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彫像の女、新たなる脅威

「こっちだ、こっちぃーっ!」


やった、助かった。

奇跡が起こったのだ。

ようやく生き地獄から解放される。

少年は安心すると、腹の中に溜め込んだ息を吐き出した。

頬が緩ませると、緊張の連続で強張っていた筋肉も、幾分か和らいでいく。


「助けてくれてあ……」


眼前まで寄ってきた人影を見て、少年は言葉を失った。

彼は気がついていなかったのである。

近寄ってくるのが、人間ではないことに。

経年劣化したコンクリートのような色合いの、灰色の身体。

国獣と、クロスした剣の紋章の装飾が特徴的な鎧。

一人でに動く彫像に、少年は慄いた。

悪霊の類が乗り移っているのかもとしれないと。

既に元の魂が昇天しているゾンビに襲われた経験上、そう危惧してしまうのは、無理からぬことであった。


「お、お前は何なんだ」


少年は先ほどとは打って変わって、威圧的な態度で接する。


「私はシルヴィア。貴様か、洞窟内の魔物を活発化させているのは」


突然身に覚えのない罪に困惑したヘンリーは、口をぽかんと開く。

第一訪れたのが初めてなのに、普段の洞窟がどういうものなのか知るはずもない。

しかし軽率に答えてしまえば、機嫌を損ねてしまいかねないと判断した。

機嫌を損ねれば、何をされるか分かったものではない。

みだりに発言しては逆効果になると、彼は黙り込んで時が過ぎるのを待った。

屋外で暴風が吹き荒れているのに、好き好んで外出する物好きはそうはいない。

危険な目に逢ったら、安全圏に留まっているのが、賢い選択だ。

でなければ、身体が持たないのだから。

にも関わらず、最善の選択をしたはずの少年に待ち受けていた結果は、最悪なものだった。


「だんまりを決め込むとは怪しいな。それに貴様を洞窟で見かけたことがない。余所者は信用できん」


座り込んだヘンリーを見下ろしながら、断言するみたいに。

敵、と認識されている。

少年の身体は、恐怖の感情が芽生えるより早く、彫像の女から逃げようとしていた。

何らやましいことをしていない少年が、魔物から逃げ去ろうとするのは、別段おかしなことではない。

だが、彼女にはそうは映らなかった。

それこそ犯行現場を目撃された犯人が、逃走するようなものだと感じたのである。

脚が言うことを聞かないヘンリーは、芋虫が這うように、身をよじらせて前に進んでいく。

捕まればどういう目に遭うか、考えずとも、脳内に浮かんできた。

本能が、そう告げていたのだ。

当然歩くよりも遥かに遅いために、案の定すぐに追いつかれてしまうのだった。


「知らないとシラを切るつもりか……。ならば容赦はせんぞ」

「は、放せよ、おいっ」

「痴れ者め、己の罪を懺悔せよ! でなければ……想像はつくな」


志半ばに倒れた冒険者の遺品であろう刀身の錆びた剣を見せびらかし、魔物は彼を尋問する。

武器を持った相手がどうするかなど、分かり切っている。


「本当に知らないんだって! 何回言えば分かるんだよ!」

「私は貴様が敵か、そうでないかと聞いているのだ。余計な話はするな!」


何も知らない少年は、壊れたレコードみたいに繰言をいった。

毅然とした態度でいれば、誤解を解けただろう。

しかし脚に魔物がくっついていて、捻った蛇口から出る水のように出血している上、酷い仕打ちにあうのは火を見るよりも明らか。

意識もいつまで保っていられるか定かでない。

新米の冒険者が死が身近に迫っている状況で、冷静でいられるはずもなかった。


「どうやら制裁を加える必要がありそうだな」

「な、何しやがるってんだぁっ! やめろぉ、やめろよおおっ!」


捕らえたシルヴィアは、魚を解体でもするみたいに持ち上げた。

切れ味はだいぶ落ちていて、本来の切る、刺すといった用途では扱えない。

だが、ただの鉄の棒といえど、使い方次第で殺傷力のある凶器に変貌する。


「グッ……ガァッ!」


少年は、言葉にならない声を発した。

下まぶたには大粒の雫が浮かび上がって、とめどなく溢れてくる。


「ンア゛ァ゛ッ……」

「どうだ、口を割る気になったか」

「へッ、知ってたとしてもテメェには……フゥー……フゥ―」


あまりの激痛に、少年は歯を食いしばって堪える。

絶え絶えに歯と歯の合間から漏れ出る息が、尋常ではない痛みであるのを物語っていた。


「ずいぶん強情だな。見上げた根性だ。だが、それもいつまで持つかな」


そういうと彫像は間髪入れずに、殴打し続けた。

