太陽の花
翌朝
さんさんと降り注ぐ厳しい日差しが、容赦なくヘンリーの体内の水分を奪っていく。
チェインメイルの下にレザーアーマー、更にその下に厚手の長袖シャツを着込んだヘンリーの額には、玉の汗がぽつぽつ浮き出ていた。
ハンカチで顔や首筋の汗を拭いても、滝のように溢れて止まらない。
「見てるほうも暑いぜ、その格好。一枚くらい、脱いでもいいんじゃねぇか」
オールバックに整えた髪を搔き毟り、リチャードが毒づいた。
「それは無理な相談だな」
それもそのはず。
金属製の装甲全般に言えることだが、気温が高ければ鎧は熱せられ、気温が低ければ鎧は冷えるのだ。
チェインメイルは構造上、刺突には弱い。
そのため素肌に直接着ずに、革鎧を下に着るなどして、防暑、防寒対策を施し、耐久性を高めるのである。
最前線で戦闘する戦士にとって、心臓にも等しい鎧を脱いで戦いに挑むのは、自殺行為同然なのだ。
「それはそうとリチャード、約束の金額だ」
巾着袋の金貨を、彼へ一枚づつ手渡した。
「おう、待ってくれ。確かめるからよ」
この時代、一般庶民は計測器を持っていないため、感覚頼りであった。
含有量の少ない紛い物の金貨では、貨幣としての価値が下がってしまう。
傷の有無や金としての価値を損なっていないか、目を凝らし、金貨を一枚一枚入念に、舐めるように眺めた。
表、裏、その次は縁。
最後に両方の手の平に金貨を乗せ、時折重さの釣り合わない天秤のように、腕を上下させて重さを確かめた。
「よし、いいだろう。頂戴した。それとコイツを冒険者組合に届けないといけないんだ。付いてきてくれ」
金を仕舞い込むと、リチャードは一枚の紙切れを取り出す。
「そういや、そっちのやつはなんて名前なんだ」
彼がヘンリーに問うと
「ああ、この子はイ……」
「シェリルだ。リチャード、世話になる」
彼が答えるより早く、ローブの女が言った。
彼女が鮮血のような真紅の瞳でリチャードを見つめると、唇の両端を上げてニィっと微笑む。
まさか自分の方を見て笑ったのだろうか。
死人を想起させるような色白の肌の女に、リチャードの血の気が引いていった。
人間と同じような亜人。
もしや巷で噂の、魔女の類なのではないか。
警戒心からか、彼は道中シェリルと名乗る女を、何度も目で追う。
そんな彼の心境など露知らず、ヘンリーとシェリルは、見慣れぬ異国を楽しんでいた。
見渡す限り、レンガ造りの街並み。
三角屋根が特徴的な建物は、白の漆喰が所々剥げて、真っ赤な壁が丸見えだ。
街の中央には、凛とした立派な城がそびえ立つ。
二人は餌を頬張る金魚のように口を開けて、目の前の建造物に目を奪われていた。
「ここだ」
彼に連れられた冒険者組合は、コンクリート造りで二階建ての簡素な建物である。
外壁は黒くくすんでいたが、それがかえって年季を感じさせた。
雨風に晒され、削られているところも、武骨なデザインとして味になっていた。
「いつからあるんだ。ここは」
頭に浮かんだ素朴な疑問が、そのまま口をついた。
「俺の母さんがガキの頃から、このまんまだったらしいぜ。100年前、200年前に建てられたって言われても、不思議じゃねぇな」
空を仰ぎ、リチャードが感慨深げに呟く。
「そうなのか……。その頃からずっと、冒険者はいるんだな」
ヘンリーは呆然としながら、中に入っていく。
床の白地のタイルには、カラスやウサギなどの大陸を代表する生物たちが描かれており、その箇所は出っ張っている。
他に目ぼしいものは、腰掛け用の丸椅子くらいだった。
「おい。サン・ハーブ摘みの依頼を完了した。印章を押してくれ」
黒い羽根飾りが付いたハット帽、青の長袖シャツに黒ベストの男に、リチャードは声を掛けた。
「いつも助かるよ、リチャード。約束の報酬だ」
カウンター越しに、組合の男が言う。
クエスト完了を表す朱色のカラスの印章が押されると、リチャードへ報酬の70Sが手渡された。
金貨に換算すると5、6枚分で、約1週間分の給与である。
庶民からすれば大金だが、冒険者にとってはあぶく銭である。
「……チッ。この程度じゃガキの小遣いにもならんがな」
「コイツ、口は悪いけど本当はいいやつなんだよ。この前も……」
唐突に、組合の男がリチャードを褒めた。
「お、おい! 余計なこというな。失礼するぞ」
彼は気恥ずかしいのか、わざとらしくゴホゴホ咳払いすると、足早に退散する。
触れられたくないという態度だったので、ヘンリーも特に詮索することなく、彼らのやりとりをただ眺めていた。
「なぁ、さっきのサン・ハーブって何だ」
聞き慣れない植物の名を、ヘンリーが尋ねた。
「ルクス公国近辺に生えている薬草さ。これを知らないとはお前さんたち、ルクス出身じゃないな。どこで育ったんだ」
眉を八の字にして、リチャードが戸惑いの表情を見せた。
「ご名答。俺、ちょっと色々あってさ。育ったのはここじゃないんだよ」
「ほぅ……。どこで暮らしていたんだ」
「……ウィル、それ以上は」
「ああ、リチャードには内緒だ。ごめんな」
ヘンリーは、誤魔化すようにはにかむ。
彼の目は飛んでいる虫でも追うように泳いでいた。
何を隠しているのか定かでないが、事情を隠していることは、リチャードにもはっきりと分かった。
「そうか。黄色の可憐な花弁を咲かせる花で、煎じて飲むと精神安定の薬効があるんだ。他には軟骨にして、火傷した場所に塗ったり……。夏至の今が見どきだな。花言葉は……」
気にはなったが、リチャードはあえて追及しなかった。
不気味だから、という理由も勿論あった。
しかしそれ以上に大きかったのは、彼の心を覆う鬱鬱とした感情だった。
一期一会の縁だ。
深く関わろうとする必要もあるまい。
情に絆されても、後々自分が苦しむだけだ。
リチャードの心の壁はルクス公国を覆う城壁のように、高くそびえたつのであった。