生きるという思い
三人が洞窟を進めど進めど、魔物は一向に姿を現さなかった。
魔物の巣と称されるダンジョン内で、魔物が一匹もでないことを説明しようと、ヘンリーは筋道立てて、自分を納得させようとした。
結論に納得できれば、心の迷いが消える。
迷いが消えれば、迅速に行動できる。
そう考えての判断だった。
お触れの影響で洞窟へ訪れる人々が増え、いつも以上に魔物が倒されているのは、想像がつく。
故に冒険者らの不断の努力によって、魔物の個体数が減少していても、何ら不思議ではない。
それで見かけることがないのであって、何か異常が起こっているわけではないのだ。
だから、少々気を抜いても問題ないだろう。
そう言い聞かせても、いつ何時出現するか分からない以上、警戒を解くわけにもいかず、少年の心が休まることはなかった。
「フゥ……。警戒しすぎかもしれないな」
気を張り巡らせて、精神的に疲弊したヘンリーが呟いた。
「いや、用心するに越したことはないぜ。しかし昔ならもっと魔物がでてきたんだが、やけに静かで不気味だな……」
リチャードが返事した直後、破裂したような音と共に、ヘンリーの頭に暖かい何かが垂れ落ちる。
事前にコウモリの習性を耳にしていた少年は、頭頂部のそれが何なのか、瞬時に理解した。
「ふざけんなぁ! こんな場所、絶対にこねぇ!」
「頭上に注意を払わないでよかったな。顔目掛けて糞が落ちてただろうしな。クク……」
「うるせぇ! 笑うな、リチャード」
「嬢ちゃんはフードを被っててよかったなぁ、糞まみれにはなりたくねぇだろ」
少年の哀れな姿を見て小馬鹿にするリチャードが、シェリルに話を振る。
当の彼女は、きょろきょろと周囲を見渡していた。
犬頭の獣人は嗅覚が人間よりも優れているように、人間と亜人では、そもそも危機の察知能力にも差がある。
正体を隠すためにローブを纏うシェリルが、人間とはまだ判明していない。
彼女にしか感知できない異変でも、起きているのだろうか。
胸騒ぎを覚えたリチャードは時折振り返ると、彼女の一挙手一投足を注意深く見守った。
落ち着かない様子の二人を見かねた少年は
「シェリル、気になることでもあったか」
彼女を肘で小突くと、秘密を耳打ちするような声量で訊ねた。
「ううん。何か出てきそうで落ち着かなくて。手、握ってていいかな」
「フゥー……。ああ、勿論だ」
ヘンリーは肩で息を吐きながら、彼女の手を握った。
背中の斧槍の重量に加え、鎧を幾重にも着込んだ彼に、疲れが見え始めていた。
背負ったカバンの紐は、少年が歩を進める度に身体に食い込み、洞窟を潜るのを咎めるかの如く締めつける。
劣悪な環境が、徐々に少年の体力と気力を削いでいった。
「随分口数が減ったな、もう虫の息か」
「んなわけないだろ。まだまだ先は長いし、頑張らないとな!」
リチャードの嫌味に対して、少年は空元気で張り切った。
長居はしていられないからこそ、着実に歩んでいく。
それこそ冒険者としての偉大な一歩なのだと、彼は自負していたのだ。
「疲れてるなら、少し休んだ方がいいんじゃ……」
「足手纏いになられると面倒だ。休養を取りたいなら言えよ」
「へへ、平気だって」
シェリルに気を遣わせまいと、少年は朗らかに笑った。
彼女を守り通す。
本心から出た言葉だったからこそ、彼はどんなに気の滅入る状況であっても強がった。
だが長年の付き合いの彼女には、少年の思惑などお見通しで、表情は相変わらず曇ったままであった。
「ウィルはそうやって、無理しちゃう所があるよね。本当に我慢できなくなったら、私が支えるからね」
「……悪い。かえって心配させちゃったかな」
「でも、あんまり頼ったらダメだよ。男の子なんだからしっかりしてね。ウィル」
「おう! 試練なんか、ちょちょいっと終わらせてみせらぁ」
好きな子のためにいい所を見せようと、ヘンリーはいつになく声を張り上げる。
「おい、騒がしくすると悪霊やらキャメル・クリケットが寄ってくる。奴らは気を抜いた冒険者が一番の好物なのさ。あいつのようになりたいのか」
二人が喋っていると、リチャードが水を差した。
指指す場所には、屍肉が綺麗に喰われた骸骨が転がっている。
骸の近くには、生前使われていたであろうカバンや武具が、そのまま放置されていた。
今まで悪態として受け取っていた数々の言葉が、全て事実だと知った少年は、唇を噛み締める。
「い、痛いって」
「あっ、ごめん……」
緊張のあまり、無意識の内に掌に力を込もってしまっていた。
いつか自分も、あのような姿に変わり果てるのだろうか
この場所で油断や甘さを見せれば、死に直結する。
人の死を目の当たりにして、少年の呼吸は更に荒くなっていく。
「私たちもああなっちゃうのかな」
「……やめろよ、縁起でもない」
シェリルは眉を八の字にして、消え入りそうな声で囁いた。
同じ不安を抱いた彼女を、少年は鼓舞した。
それは彼女のためであると同時に、自分のためでもあったからだ。
平常心を保っていないと、恐怖心が流行り病のように、この場にいる二人に移ってしまう。
正気を失した人間など、簡単に魔物の餌食だ。
そうでなくとも、誰かがまともでいてくれないと、洞窟の雰囲気に心を侵食されていくのは明白だった。
一人だけの命ではない。
取った行動如何によって、味方の生死が決まる。
何より大事な娘を軽率に連れ回した挙句、死なせたとあれば、彼女の両親に顔向けできない。
現実を受け入れた少年は大きく息を吐くと
「先に進もう、二人とも」
とだけ発した。
「……それでいい」
少年の精神面の変化を察したのか、リチャードはそれ以上言及はしなかった。
どれだけ険悪な間柄であっても、何としてでも生き残る。
その思いだけは、共通しているのだから。




