マキシマムスピード
高浜は阿部の携帯へメールを送信した。
もう、囮をしなくてもいいんだ、と。そして重要なことがもう一つ。
高浜は歩いていた。
何処へ向かっているのか、その結果がどうなるのか、もはや考えることさえなくなっていた。それが高浜にとって唯一の責任の取り方だと思ったし、他に方法は考えつかなった。
自殺しよう、というのではなかった。
ただ、とにかくそこから誰の力も借りずに歩いていくことが、とても正しいことのように感じたのだ。
理由は無かった。
哲学的な命題に支配されて、高浜は夢遊病患者のようにふらふらと歩いていた。
そこが何処で、何をする場所なのか、高浜にはどうでも良いことに思えた。このまま消え去ってしまえばいい、と高浜は思った。
兵器開発に手を染めるのは嫌だった。
だけど、警察に捕まるのも嫌だった。
阿部の言った言葉を思い出しながら。
本当に正しいことは、後になってみなければわからない。何が正しくて何が正しくないのかなんてわからないのだ。だから、自分を信じるしかないんだ。自分に嘘をつくな。
高浜は、自分の気持ちを整理しようとしたりはしなかった。溢れる感情と考えが、混沌のような思考を作り出す。その混沌の中にしか本当の気持ちは無いような気がした。正気のままでは、本当の本当はわからない。
それが危険なことだと、高浜は気がついていた。
もう一歩踏み出したなら、きっと高浜は気が狂ってしまう。
正気と狂気の境目で、本当の自分の気持ちを探してみるのだ。
だが少しづつ高浜は狂気に飲み込まれていく。自分では、不思議なくらいにクリアな思考をしていると思いながら。
客観的に言うならば、こうだ。
彼は真駒内の駅で地下鉄を降りた。その後の彼の消息を知る人物はいない。彼は生きているのか死んでいるのか、誰も知らない。警察や、国内外の組織が彼の消息について調査したが、結局誰にもわからなかった。結論として、彼は自殺の可能性が高い、とされた。
それが真実なのかどうか、やはり知る人はいない。
荷物の方は、順調に運ばれていた。
ハイエースに載せられたコールドスリープ装置は、ようやく室蘭を過ぎたあたりだった。
それは莫大な利益を生む偉大な発明品のはずだった。基礎研究は終了している。実際に商品化するのは時間の問題のように思われた。
研究者がいなくたって・・・とドライバーの後ろの席でコールドスリープの装置を眺める男は思った。彼だって研究者の端くれ、実物の機械が目の前にあるのだから、少しぐらい時間をかければ彼にだって構造や理論を研究することは出来る。少なくとも、彼はそう思った。応用方法は無限にある。この機械は、間違いなく戦場を一変させる可能性があった。
空からの爆撃ならば、ミサイルを使えばいい。衛星による誘導で狙った場所へ確実に爆撃が出来る。破壊活動なら、それでいい。
だが、現実の戦場では、必ずしも遠隔操作だけで戦闘が終結するとは限らない。攻撃の後の侵攻作戦では、必ず人員が戦場に送り込まれる。地域を制圧するのは、生身の人間しかないのだ。そこでは、必ず犠牲者が出てしまう。それが敵にせよ、味方にせよ、いや、民間人も含まれるだろう。そうして戦争は泥沼化する。
でも、そこにコールドスリープ装置があったなら。
敵は民間人も含めて眠らせることが出来るのだ。かなりの確率で武器を持つ敵だけを捕獲し民間の犠牲を出さない作戦が展開できるのだ。時間の停止は生物だけが受けるので、その中で行動するロボットが必要になるが・・・そのロボットは高度な戦闘ロボである必要は無いのだ。遠隔操作する人間はコールドスリープ装置の影響を受けない場所から、誰の妨害も受けずに敵を排除する操作をすればいいのだから。戦闘ロボット兵器である必要もない。ただ、人間を移動する機能か、もしくは殺害する機能があれば・・・
わざと国道を外れてコーナーでの速度低下を避けた最低限のカーブで阿部は二つ目のコーナーを時速120キロで立ち上がった。
「マリア、後ろとの差はどのくらいだ?」
「すぐ後ろ、ステージアが先ね」
マリアが叫び返す。ランエボのドライバーはテロリスト達の出方を見るために、わざと速度を落として先に行かせた。第一、阿部のスープラを襲っている最中にテロリストにマシンガンを乱射されたら対応のしようがない。
コーナー立ち上がり速度は阿部の方が速かったが、加速の良さが違っていた。
「だめね、追いつかれる。逃げて」
マリアはステージアのフロントガラス越しにライフルを持つ男がサンルーフから身を乗り出そうとしているのが見えた。
「わかった」
阿部はダッシュボードのスイッチを押し込んだ。制限されていたターボの過給圧が一気に高まる。追加インジェクターが燃料をマニホールドへ噴射する。推定最高出力700馬力が4速ギアでリアを沈み込ませ、スープラは蹴飛ばされたように姿勢を崩しかけるが、阿部がステアリングで立て直すとズルズルとリアタイヤを滑らせながら凄まじい加速を始めた。
サンルーフから顔を出したテロリストは、そこに標的がいないのを見て困惑した。ステージアのドライバーは、後部座席で立ち上がっている男に向かって怒鳴りながらアクセルに力を込めた。慌てて首を引っ込めるとステージアはさらに加速した。速度計は200キロに近い。これでは射撃なんて出来る状況じゃない。前に出てスープラを止めなければ。
だが・・・
どんどん離れていくスープラの姿が信じられなかった。いったい何が起きているんだ。
さっきまでのクルマと同じなのか?