魔物の波
彫像と対峙してから数分後
「いやー、すまんすまん。まさか知人の同行者に手を出してしまうとは……」
「殺しかけておいて、すまんで済むか。このバカヤロー!」
鬱憤をぶちまけながら、少年はサンハーブを塗りつける。
彫像特有のきりっとした澄ました顔立ちは、より彼の神経を逆撫でした。
「ああ、悪かったよ。ごめんごめんって」
「言葉遣いの問題じゃなくて、謝る気がないのが問題なんだよ、アホ!」
「ずいぶん失礼なやつだな。今日会ったばかりだというのに」
彫像は不満げにしていたが、それでも構わず、洪水の如く罵声を浴びせた。
喋る度に身体の節々がヒリヒリと痛んだが、溜まったものを吐き出さねば気が済まなかったのだ。
全ての不満をを出し切ると
「……話は変わるけど、魔物が活発になってるって」
気掛かりになっていた点について、少年は訊ねる。
「ほんの数日前からだろうか。モンスターが異様に殺気立ち、魔物の死体がいつもより増えている。ま、腕利きの冒険者が始末しているのだろう」
彫像は、楽観的に物事を捉えていた。
だが、国が洞窟の魔物退治に介入しない以上、その線は薄い。
道中に見た足跡も、動物のもののみ。
増えた冒険者に過剰に反応しているだけか。
或いは魔物が怯えるほどの強力なモンスターが出現したか。
少年には、どちらかしか考えられなかった。
「異変でも起きたのではと心配になったのだ。私の杞憂であればいいが」
「いや、きっと何かあるんだよ。ずっと洞窟にいるアンタが詳しいはずだしな」
洞窟にいる自分にとっても、他人事ではない。
少年は彼女の言葉に真剣に耳を傾ける。
意見を交換していると
「おおい、ヘンリー。なんだ、元気そうじゃねーかよ」
陰気な彼には似つかわしくないほど明るい声色で、リチャードが喋りだす。
普段は感情を露わにしないが、少年と合流するまでは一人が心細く、強がっていたのだと想像できた。
「よかった、アンタもここに辿り着いて。聞いてくれ、彫像に襲われて大変だったんだよ」
「ああ、あの馬鹿女幽霊に遭っちまったのか、災難だったな。ま、そいつに殺されずに済んだお前さんは、大物になるぜ」
「ハッハッハ、私に感謝したまえ。未来の英雄よ」
他愛のない会話で、少年たちは、気を紛らわせる。
暗雲に一筋の光が差し込むように、鬱屈とした気持ちは徐々に晴れていく。
止まない雨はない。
だが暗雲は、今なお立ち込めている。
目の前の難題を、着実に解決していかないと未来はない。
「この岩、どうにかして壊せないかな。じゃないと、足止め食らっちゃうよ」
「……ちょっくら試してみるか。破片が飛ぶと危険だ、岩から離れたら合図をくれ」
何か適当なものはないか。
彼は辺りを見渡したが、めぼしいものは人骨と薄汚れたカバンと衣服くらいで、他には何もない。
ヘンリーは申し訳ないと心の中で謝罪しながらも、遺骨を岩目掛けて投げつける。
「いいよ、リチャード!」
「あらゆる生命を運ぶ神よ、我が言葉が届くのならば、烈風を巻き起こしたまえ。フラーメン!」
唱えると、無風の洞窟内に一陣の風が吹き荒れた。
詠唱が終わると、地面に撒き散らされた糞が宙を舞い、次の瞬間、縦横無尽に飛び散る。
少年は手を交差させて、顔の前にかからないよう務めるのが、精一杯だった。
「き、汚いな……」
「文句いうんじゃねぇよ。命には代えがたいだろ」
「ごめんよ。で、手応えはあったか」
「釘を刺したような小さな跡はできたが、それだけだな」
「もう一度頼むよ、リチャード」
ヘンリーがせがむと、もう一度彼は詠唱する。
「……手応えがまるでねぇ。連れのお嬢ちゃんにも手伝ってもらわにゃ、どかせないかもしれんな。久々すぎて、疲れちまったぜ」
「そ、そんな……」
「お前さんとは一緒にいないのか。いればそちらからも応援をくれると助かるんだが」
ヘンリーは、ショックのあまり黙り込む。
