奇妙な鳴き声
用事を終えた一行は街を出て、ルクス大公国の南西にある洞窟に向かっていく。
石ころ一つ見当たらない、湿潤な土壌の平坦な一本道が続いていた。
辺りは閑 静 で、人影すら見当たらない。
道の両端には、樹齢の低い細長い木々が鬱蒼と生い茂るブナ林。
細い枝からは濃緑の葉っぱが、空を覆い隠すように伸びている。
それゆえ林は、朝でも日暮れのように薄暗かった。
ヘンリーはその林を見て、乾いたパスタの麺を思い浮かべていた。
幹の太い木は、冬の謝肉祭前に食べるソーセージ。
気が狂いそうになる殺人的な暑さ。
顔のラインを伝う汗を拭くことすら馬鹿らしくなって、彼は妄想で気を紛らわせていた。
「おい、お前ら生きてるか~。昔、国ぐるみで洞窟からマギアライトという鉱石を採取した際に道が整備されたんだ。それ故、マギアライト洞窟なんて呼ばれたりもしてるぞ」
先導したリチャードは黙り込む2人に気を利かせて、案内しながら、歩を進めていく。
「あっちいなぁ……」
「ハァハァ……。ふぅん、そうなの」
興味なさそうに、シェリルがうつむきつつ呟いた。
呼吸は荒く、話すことすら億劫そうで、言外に「喋りたくない」と言いたげだった。
ヘンリーはそっぽを向いていて、聞いているのか聞いていないのかすら分からない。
貰った金額分だけ働くつもりはあったものの、リチャードにはその気も消え失せていた。
なら、伝えるべきことだけ伝えればいい。
「これだけは言っておくぞ。絶対に道を外れるなよ。バカでかい昆虫やら、野生のイノブタがうろちょろしていて危険だからな。この付近で不可解な遠吠えを聞いたという連中もいるし……」
リチャードは苛立ちを覚えながらも、注意した。
樹林は人間たちにとって畏怖の対象で、何より昔から折り合いが悪いエルフが暮らす場所である。
ワービーストやフェアリーなど、比較的人間に対して友好的な種族もいるものの、秋以外は冒険者などの一部の人間しか出入りしない。
秋に森へ訪れる理由は、木の実が実った秋にしか林に立ち寄らない理由は、家畜のブタに栄養豊富な種実を食べさせるためだ。
ブタといっても茶褐色の体毛が全身にびっしり生え、下の歯は弓の弦のように湾曲した大きな2本の牙があり、今でいうイノシシのような姿をしている。
「えっ! こ、昆虫?! うん、絶対行かない」
上擦った声でシェリルが放つと、木の葉がざわざわと揺れる。
「なんだぁ。お前さんは虫が苦手なのかい」
予期せぬ彼女の怯えように、リチャードがニヤニヤと微笑む。
彼の嫌らしい顔立ちに、彼女はキッと鋭い眼で睨みつけると、先ほどまでの元気のなさが嘘のように喋りだした。
「羽音を聞くと、耳がゾワゾワってするもの。それにそれに、殴るとモンスターの体液で手が汚れちゃうし。それからそれから……」
シェリルは、次から次に昆虫の嫌いな所を語っていく。
二つ三つ嫌いな点を列挙した程度では、到底話は収まりそうもない。
「ハハッ。じゃあ、ちゃんとはぐれないようにしないとな」
早く話を終わらせるため、リチャードは強引に割り込んだ。
「大丈夫だってぇ。昆虫型モンスターは、シェリルの代わりに俺が倒すからさ」
少年は任せろと言わんばかりに、自分の胸を叩く。
とガシャガシャと鼓膜に響く、やかましい金属音が鳴った。
「ありがとう、ウィル。大好きぃ~」
シェリルは、ヘンリーの頭に顎を擦り付けて抱きついた。
「暑苦しいから離れろよ~、もう」
彼の表情は、至って穏やかだった。
心底嫌な相手にはできない、そんな顔だった。
二人はちょうど頭一つ分くらいの身長差があり、傍から見ると、年の離れていない姉と弟のようにも見え、リチャードはふと思った。
同じくらいの年頃であれば、自分とベラも周囲には同じように見えたのだろうかと。
