中古のレガリスとアストロ
阿部は、オーディオの電源を落とした。
「なにするね、アベさん?」
マリアは、むっとして阿部を睨んだ。スープラのオレンジ色の車内照明が、彼女の姿をぼんやりと浮かび上がらせる。ブラウンの髪から覗く青く光る目。阿部は一瞬、その東洋系の白人の妖しい雰囲気に気が付いて、どきり、とした。
「尾行されているみたいなんでね。少しスピードを上げるぜ」
マリアはさっと後ろを振り向いた。ヘッドライトが見える。
「シェビーのヘッドライトね」
「わかるのか、あんな遠くで」
マリアは、ふん、と鼻を鳴らした。
「わかるね。ワタシのパーパはキャリフォルニアでディーラーを経営してるね」
「そうか。オレには関係ないけどな」
阿部は2速にシフトダウンして一気にターボゾーンへ回転を上げた。排気音が一気に高まる。中古のレガリスが爆音をたててスープラは尻を沈めた。サスペンションモードをスポーツへ。ヘッドライトに加えてフォグも点灯する。
たちまちスープラは時速100キロを超えて真っ暗な田舎道をを疾走し始めた。
361号線の分岐までにフェラーリは随分と離されていた。
須崎は尾行が一台だけであるということを確認すると、そのまま361へ曲がって行った。白いアストロはフェラーリの姿を確認するまでもなく、ぐんぐんとスピードを上げていく。ここからはストレートの区間が長い。緩いコーナーは続くが山道というほどではない。
アストロの中には4人の男が乗っていた。黒いツナギを着た中東の男達。
助手席の男はドライバーに何事かを指示している。その男だけは濃いブラウンのスーツを着ていた。襲撃には最適な田舎道だった。
阿部には勝算があった。
高浜が置いていったオンボードコンピュータはカーナビモードで作動している。残り10キロほどをアストロに追いつかせなければ逃げ切れる。その後は峠道だ。いくらアストロに排気量があっても、コーナリングでスープラよりも速いはずがない。
「アベさん、ちゃんと道路、見えてるか?」
マリアは不安そうな声を出した。街路灯は無い。真っ暗な田舎道。
「だいたいは見えてるよ」
バックミラーの中のハロゲンライトは小さくなったけれど、まだ消えてはいなかった。3速のまま高回転まで引っ張っている。緩やかなコーナーで、少しアクセルを戻し、再び踏み込む。阿部は気分が高揚するのを感じていた。自分で組み上げた車は完璧だった。ノーマルのスープラに須崎から巻き上げたターボAのエンジン。エキゾーストノートは高く済んだ音色を奏でる。排気管の途中にタービンがあるなんて思えない澄んだ音。いったん全部バラして組み直した足回りもスムーズだ。突っ張るでもなく沈み過ぎるでもなく、じんわりと路面を掴んで離さない。
もう、後ろからせまるアストロなんて、どうでも良かった。その中に誰が乗っているのか、そいつらの狙いがなんなのか、そんなことはどうでも良くなっていた。
その瞬間、阿部はただエンジンとタイヤのたてる音色に酔いしれて、途方も無いスピードで闇の中を疾走していた。
「アベさん、スピードをダウンね」
不機嫌そうな声でマリアが叫んで阿部は我に返った。既に峠道に入っていた。コーナーの度に横Gでシートから放り出されそうなってマリアは必死にアシストバーにしがみついていた。
「そうはいかない。追いつかれるわけにはいかないんだ」
「ワインディンロードに入ってから、ずっとリアがダンシングね。北海道までタイヤがもたない」
阿部はちらっとルームミラーを覗く。もうそこには追走車の光は無かった。
「それにデイトナ気取りは早死にするね。マリアは道連れ嫌ね。シェビーがスピード上げるならパスさせればいいね。レースする必要なんてない」
「そうはいかないんだ。あのアストロの連中はスープラの後ろに積んでる荷物を狙っている」
「なに寝ぼけてるね?」マリアの声がとげとげしくなった。「映画の見過ぎね」
「信じなくて構わないさ。これはオレの車だし、嫌なら降りたっていいんだぜ」
「こんな山の中に置き去りにスルつもり?スザキさんがアベさんはフェミニストだって言った」
「ああ、そのことなら」阿部はにやりと笑うとマリアの方を見た。「あいつは昔から嘘吐きなんだ」
その頃、高浜はボーイングには乗っていなかった。
彼が乗ったのは双発のターボジェット機で、それは鳥取に向けて飛んでいた。念には念を入れての行動だった。北海道行きの空の便には本名で、鳥取行きには偽名で予約が入れてあった。
万が一、捜索の手が伸びたとしても、警察は千歳空港で高浜を探すことになるだろう。彼は永久にそこへは降り立たない。
窓の外は暗闇で彼にはそこがどこなのかわからなかった。
ちょっと眠ってしまったようだった。疲れが出たのだろう。
緊張に次ぐ緊張の連続だった。最も緊張したのは空港で偽の名前でチェックインする時で、これがばれたら即座に計画が終了する、ということに気がついたからだった。空港の様子は、いつものままだったが、そこらじゅうに警察や警備員が入るような気がして仕方が無かった。
こんなリスクは冒すべきじゃ無かった。北海道行きの便に予約を入れたのは間違いじゃなかったけれど、だからといって空港に来る必要はなかった。そのまま列車で移動すればよかったではないか。
だが、いまさらそんなことを考えても仕方が無い。
機内の人間はまばらで飛行機は安定して飛んでいる。
順調だと思うことだ。とにかく計画通りに進んでいるのだから。
須崎は、中央自動車道から長野自動車道へと合流し、さらに上信越自動車へ入っていた。
東部湯の丸サービスエリアでフェラーリを停め、そこでメイを誘って食事にした。たいしてうまくもなかったがコンビニの弁当よりはマシだと思った。
メイは明るくて良くしゃべる。半分は英語、日本語は文法が時々間違っている。須崎の方だって外国語が駄目というわけじゃない。