無言の返事に、リチャードは察したのだろう。
「あの罠で綺麗に分断されちまったようだな。あの子が来るまで待機して、英気を養っておけよ」
と間断なく続けた。
「ハ、ハハ……仕方ないか」
舞い上がった気持ちは、瞬く間に低下していった。
割れて空気の漏れた風船のように、身体中の全身から、少年の生気が失われていく。
勝手に浮かれて、勝手に落ち込んだ。
それだけであって、彼は現実を淡々と伝えただけだ。
一生穴倉に閉じ込められてしまうと、ざわつく精神を落ち着かせるために、少年は言い聞かせた。
負の感情を抑え込まないと、どうにかなってしまいそうだったのだ。
「疲れちまったし、俺は……ちょっくら寝させてもらうよ」
「ここで寝られるなんて肝が座ってるな」
「お前さんもしっかり休養は取っておけ。こりゃ長丁場になるかもな……」
彼はそれだけ伝えると、岩の向こうから、カバンを漁る物音が少年の耳に入る。
「シルヴィア。眠ってる間の魔物退治を頼めるか」
「私は他の魔物同様、睡眠も食事も必要としない。迷惑をかけた君の頼みだ。素直に従おう」
安堵すると、少年の腹から爆音が鳴り響いた。
身体は正直だ、何か食べ物を詰め込まないといけない。
少年はカバンから乾パンを取り出すと、頬がリスのように膨らんでも、お構いなしに詰め込んだ。
パンが唾液を吸って、口内の水分がなくなると、少年は持ってきた酒を口に含む。
仄かな甘みを味わうだけの暇はなく、必要最低限の栄養素を供給するだけの食事を摂った。
ありったけの非常食を詰め込むと、何をするわけでもない、退屈な時間が流れた。
大岩から逃げる際や、シルヴィアと一悶着あった際には考えもしなかったことが、次々に頭に流れ込む。
虚しい気分は一向に解消されなかった。
命の危機が差し迫っているのを見て見ぬ振りをしても、誤魔化しにすらならなかったのだ。
無力な自分に苛まれる時間を、せめて有意義なことに費やしたい。
背中のハルバードを取り出した少年は、大岩へ幾度となく先端を突き刺す。
不安を紛らわせる意味もあったが、少しでも役に立ちたいという気持ちが先行したが故の行動だった。
「おい、うるせぇぞ。寝るって言ったのが聞こえなかったのか?」
休みを阻害されたリチャードが、少年へと怒声を浴びせる。
「でも、このままじゃさ……」
「まだまだ先は長いんだ、ここで体力を使い果たしちまうのか。そうなっていいのは、無事に洞窟を抜けてからだ」
少年の熱弁に、彼は呆れ気味に返答した。
どちらの意見も、ある側面では正しく、ある側面では間違っている。
両者ともそれは理解していた。
言い負かそうという気はなかったが、取った選択が命に係わる以上、意見を譲れなかったのだ。
「俺は死にたくないし、誰も死なせたくないんだよ。みんなで帰るために協力してくれ!」
「そうか、誰も死なせたくねぇ……か」
感慨深そうに、彼が呟くと、暫し間が空く。
その一言に少年は、過去にどんな不幸が降りかかったか察した。
「あ゛あ゛っ、分かったよ。お前さんに協力してやるから」
コウモリたちの大合唱を遮るほどの大声で、彼は苛立ちつつ了承する。
「ったく、我が儘の多い坊主だ」
闇の中で、鉄と固いものがぶつかる音が、時計が刻を刻むような等間隔で鳴り響く。
彼も少年に続いて、寝食を忘れて、ひたすらに岩を砕くのを手伝った。
二人にとっては、止まったように感じるほどゆっくりとした時間が経過した時
「おーい、誰かいるの。返事して!」
突如少年が子どもの頃から、毎日耳にしていた声が聞こえた。
先ほどの金属音が洞窟内に響き、シェリルに届いたのだ。
「うう、よかったよ……。生きててくれて……」
「ハァハァ……。二人とも遅れちゃってごめんね。あれ、ここに何かあるんだ」
「岩があって邪魔なんだ。疲れてるだろうけど協力してほしい」
「ちょっと魔物に手こずっててさ、壊すから待っててよ。あらゆる生命を……」
