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ストレートシックス

若い警官は、うんざりしたようにうめいた。

「何を考えているんでしょうね」

先輩の警官は答えなかった。何を考えているかだと?どうせやつらは何も考えちゃいないのさ。そうやって明日の夜、どこかのファミレスで「パトカーをぶっちぎってやった」などと自慢するんだ。

「ナンバープレートと車種を記録しておけよ。報告書を埋めるのも仕事だからな」

「とっつかまえて職質しましょう」

「なんの容疑でだ?」

馬鹿にしたように聞こえた。彼は黙り込んでパトライトのスイッチを切った。それもそうかもしれない。今日は既にコンビニと居酒屋で不毛な仕事を片づけている。これ以上ストレスを溜め込んでもしかたがない。どうせやつはただの観光客なんだ。

ナンバープレートは、さっき記録した。無駄とは思いつつ無線で照会をする。地元の車じゃない。走り屋気取りの貧乏人は犯罪ではない。


阿部は、バックミラーの中で小さくなっていくパトカーを、ほっとした気持ちで見ていた。

駐車場から出たこちらを追ってくるような素振りはない。思い過ごしだったか。

スープラの車内には単調なリズムと、歌とは呼べない叫び声が充満していた。

「ボリューム落としてくれないか」

マリアは、首を振った。

「エミナムをボリューム下げて聞いてもつまらないね」

阿部は、ためいきをついた。聞きたくも無い音楽を聞きながら運転をするのは楽しいものじゃない。

だが、この音楽もそうは悪くないか。

低音は、静かに流すストレートシックスの排気音に似ていなくもなかった。固めたサスペンションのリズムと合っていなくも無い。

阿部は、真っ暗な背景に浮かび上がる観光ホテルの隣を走り抜けていた。ゆっくりいけばいい。

ちらりと、バックミラーに目を移す。

その瞬間、阿部は信じられない気持ちになった。再び、そこにはパトライトを回した、さっきのパトカーがいた。今度は、本気で追いかけてきているように思えた。

阿部は、自問自答した。

オレは、オレの車は、もう手配されているのだろうか?


真夜中を過ぎても高浜は眠くなかった。

駅前のビジネスホテル。五階の部屋からは静かなビジネス街の寝息が聞こえていた。少しだけしか開かない窓には、ほんの時々車の音が届く。 阿部君に電話しようか、と高浜は考える。でも、それが居場所を教えることにならないとも限らない。阿部は既にドジをしているかもしれない。彼が捕まっていたとしたら、電話をすることが命取りになるかもしれない。すでに高浜は携帯電話を捨てていた。携帯電話の発信する位置情報によって追跡されるのを避けるためだ。だから電話をするにしてもホテルの電話を使うしかない。

警察は、どのくらいの規模の追跡をするだろう。

高浜の盗み出した機密は、まだ実験段階に過ぎない。本当に実用化をするにはまだ何年かかかるはずだ。でも、機能的には問題無い。ただ装置が大きすぎることが問題だ。このサイズでは航空機や車両に搭載するには大きすぎだ。それにパワーも食う。もっと効率を高めてコンパクトにしなくては。

現段階で利用価値があるのは限られた作戦だけだ。

それに日本政府は、こんなものに金を出す気にはなっていない。だからこそ高浜は国外へ売りつけようとしているのだ。もしも、この技術がテロにでも使われたとしたら、おそらく探知方法は困難を極めるだろう。

その危機感が、この国の警察はわかっているのだろうか。

高浜は、それまで必死になって重要性をあらゆる機会に説いてきた。でも、この段階となっては高浜は、彼らが「重要ではない」と思ってくれていることを願わずにはいられなかった。

そのほうが、高浜の計画が成功する確率は高いのだから。


 先輩の警官は内心では舌打ちをしていた。

 明日の朝は、いつも通りに帰れそうにはない。明日は娘の誕生日だというのに。

 窃盗の容疑だと?彼は腹立だしかった。世の中にはまともな人間はいないのか。黒のスープラのナンバープレートを照会したところによれば、その車は窃盗犯が乗っている可能性があるから確保せよ、と返事が来た。なんの窃盗なのかは情報が無かった。

 どうせくだらない自動販売機荒らしか何かだろう。

 そんなやつを取り逃がしたところでどうということはない。それよりも無事に家に帰りたかった。つい先日だって、ただの職務質問で大怪我を負うところだった。いきなり車を発進させた、あいつはもう少しで警察官である彼を轢き殺しかけたのだ。

 この世の中、もはや何が起きるか予測することは不可能だ。出来るのは最悪の結果を予想して用心することだけ。

 この場合の最悪とは、あっさりと停まってしまって我々が任務に当たらなければならなくなることだ。今時の犯罪者ときたら大した罪でもないことで派手に抵抗するんだから。

 とにかく今は、追跡さえすればいい。できれば止まるな、と彼は思っていた。


 阿部は、もちろん止まるつもりは無かった。

 シフトレバーに手を伸ばす。ギアを2速に叩き込むと、返す手でオーディオの電源を落とす。

「気に入らないからってオフにすることないね」

 マリアは、むっとして阿部をにらんだ。

「悪いな。追いかけっこをしなくちゃならない。気が散ると命にかかわるからな」

 そういうと一気にアクセルを踏み込んだ。

 スープラのリアタイヤが瞬間、グリップを失い左へ流れかけた。阿部がカウンターを少しだけ当てると、タイヤはグリップを取り戻し、レブカウンターの針が落ち込む。ターボは全開に効いていた。その黒のスポーツカーは、一気に加速し始めた。

 右コーナー。

 セカンドのまま。アクセルも全開のまま。左足でブレーキングして速度だけ殺す。アクセルを戻してしまうとターボラグで加速がにぶる。

「阿部さん、あれはポリスね」

 慌ててマリアが言った。

「わかっている。だから逃げるんだ」

「ちょっとポリスから逃げるなんて、阿部さんは殺し屋だったか?」

 阿部はふっと笑った。

「まさか。だけど逃げなくちゃならないんだ。オレは法律に違反してはいないが、後ろに積んでいる荷物は法律に反する代物なんでな」

「いったい、あれはなんね?」

「さあな。オレも知らないんだ」

 そう答えると、阿部は左コーナーへと進入した。バックミラーのパトカーは少し離れている。体の感覚で車両の挙動を読む。後輪がグリップを失う一瞬を、実際に車が安定を失う前に察知する。左コーナーを抜けながら、阿部はハンドルを右に切る。フロントウインドーには山の斜面が映っている。道路はサイドウインドーのほうだ。オーバースピードだったな、と阿部は思った。リアにトラクションが掛けられない。コーナー出口で、ちょっとふらつきながらスープラは依然として高速を保ったまま走り抜けていく。


 若い警察官は、運転する先輩警官の苦虫を噛み潰したような顔を眺めて思った。

 この人の心の中には情熱なんてものは残っていないんじゃないだろうか。

 窓の向こうには小さく逃走車のテールライトが写る。逃げられてしまう。無謀な運転だ。

いつ事故を起こしても不思議ではない。

「応援を要請します」

 彼はそう言うと、無線のマイクをつかんだ。

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