根を上げるまで嬲って、情報を吐けば上等。

無言のまま逝くなら、それはそれで構わない。

彼女の望む情報を持たない少年にとって、シルヴィアがどちらを選ぼうが、死ぬまで責め苦を味わい続けるのと同義。


「……離せッ! はな……せよっ!」


カマキリの鎌に拘束された、後は餌となるだけの昆虫がじたばたするように。

傍から見れば、少年のあがきは無駄なものだったであろう。

視界は霞んでいき、黒い幕が下ろされたかのように目の前は暗闇に染まっていく。

このままでは死に至る。

なすがままにされていては、確実にやられる。

どうすれば、意識を留めておくことができるだろうか。

露命(ろめい)が途切れかけたのを自覚した最中、彼はあることを思いつ。

そして衝動のままに、前歯に下唇を思いきり突き刺すと、痛烈な痛みが、遠のきかけた意識を覚醒させた。

このまま終わらせてたまるか。

少年は唯一の命綱である手斧を、遠心力が乗るように肩を捻って振り回す。


「食らい……やがれぇっっっ!」


様々な思いを、一撃に乗せた。

せめて一瞬の隙さえ作れれば、逃げられるやもしれない。

淡い希望だけが、彼を突き動かす原動力だった。


「フフッ、ハエでも止まったかな」

「ウ……ウソ……だ……」


強靭な身体には、傷一つない。

それどころか一切態勢を崩さないほど、魔物は平然としていた。

その瞬間、少年は確信する。

魔物に感覚がないのだと。

痛覚がない以上、ひるませるのですら容易ではない。

だが、それでも少年は精一杯に悪あがきした。

続けていれば、いつか助かるだろうという、根拠のない自信。

報われはしないという虚無感。

相反する感情の板挟みになりながら。


「ああああああっ、うぁおおおっ!」


何か勝算や打算があるわけでもなく、ただただ状況を良くしようと暴れ回る。

大人が子どもに腕力では敵わないように、種族の差というのは絶対的なものがあった。

刺突や打撃が通れば話は別だが、それも通用しない以上、逆転の目はないに等しい。


「愚かな少年だ。大人しくしていれば、せめて楽に散れるものを」

「黙って……ろよぉ!」


彼は股間の辺りを蹴り上げる。

と、奇跡が起こった。

魔物が思わず手の力を緩めた瞬間、蹴った反動で彼が吹っ飛んだのだ。

地面に勢いよく叩きつけられた少年は、衝撃のあまり、左脚に熱湯を注がれたかのような熱さを覚える。


「待てっ、小僧」

「う……せぇっ……」


再度魔物の手に落ちるようなことがあれば、二度と好機は訪れない。

彼は魔物の静止を振り切って、無我夢中で駆け出した。

衣服が汚れるのも、肌が糞と触れるのも(いと)わずに。

少年の負った傷は深かったが、不思議と痛みを感じることはなく、羽根を得たみたいに、身体は軽やかだった。

時折転んでしまうと、その際に糞が、眼に、鼻に、口に入り込む。


「ゲホッ、ゲホ……」


少年は悶絶しつつ、咳払いする。

だが歩みは決して止めなかった。


「ハァ……、まだ……つかないのか」


荒々しい呼吸で呟いた刹那、少年は壁に激突する。

動揺していた彼は、何故そこで足止めを食らったのか、疑問符を浮かべた。

いったい何が起こったというのだ。

また魔物が、悪戯でもやらかしたというのか。

何の気なしに提灯で頭上を照らすと、彼は自分の置かれた現状を理解し、絶句する。

そう、先ほど転がっていた岩が、蜘蛛手の道に挟まってしまったのだ。

これでは合流はおろか、この洞窟から逃げ出すことすらできない。

背後からは彫像が、どんどんと迫っている。

ネコに睨まれたネズミ。

大口を開けたクジラに、今にも飲み込まれそうなプランクトン。

猛禽類に目をつけられた昆虫。  

勝ち目などない戦いを強いられ、絶望的な状況に


「シェリル、リチャード! いるなら返事を……」


彼は二人の名を叫んだ。

しかし、全く反応はない。

先ほどまで騒がしかった洞窟を、不気味なほどの静寂が辺りを包み込んでいた。

まるであの世に送られる少年に、黙祷を捧げるかのように。


「ム……リチャードだと? やつと知り合いなのか」


彫像であるが故に表情には一切変化がなく、声の調子のみで感情を読み取らざるを得ない。 

皮肉屋の彼のことだから、あちこちに敵を作っているだろう。


「……それ……どう……した……」


追い詰められた少年に残されていたのは、最早気力のみ。

諦めてしまえば、気持ちの糸まで切れてしまう。

そのためだけに、彼は強がって見せた。

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