仲のいい二人を眺めていると、昨晩の記憶がまざまざと蘇ってきて、彼は思わず早足になる。
「ちょ、待ってくれよ」
「ああ、悪い……」
「急にどうしたの」
「それはそうと嬢ちゃん。さっきまでと比べると、ずいぶん話し方が柔らかくなったなぁ」
何故喧嘩腰だったのか、不思議でならなかったのだ。
「むやみに敵を増やしてもよくないしね。自分の身は自分で守らなくちゃ。ウィルに迷惑掛けたくないし」
刺々しく他人を寄せ付けない口調は、本当の自分を隠すための仮面だった。
あからさまに怪しい格好をしていたせいで、酔っ払いという敵を作ってしまっていたが、とりあえず害意はなさそうだ。
年相応の女の子らしい行動に気が抜けて、リチャードはほっと肩を撫で下ろしつつ、溜息をついた。
「シェリルは強いから、迷惑なんかじゃないよ。それはそうと、不可解な遠吠えってなんだ」
「最近、ここ周辺で聞こえるようになったらしくてな。夜な夜な、化け物が鳴いているんだとよ」
ヘンリーには、それがおかしいのか分からなかった。
オオカミ、フクロウ、ネコ。
夜行性の生物は、いくらでも思い当たるからだ。
それに何らかの要因で新種の生物が、住み着いただけかもしれない。
「それくらい、普通じゃないか」
細まった目で見つめながら、ヘンリーがリチャードに返事した。
「そうなんだよ。口頭で伝えようとすると、そんなのは普通だと否定されるんだ。だが、耳にした連中は恐ろしげに、その夜のことを語るがね。獣とも人間ともつかない、その鳴き声のことをな」
ヘンリーの言葉を予測していたかのように、リチャードは即座に返す。
「信じられないな」
神妙な面持ちで、ヘンリーは返事した。
「ま、俺は聞いたことがないから、実際に起こったことかは知らねえんだけど。悪ぃな。こんな話してよ」
頬を膨らませて、リチャードは相好を緩ませて、冗談めかして話した。
話題に困って、嘘で場を取り繕おうとしたのだろうか。
ヘンリーには、リチャードの言葉が真実なのか判断しかねた。
「それはそうと、ここらはモンスターが居ないんだな。住み心地がよさそうだ」
ヘンリーが周囲を見渡した。
「当たり前だろう、都市の近くなんだ。冒険者は勿論のこと商人も行き来するから、ほとんど現れないぞ」
リチャードが得意満面な笑みを浮かべる。
まるで自分の身内を褒めるときのように誇らしげに。
「ここだと、割のいいモンスター討伐の仕事はなさそうだなぁ、さっきのは花摘みの依頼だったし」
リチャードは、自分の心を見透かすかのようなヘンリーの台詞に、冷や汗をかいた。
「お前さんの言う通り、採取の依頼や素材探しの依頼しかないぞ。平和すぎて、食い扶持に困ってんだよなぁ。」
腹を抱えてケラケラ笑いながら、リチャードは自嘲した。
笑い話にすれば、さほど深く追及してこないだろうという打算があった。
「それでやっていけてるのか」
リチャードの予想を裏切り、ヘンリーは真面目に答えた。
その態度に誤魔化して話をすり替えたり、笑い話にするのは失礼な気がして、同じくらいの熱量でもって、彼は重い口を開いた。
「やってけるわけねぇだろうが。食っていけるのは、洞窟最深部に潜れるような屈強な冒険者たちだけさ」
昨晩のベラとの苦々しい一幕が、彼の脳内に鮮明に映し出される。
「そうか、色々大変なんだな……」
何かを察したのか、それだけいうと、ヘンリーは黙り込んだ。
リチャードも自分の心の内を悟られてしまいそうで、それ以上彼に事情を話すのは自制した。
その直後、ガサガサガサ……。
林一面に敷かれた落ち葉を踏みしめる音がしたと同時に
「グルルル……」
地を這うような低い唸りが聞こえ、三人は後ろへ振り返ったのだった。