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騒がしい霊

奥に進んでいくにつれて、遺体があちこちに散乱する光景は、さほど珍しいものではなくなっていた。

だが、人というのは、他の生物以上に環境に適応してしまうもので、それは少年たちも例外ではない。

いつの間にか物音はおろか、死に対してすら動じなくなっていた。

いちいち反応していては、身体が持たない。

それに他人の死を自分にも降りかかる災難だと感じてしまえば、まともに冒険などできなくなってしまう。

命を惜しいと思うのは、冒険者としては死活問題なのだ。

敢えて正常な感覚を麻痺させることが、死が身近な洞窟内で生き延びるための術だったのである。


「お前ら、前方に集中しろ!」


ベテランの彼が言うのだから、素直に従っておいた方がいい。

唐突に叫ぶリチャードに言われるがまま、二人は視線を注いだ。

しかし眼前には、見慣れた薄暗闇が広がっているばかりだった。


「急にどうした、リチャード」

「誰もいないけど……」 

「節穴だな、下を見ろ」


リチャードにそう言われ、少年たちは視線を落とす。

すると、数10㎝先の地面に寝っ転がっていた何者かが、闇の中でもぞもぞと蠢いていたのだ。


「生きている同業者の人なんじゃない?」

「ほ、本当に魔物なのか」

「分からねぇ。だが馬鹿親父から教わった言葉があるんだ」

「勿体振ってる場合じゃないでしょ。早く言ってよ」

「ダンジョンで見掛けた人影は、全員敵だと思えって教えさ。……奴さん、こっちに向かってくるぜ」


リチャードが発すると同時に魔物は起き上がり、酔っ払いのようにふらふらと歩きだす。

近寄ると、身体には腐肉を餌とする昆虫があちこちに這いずり回っており、生きている人間でないことを、その瞬間誰もが理解した。


「ギャアアア! ウ、ウィル……。助けて……」


悲鳴を上げると、シェリルはヘンリーの片腕に抱きつく。

鍛え上げた男の筋肉とは違う、女の子特有の柔らかな肌の感触に、少年は反応してしまう。

少年は彼女と触れ合っているだけで、全身に熱が帯びていくのを感じ、背中から滝の汗が噴き出た。

魔物と相対している緊張とはまるで別物の、幸福感を伴った緊張。

だが不思議なことに彼女と密着している間だけは、少年は魔物に遅れを取る未来など見えなかった。


「いちゃついてねぇで、応戦するぞ」

「い、いちゃついてないって!」

「それをいちゃついてるつうんだ」


声が上擦っている少年を、リチャードは微苦笑を向けつつ茶化す。


「ごめん。ここは任せるね」


鎧のように昆虫がくっついた魔物へ、彼女が手を出せない以上仕方ない。

名残惜しかったものの、少年は腕を振りほどくと


「ちょっと待ってて」


と言い残して、立ち向かっていく。

彼女を守りつつ、魔物を相手をするだけの実力がないことを、少年自身が一番自覚していたのだ。


「死人なら死人らしく、大人しく寝ていればいいものを。もう一度眠りにつかせてやる」

「ゾンビなんて、大した魔物じゃないな。いくぜェッ!!!」


腐敗が進行したゾンビに手斧を振り下ろすと、体はいとも容易く両断され、頭から倒れ込む。

と同時に、もはや体の一部と化していた昆虫たちが、蜘蛛の子を散らすように離れていく。

一撃を食らった魔物は、死後硬直のように体を震わせるものの、起き上がる気配はない。

あっさりと倒した事実に驚きを隠せず、少年は


「た、倒したのか……?」


後ろに振り返って、二人に訊ねた。


「徹底的に潰せ、ヘンリー」

「も、もう襲ってこないだろ」

「慈悲があるからこそ、やらないとダメなんだ。冒険者を襲うなんて、こいつも望んでいなかっただろうしな」


彼の発言に一理あると感じた少年は、再度ゾンビを斬りつけた。

と同時に無数の昆虫の体液が、顔に、鎧に、手斧に血飛沫のように飛び散る。

体液が身体の至るところに付着すると、彼はあたかも自分が殺人を犯したような感覚に陥った。


「ウ゛ォ゛ォ゛……」


ヘンリーに攻撃された瞬間、ゾンビは呻き声を上げる。

冷静であれば、ただうるさいだけの魔物の雄叫びも、少年にとっては意味を持つ言葉となって耳に届いた。


「これ以上、私を傷つけないでくれ」


彼の鼓膜には、確かにそう響いたのだ。


「……や、やめてくれ」

「ウィル! どうしちゃったの!」


腐肉の魔物が、懇願するかのように彼を眺めた。

良心に訴えるが如く、まじまじと。


「た、頼む。俺をみ、見ないでくれ……」


やりたくもない追い打ちを掛けているのは、このゾンビのためだ。

元は人間であっても、魔物と化したのだから、刃物で切ろうが罪に問われる訳ではない。

理屈で必死に言い聞かせても、少年へ言いようのない罪悪感が襲い、追撃の手は緩まってしまう。


「ウィル、トドメを!」

「小僧、しっかりしろ!」


ヘンリーに、二人からの怒声が飛ぶ。

目の前に存在するモンスターを葬らねば、危害が及ぶことなど少年とて理解していた。

決して悪意があって、急かしているわけではないことは。

だが、ただでさえ冷静さを喪失していた彼にとって、それらの言葉は害にしかならなかった。


「だ、駄目だぁぁぁぁっ! 俺には……俺にはできねぇよぉ!」


そうこうしているうちに、ゾンビはおもむろに立ち上がり、少年に迫っていく。

