人殺しの青年
数時間が経ち、空は赤と黒に塗り潰され、野獣が夜の訪れを告げているように鳴いていた。
狼が現れて襲い掛かってはこないだろうか。
生物が吠える度に、少年と少女は風に揺らされる木々に、不安げに目を遣る。
そんな中でもリチャードは動じることなく、タロットカードの隠者の如く俯きながら、カンテラの弱々しい光だけを頼りに、淡々と歩を進めていた。
「なに、急に……」
突然ヘンリーの横にいたシェリルが、彼の腕に抱きついた。
「怖いのか」
彼女は少年の言葉に、首を横に振る。
だが口に出さずとも、少女の気持ちには気がついていた。
「俺も怖いからさ、しっかり掴まってて」
「……ありがと、ウィル」
リチャードは昼間と違い、彼らが親密な様子を見せてもからかいはしなかった。
幼き日の自分とベラを、少年と少女に重ね合わせていたからだ。
二人を馬鹿にすれば、間接的に過去の自分たちを責めてしまうように感じたのである。
「あんまりビビるこたぁねぇぞ。動物なんぞ、滅多にきやしねぇからな」
「そっか、ならいいけど……」
日中途切れ途切れだった三人の口数は、闇が濃くなるにつれ増えていく。
喋っている間だけは、陰鬱な感情を忘れさせてくれる。
「なんか、かわいそうなことしちゃったな。とっさに身体が動いちゃったけど」
ヘンリーは彼女の肘鉄で、死亡したコボルトのことを思い返した。
戦闘の最中には殺しはいけないという、人としての倫理感は吹き飛んでいたが、槍の一撃を貰ったモンスターが苦悶しながら絶命する際には、少年にも幾ばくかの罪悪感と同情心が沸き上がっていた。
「けど、私たちは戦うことが生業だから。快楽目的で殺戮するのとは別でしょう、ヘンリー。あのまま何もしなかったら、この場に立っていられなかったかもしれない」
シェリルは落ち着いた様子で、彼を諭す。
彼女の意見は冒険者として、至極真っ当な考えだった。
少年の突きが外れていたら、コボルトは自分に襲い掛かってきただろう。
もしそうなっていれば、返しの反撃でシェリルやリチャードが致命傷を負っていたかもしれない。
魔物と争うということは、すなわち自分や仲間の命を天秤に掛ける覚悟が必要なのだ。
「そうかな。早く慣れないと、みんなに迷惑かけちゃうな」
「そうだ。金持ちの道楽みてぇに殺してるわけじゃねぇ。必要に駆られて淡々と始末する。それだけさ」
リチャードも、彼女の言葉に同意した。
日々、自分が食いつなぐ分だけ命を奪う野生動物のような生き様が、彼の信条なのだろうか。
二人の意見を聞いて、少年は少しだけ心のわだかまりが解けた気がした。
「そう簡単に割り切れそうにないな……。けど、やっぱり一番対処に慣れてるのは、リチャードだったね」
「ん、ああ。まぁ、モンスターに加減してちゃ、いつ亡くなってもおかしくないからな」
話を振られたリチャードが呟いた。
「モンスターに対して、上手く立ち回れるようなコツとかないかなぁ……」
おそるおそるヘンリーは聞いた。
交戦中に声を張り上げて自らを鼓舞したが、その空元気がいつまでも通用しないだろうことは、彼自身が一番理解していた。
手が震えて、精確に槍を突き刺せないのではないか。
手汗で滑って、持った武器がすっぽ抜けてしまうのではないか。
少年の不安の種は尽きなかったのだ。
「慣れだよ、慣れ。場数を踏めば亜人と同じように、人間に対しても手を下せるようになるさ」
あまりにそっけない態度で、人殺しを示唆するような言葉を 驚きを隠せなかった。
日常的に殺しをしていないと、晩飯の献立を聞くような軽い口振りで語ることはできないだろう。
「ねぇ、人を殺したことがあるの?」
リチャードは歩みを止めた。
「だったらなんだ」
そういって、リチャードは後ろへ振り返った。
眼光鋭い眼は
「そうだ」
とわざわざ言わずとも 肯定の意を示していた。
目の前の男は、人を殺したことがあるのだ。
迂闊な発言は、彼を刺激してしまう。
恐怖のあまりヘンリーは体を震わせたが、それに気がついたシェリルは何を言うでもなく笑む。
不安な気持ちを抱える自分を、安心させようとしてくれている。
何より、その気持ちが嬉しかった。
ありがとうの心を込め、彼はぎこちない笑顔で返すと、生唾を呑み込んで言葉を続けた。
「成り行きでしょうがなく、だよね。リチャード」
腫物を触るように訊ねた。
ぶっきらぼうで、他人を自分の心の中に立ち寄らせない接し方ではある。
だが花の効能などを親切に教えてくれたり、道案内をしてくれた彼が、根っからの悪人とは少年にはどうしても思えなかった。
リチャードは目線を逸らすと、正面に向き直す。
「ああ。ダンジョン内の敵はモンスターだけじゃあない。不慣れな新米冒険者から金品を奪おうとする、野盗に堕ちた連中がうじゃうじゃいるんだ。人に対しては無抵抗主義……なんて、貫けると思うなよ」
突き放したように、彼は喋り掛ける。
