間の出来事がなければ、一も二もなく飛びついていた誘いではあったが、私の心には歓喜よりも先に嫌疑が立った。それこそ、何かの詐欺じゃあないかと。
疑いの眼差しを受け、先生は「これを見てくれ」と一冊の古ぼけた本を寄越した。それは四〇〇年前の名医が描いた人体解剖図の写本で、医者達が人体を理解するのに使う標準的な教科書であった。彼はそれを「ガキの落書きにも劣る」と評価した。確かに、その通りの作品だ。戦場で腸の飛び出した死体を一度でも見たことがあれば、この解剖図が簡略化され過ぎてまるで参考になりそうもないことがわかるだろう。
「帝国の医者は、碌に人体解剖もせず、それを見て人の身体を知った気になっている」
ぞっとする話だった。だが、次に先生が口にした言葉はそれ以上に私の背筋を冷たくさせた。
「だから、君に描いて欲しいんだ。もっとクオリティの高い解剖図を。ついて来てくれ」
先生は立ち上がり、私はラウ族の傭兵に背中を押されながら彼を追った。案内されたのは病棟から少し離れた場所にある建物で、中に入ると血と腐敗臭が鼻を突いた。ラウ族の傭兵が部屋のランプを付けて回ると、臭いの正体がわかった。死体だ。まだ真新しい健康そうな男の死体が、作業台の上に寝かされているのだ。
「新鮮な死体だ。処刑場から盗って来た。これからこいつを解剖する。その様子を君に描いて欲しい」
私は、震えあがった。傷つけられた死体は、審判の日の後に甦ることはない。死後に肉体をバラバラにされると言うのは、ひょっとしたら殺されることよりも恐ろしいことであった。何枚もの画用紙とペンや鉛筆を渡されるが、私は首を横に振ることしかできない。
「私は、画家になりたいんだ! こんな恐ろしい手伝いなんてできない!」
私の主張に先生は不思議そうに首を傾げる。
「これも画家の仕事じゃあないのか? 夫人の裸体を描くのと、死人の腸を描くことに違いがあるのか?」
「あるとも! 私は芸術として、人々の心と記憶に残る物を描きたい! こんなおぞましい物を描く為に、筆は取れない!」
涙ながらの私の言葉に、先生は「なら、丁度良い」と笑った。
「君が描くのは、世界で最初の精巧な人体解剖図だ。君の描いた解剖図を多くの医者達が未来永劫、参考にするだろう。君の絵に、私はその未来を感じた。君の描いた内蔵を見て、人体の活動や病理のメカニズムへの理解が進む。それはこの先の未来で、億千万の患者の命を救う切っ掛けになるだろう。君の絵の持つ精確さが、人類の発展に役立つのだよ」
この言葉に受けた感動を、私は言葉にする術も、絵にする技術ももたない。
故に、事実のみを述べる。
太陽歴一六五一年。一月二三日の午前。
後に“医聖”“今アクタスス”と呼ばれる青年“メリクリウス・メーストール”との出会いが、今の私が生まれた。ジョゼフ・ウルヴェンワルドは、“メリクリウスの筆”ジョゼフ・ウルヴェンワルドとなったのだ。