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白樺湖方面

阿部は茅野へ抜けると国道20号線を、わずかに通って国道299号線、白樺湖方面へとスープラの鼻先を向けた。時間は真夜中になろうとしていた。速度を落としクルージングする。ウインドーを下すと冷たい風が車内に吹き込んできた。エアコンを効かせた車内よりも、そっちのほうが涼しかった。

「疲れたか?」

阿部はマリアに初めて気を使うような発言をした。意外そうにマリアが首を回した。

「眠くなっただけよ。今はどのあたり?北海道にはもうすぐつく?」

阿部は笑った。

「まだまだだな。距離にすれば150キロほどしか進んでいない」

「たったの?」

マリアはスープラの天井を見上げた。ムーンルーフから空が見えた。

「日本がこんなに大きいとは知らなかったね」

「それはそうさ。日本は凝縮されているんだ。ソニーの電化製品をみれば想像がつくだろう。小さくても中身がぎっしりなんだ。どんなに急いだって早くはつけない」

「わたしには真っ暗な道路ばかりで何も見えないね」

「夜だからな。少し休憩をいれよう、白樺湖で」


真夜中の白樺湖は、月の明かりで幻想的に浮かんでいた。

湖のほとりに点在するホテルの光が湖面に反射する。駐車場には人の気配が無かったが自動販売機が小さな作動音をたてていた。

「さみしいところね」

マリアがつぶやくと阿部は声を立てずに笑ったが、暗すぎてその表情はマリアからは見えなかった。

「昼間なら観光客であふれているさ」

「そう。じゃあ昼間に来たかったね」

「オレは、こっちのほうがいいな」

「どうして?これじゃあ何も見えないね」

「そうか?それは見ようとしないからだよ。月の明かりが湖面に反射している」

「よく見えないね」

「それは目で見ようとしているからだ」

月の光は湖面に金色に光る帯を作っていた。静かに揺れている。対岸は暗闇の中でかろうじて山の稜線と空とが見分けられた。空には雲が浮かんでいる。偶然に、月はその切れ目から湖面に顔を出している。空気は、この季節にしては珍しいほど乾燥していた。

「よくわからないね」

「そのうちわかるさ」

阿部は、そういうと自動販売機に近寄ってコーヒーを買った。


制服の襟に隠れて彼はあくびを誤魔化していた。

年配の彼の相棒は、ぶつぶつと文句を言っている。いつものことだ。田舎の警察官だからって暇なわけじゃない。くだらない人間はどこにだっている。

どうでもいい理由で喧嘩がある。

犯罪行為にはならないことでも、トラブルには違いない。警察の仕事というのは、ほとんどがそういうことの処理なのだ。治安を守っているというプライドが、かろうじて仕事をする気持ちに向かわせている。こんな夜中に出歩くやつに、まともな人間がいるはずがない。

暇なんてまったくないのだ。

彼の仕事のほとんどは、犯罪者相手ではない。

お偉いさんが「一般市民」と呼ぶ人種が相手なのだ。彼らは大抵、警察官をストレスの捌け口だと思っている。呼び付けて威張りたいだけなのだ。税金を払っているのは俺だと、そう言うのが決まり文句だ。

冗談じゃない。

そんなことを言うやつに限って、ろくに税金を払ってないんだ。

「おい、見ろ」

中年の警官が、彼に言った。

「怪しい車だ」

「ただの観光客ですよ」

うんざりしていた。こんなところで暇をもてあましているんじゃない。夜は家に帰ってくれ。

「そうかもしれん。だが仕事は仕事だよ」

ハンドルを切って、その黒いスポーツカーに近づく。彼はバッテリーライトでその車の中を照らす。運転手はいない。人は乗っていない。後部席は倒されていて何か荷物があるようだ。上からは黒い布で目隠しがされている。

「走り屋ですよ」

パトカーは、ゆっくりと駐車場を回る。人影は無い。運転手は、何処に行ったのだろう。


阿部は、駐車場へ入ってくるパトカーに気がついていた。

自動販売機とシャッターを降ろした売店。湖に向かって斜面になっているこちら側からは、その様子が見えたが向こうからは見えないだろう。

パトカーはスープラの近くまで寄ってきたが、すぐに駐車場を一回りして出て行った。

「そろそろ出かけた方がいいな」

阿部は、芝生から立ち上がった。

「どうしたか。マリアにもようやく湖が見えてきたところね」

「そうか、それはよかった。だが急ぎの旅だからな」

阿部は、そのまま歩き出した。慌ててマリアが後に続く。

「阿部さん、人生の楽しみかたっていうの、知らないね」

阿部はふっと笑った。

「そんなことを二十歳やそこらの外人に言われてもな」

マリアは、むっとしたが、それには阿部は気がつかなかった。駐車場には暗闇が訪れていた。月も雲に隠れたようだった。


スープラのエンジンが目覚めるとマリアはオーディオのスイッチを入れた。

「静かなバラードがいいな」

マリアはうんざりした声で言った。

「阿部さん、年寄りじみてるね」

自分のバッグからCDウォークマンを取り出すと中身をスープラのデッキへと移し替えた。

阿部は、その時、駐車場に入ってくる車に気がついた。さっきのパトカーだ。阿部はとっさにライトを点け、ギアを入れた。ゆっくりと走り出す。逃げるんじゃない。ただ予定通りに出発するだけのことだ。何も怪しいことはない。

だが、パトカーはまっすぐにこっちへやってくるようだった。パトライトを点灯させた。

何かスピーカーを通して・・・スープラの車内には突然エミナムのサウンドが大音量で流れ出した。警官の声は聞き取れなかった。だが、阿部の心の声が止まるなと言っていた。アクセルを強く踏み込む。

真夜中に職務質問をされたことはある。

だが、特に理由も無く動きだそうとしている車を停めさせたりまでしての職質はない。向こうはパトライトまで回しているのだ。少なくとも何か知っている。下手な言い訳を考えるのは嫌だった。このまま走り出した方がいい。


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