「……その時になったら、どうするか選ぶよ」
「馬鹿が。そんなんじゃ、命が幾つあっても足りねぇよ」
悪態をつくものの、肝心の少年は悪口を聞き流していた。
武器を手にしながら戦わずに死を選ぶほど、自分はお人よしではない。
危険が迫れば、昼間のように力を揮うだろう。
自分も、彼と同じように人を殺めるかもしれない。
彼は明日の自分なのだ。
少年も冒険ものの伝記や英雄譚で、英雄たちが野盗や盗賊と戦ったと見聞きしていた。
だが物語の生き死には、読んだ者に爪痕を残そうと、極端に脚色が施されるのが日常茶飯事だ。
それゆえに遠い絵空事、空想の世界にしかないことだと考えていたのである。
しかし現実は違った。
腹が減ったら食べて、眠たくなれば床へつくが如く、当たり前に人は死んでいく。
その度に感傷に浸っていたら、身が持たない。
彼はどれほど人の生き死にを体験したのだろうか。
暗い話題に、暫しの間重い沈黙が流れた。
「生まれた環境によって違うんだろう。俺は物心ついた頃から、死体なんてモンは見慣れてきたからな。それでも自分自身で殺すのは罪悪感があったがね」
刺々しい口調だが、嘘をついているようには思えなかった。
むしろ、人を殺めたことで噴出した激しい感情を、第三者が体験した出来事であるかのように語ることで、平静さを取り戻そうとしているようだった。
もしくは、ならず者たちを相手にしすぎて感覚がマヒしているのか。
いずれにせよ今の自分には理解不可能な、彼なりの苦悩があったのだろう。
察したヘンリーは、これ以上詮索するのは止めた。
「……ごめん、変なこと聞いちゃって。アンタなりに苦しいのは、何となく分かったから」
「……フン、因果な商売だよ。冒険者ってのは」
風が吹けば消えいってしまいそうな声量で、リチャードが呟いた。
「っかし強いな。お前ら、新米のくせに」
おだてではなく、彼の偽らざる本心であった。
背丈が自分より一回り二回り小さい少年が、自身よりも大きい得物を自由自在に操って、挙句モンスターに致命傷を負わせることが、リチャードにはにわかに信じられなかったのである。
基本的に対人との戦闘術しか学ばない冒険者は、いざ魔物と対峙すると物怖じしてしまい、役に立たないことが日常茶飯事なのだ。
温室育ちのルクス出身者ではないらしい彼らは、どこかで特殊な戦闘訓練を積んでいるのだろうか。
俄然興味の湧いたリチャードは、二人に聞いた。
「もしかして、モンスターと遭遇することに慣れているのか」
種族ごとの差異はあるものの、魔物の跳梁する土地で生まれた冒険者や兵ほど、屈強な傾向にあった。
実戦が一番の経験ということだろう。
「うん、そうだよ。そこで両親の狩りを手伝ってたんだ」
突然の質問に眼をぱちくりさせながらも、ヘンリーが応答する。
「そうそう、二人で協力して追っ払ってたんだよ。動物を追いかけている間に色んな魔物と遭遇してさ。家族総出で、大変だったよね」
少年と少女が顔を合わせた。
「そうか。お前たちは、そんな危険な場所で暮らしてきたんだな。もしかして幼馴染ってやつか」
リチャードは相槌を打ちつつ、探りを入れた。
「いや、同じ家で生活してたんだよ」
予想だにしなかった答えだった。
ただ同じ家で暮らしていたとなれば、自ずと関係は限られる。
「実の姉弟なのか。だがお前たちの目の色は違うし、とても血が繋がっているようには見えんな」
「いや、俺たちは家族だよ」
「……」
血が繋がった姉弟であれば、わざわざ曖昧にする必要はない。
実の姉と弟と言えば済む話だ。
何かが怪しい。
腑に落ちないと思いながらも両腕を交差させ、リチャードは納得した振りをして、うんうん頷いた。
「うん、実は俺……ごめん、何でもない。重苦しい空気にはしたくないし」
途中までいうと、一瞬驚いた猫のように大きく口を開いてから、再び口を真一文字に閉じた。
言いたくないのであろうことはリチャードも薄々察していたものの、好奇心が勝った。
立ち入り禁止の場所ほど行きたくなるように、人の秘密を知ることは、他人が知らないことを知っているという優越感を味わえるからだ。
「ヘンリー、実の両親はいないのか。そこまで喋っておいて誤魔化すのか」
リチャードは詰め寄った。
「だって陰気臭い話になっちゃうし……。リチャードだって聞かれたくない話の、一つや二つあるだろう」
「別に隠すようなことでもないけど、誰にでも話せる内容じゃないから」
話の流れで、自分の隠し事を追及されるやもしれない。
それになぜ、新米の冒険者に入れ込もうとしているのだ。
「そうだな。余計な詮索をしてすまなかった」
はっと我に返ったリチャードは、深々と頭を下げて謝罪する。
「そろそろ休むとしよう。森の方へいくと迷いかねんからな」
「了解だ」
そういうと三人は、その場に荷物を降ろして、テントを張る準備を進めるのだった。