少女の魔法の威力は優れている分、周囲への被害も甚大だった。
天井にぶら下がったコウモリが失神したのか、にわか雨みたいに、少年の頭上に降り注ぐ。
服には猫が鋭い爪で引っ掻いたような、細長い跡ができていた。
目の前で起きた出来事を直視することすら困難を極めるほどの、身体ごと飛ばされてしまいそうな強風に
「こんな狭い場所で、どんな上級魔法を使ってるつうんだよ。やめろ、やめろっ!」
リチャードは、苛立ちを隠さず止めた。
「フラーメン!」
だが彼女は、気にせずに呪文を唱えた。
少年が目を開くと、粉々に砕けた岩は粉骨された骨のような、さらさらとした粒状にまで分解されていた。
目障りな障害物が消えた直後、ヘンリーに映ったのは、放心したように大口を開けたリチャードの姿だった。
「お、同じ魔法でこの威力とはな。魔術まで一流かよ、敵わねぇな」
「リチャードだって頑張ったんでしょ。皆の力があってこそよ」
「どうだ、シェリルはすごいだろ」
「ハハハ、お前さんが威張ることじゃねぇよ」
困り果てていた問題が解決し、和気あいあいとした雰囲気が戻る。
だが、それも束の間だった。
「お前たち、呑気に会話している暇はないぞ……。あっちを見るんだ!」
シルヴィアは、最深部に続く道に向かって指を差す。
目を凝らすと、無数のコウモリや青白い光、キャメル・クリケットが、荒れ狂う大波のように一行のいる場所へ向かってくるではないか。
「また面倒ごとかよ……。お前らといると、ろくなことがねぇ!」
「ハァ……ハァ……もうへとへと。もう動けないよぉ……」
一匹でも手こずったというのに、大量の魔物たちに敵うはずがない。
少年は彼女の手を引くと、一目散に逃げるのだった。
おまけ4
登場したキャラクターの会話による茶番劇です。
原作と性格が異なる場合がございますので、苦手な方はスルー推奨。
ヘ:ヘンリー
シ:シェリル
リ:リチャード
シル:シルヴィア
ヘ「あのさぁ、1ついいかなシルヴィア。くっ……って言ってくれないか?」
シル「……何故だ。何が目的だ」
シ「ええ~っ、女騎士ってそういうものじゃないの。殺されかけたり、ムフフなことをされそうな時も命乞いせず、更なる辱しめを求めるんでしょ?」
シル「偏見がすごいな?! 私は至ってまともな女騎士だ、それを今から証明してやる!」
ヘ「じゃあ女騎士らしく、『私はどんな辱しめを受けようとも構わない。だが民に手を出すな!』って言ってもらおっかな」
シ「見たい見たーい、女騎士が苦しむところ見たーい!」
シル「お嫁さんにもなったことないのに、そんなエッチな台詞を言えるわけないだろ! リチャードからも何か言ってくれ!」
リ「死んでるんだから、嫁入りもクソもねーだろ。ま、せいぜい頑張れや」
シル「からかわれて困っているんだ、頼むよ」
リ「お前に襲われて、何度も死にかけたしな。もう充分じゃねぇか、ここいらで天に召されときな」
シル「……そうだ! 勇ましい姿を見れば、お前たちも私を立派な騎士と認めるな!」
ヘ「うん、考えておくよ」
シ「そうだねぇ。考えが改まるかもねぇ」
シル「よし、約束だぞ」
リ「考えておくって言ってるだけだぞ、シルヴィア」
シル「魔物どもよ! どこからでもかかって……ワワッ!?」
そういって勇み足で洞窟を闊歩すると、シルヴィアは石につまずいて、頭から転んでしまった。
ヘ「こっ、ここ、こここ、これは……!」
シ「遥か遠くの異国で、許しを得るために使われるという《DOGENE》じゃない! まさか実物を見られるなんて……」
リ「いや、転んだだけだろ……」
へ「すごいよ、アンタこそ真の女騎士だ!」
シ「憧れちゃうなぁ、女騎士」
リ「いやいや、だから……」
シル「ハッハッハ! 何はともあれ、私がまともな女騎士だと証明されたようだな」
リ「満足そうだな、おい! ま、当人同士が幸せそうだし、何の問題もねーか!」
終わり