脚はふらつき、壁に寄りかかって、かろうじて身体を支えている。

もはや槍を突き刺すまでもなく、小突くだけでも昇天しそうなほど弱りきっており、その気になれば簡単に返り討ちにできた。

しかしそれができるのは、あくまで戦う意志のある者だけ。

戦意を失ったヘンリーが魔物を倒すなど、もはや不可能であった。


「……こ、これ以上は、俺には無理だ」

「馬鹿野郎が! ここは戦場なんだぞ!」


鉤爪を彷彿とさせるほど伸びた爪を向け、隙だらけの少年に這い寄るゾンビを、リチャードは蹴り飛ばす。

勢いよく壁に叩きつけられた魔物は、今度こそ永劫の眠りについた。


「あ、あぁ……」


襲われていれば、ただではすまなかった。

窮地から脱したヘンリーは、衣服が汚れることなど省みることなく、その場にへたりこむ。

少年にモンスターを屠った高揚感などなく、命拾いしたという安堵のみが、心を支配していた。


「どういうつもりだ、テメェ!」

「やめてよ! ウィルだって悪気があったわけじゃ……」

「お前だけの冒険じゃないんだ。その分他のやつらに迷惑がかかる。それを分かってるのか!」


激昂したリチャードが、間髪入れずに少年に食ってかかった。

躾のなっていない犬の如く、歯を剥き出しにして。

シェリルが仲裁に入るものの、怒りが収まる気配はない。


「おい、坊主! あんまり腑抜けてると、お前だけここで置いていくぞ!」

「悪かったよ、リチャード。でも俺は……あの魔物が不憫で……」


珍しく感情を露わにしたリチャードであったが、魔物を憐れむような少年の台詞を聞くと、胸倉を掴んでいた手を離す。

自分が冷静でないのを自覚していたのだろう。

一呼吸置くと、彼は一つ一つ丁寧に言葉を紡いだ。


「その気持ちは分かるがな。でもよ、お前さんがそんなだと仲良しの嬢ちゃんも巻き込まれる。それは嫌だろ?」

「……そうだよな。あまりいい気分はしないが許してくれ」


そういうと少年は目を瞑り、心臓の上に手を当て、死者を弔う所作を取る。

既に息絶えているとはいえ、元は同じ人間であることに変わりない。

ルクス公国での葬儀の作法を知らない彼は、自ら生まれ育った国の形式に則って死者の魂を鎮めた。

安らかに眠れと念じながら。

すると青白い光が、ふわりふわりとゾンビの体外から出ていく。

光は蛍が求愛するかのように、度々点滅を繰り返すと、嘲るかの如く三人の周りを忙しなく飛び回った。


「リチャード、いったい何が起こってるんだ」

「いった筈だ。洞窟には霊体の魔物がでてくるとな」

「これは……ポルターガイストか!」


家屋で屋人が寝静まった後に、物を勝手に動かすなどの怪現象を引き起こすとされる霊の一種。

家にとり憑く霊として知られているが、人のいるところであれば何処にでも現れる魔物である。


「つまんないなぁ。ダンジョンの道中で死んじゃうような冒険者なんて、乗り移っても大したことないや」

「この洞窟の死人は、騒がしい連中ばかりだな。目障りだ、俺たちの前から消えろ!」


リチャードが言葉を荒げると、彼の反応が気に入ったのだろう。


「つれないなぁ。せっかくだから君たちを歓迎してあげるっ!」

「フフ、フフフッ、キャハハハッ!」


子どもを想起させる甲高い笑い声を上げる。

少年は、その憫笑を微笑ましいとは思えなかった。

子どもというのは、まるで加減を知らない。

大人がへとへとになっていても、構わずに遊び続けてしまう。

全てが自分本位で、自分中心に回っていると思い込んでいるものだ。

―――そして時にじゃれあいの延長で、人の命を弄ぶほどに残酷なことを、平然とやってのけてしまう。

これからどれほど恐ろしいことをしてくるのかと、ヘンリーは思わず身構えた。

が、強気な発言とは裏腹に、ポルターガイストは洞窟の奥へと退散していった。

このまま見逃せば、取り返しのつかない事態に陥ってしまうのではないか。

不安に駆られたヘンリーは


「おい、待てっ!」


と叫んで、霊を呼び止めた。


「止まれっていわれて、止まる馬鹿なんていないよ~っだ!」


神経を逆撫でする台詞に青筋を立て、後を追いかけようとした少年の肩を、リチャードが掴む。


「深追いはするな」

「何か仕掛けられる前に始末しないと……。大事があってからじゃ遅い!」

「奴のお遊びに付き合うのが目的じゃないだろう。余計な労力を割くな」 

「言ってたでしょ。君たちを歓迎するって。絶対に向こうから、またやってくるに違いないわ」


標的にされた以上追いかけようが、無視して先に進もうが、いずれ一戦を交えることになる。

ならその時に備えるのが最良と、二人に諭されて平静を取り戻した少年は


「……頭に血が昇ってたみたいだな。」


と謝罪した。


「あまり気に病むな。ポルターガイストは、俺のカモだったんだ。作戦を立ててやるよ」


少年は疑問符を浮かべた。

何故過去形なのだろうかと。

それが妙に少年の心に引っかかったものの、冒険先で戦う内に苦手意識でも芽生えたのかもしれないと追及は止めた。


「助かるよ、進もうぜ」

「そうね、いきましょ」

「戦わずに済めばそれが一番いいんだが、な」


そう呟くとリチャードは、再びポルターガイストと相まみえた際の対処を、二人に教示するのだった。

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