再びロードブロック
再びエンジンが咆哮を上げた。
直列6気筒3000ccツインカムターボ。ブラックのボディーは走り抜けてきた距離を物語るように薄っすらと埃を被っていた。バンパーやボンネットには虫の死骸や跳ね石で出来た傷が無数に付いていた。タイヤもエッジが溶けた跡がある。ギアを入れ、咳き込みながら走り始めた。低速トルクよりもパワーを重視したセッティングのため、ゼロからの動き出しは静かに行おうとすると難しい。アスファルトの上へ踏み出すと阿部はアクセルを踏み込んで加速していった。続いて須崎のフェラーリがスープラを追った。こちらのエンジンは歌うように響いた。トランスミッションはセミオートマだからクラッチ操作は要らない。
「目撃情報によれば、中東系のテロリストが洞爺湖を通過しているね。だからルート的にはルート5で小樽方面へ向かって走るね」
マリアはフェリー出航までの間に高浜から教えてもらったオンボードコンピュータを使って地図を表示させた。
「須崎たちはどうするんだ?ルートは国道5号でニセコを抜けて支笏湖方面か、このまま海沿いを走って洞爺湖をかすめるルートしか無いだろう?」
マリアは笑みを浮かべた。
「アベさん、貧乏が身に染みてるみたいね。須崎さんは道央自動車道路、高速道路を使って札幌までノンストップね」
阿部もつられて笑った。
「忘れてたぜ。こんな走りやすい道路があるのに高速道路なんて意味が無いしな」
阿部は頭の中でテロリストが、こちらの動きをどうやって察知しているのかを考えていた。トライバイテックや警察みたいにスープラが搭載する位置情報通報装置の電波を拾っているとは考えにくい。あれは開発者側が何らかのトラブルの際に機械の位置を知るために付けられたものだ。その情報がテロリストに筒抜けだったとしたら、まったく逆効果になってしまう。
須崎が長万部インターから道央自動車道へ姿を消した。左ハンドルのフェラーリの助手席から高浜が心配そうな顔で阿部たちを見ていた。阿部は左手を上げて、それに答えた。
阿部のスープラは急速に濃くなる緑の中へ進んでいった。
函館本線と併走するように国道5号線は山の中へと進んでいく。
北海道の地理の特徴は、本州と違って街から街までの距離が遠いことにある。本州には平野部に人の住まない場所というのは少ないが、北海道には、そういう場所の方が広い。町を抜ければ、そこは未開の原生林で道路を外れれば自然の中である。
阿部は警察無線を聞きながら、追っ手がこちらを見つけられない理由を考えていた。依然としてスープラのスピードは150キロほどを指していた。長万部を抜けたところで給油した結果からすれば、リッター当たり7キロほどの燃費になった。思っていたよりも良い。だが油断は出来なかった。
警察はヘリコプターを出して捜索しているようだ。
位置情報は通報されているのだが、この装置は基本的に携帯電話の基地局を利用しているため、実際には北海道の大自然の中においては電波が届かないようなのだ。そういえば阿部の携帯電話も圏外である。町に近付けば、位置情報は通報されるだろうが、5分間隔で移動ルートが知らされているわけではないようだ。さらに緑の濃い自然の中においては、空からの捜索も困難だということは察しがついた。本気で行方をくらませる気なら山の中のルートだな、と阿部は思った。
「アベさん、この先でポリスがロードブロックしている。『わらびたい』というところね」
「迂回路はあるか?マリア」
「無いね。長万部まで戻れば別だけど、そっちからも追跡が来てるから難しいね」
「絶体絶命だな」
阿部は、さっきまで考えていたことを否定する。山の中だと迂回路が無い。前後を塞がれたら逃げ場が無い。最低の手だ、と思った。
「どうするね?アベさん」
「進むしか無いだろう。まだ捕まるわけにはいかないんだろう?高浜のために」
直線の先にパトカーの赤色点滅灯が見えた。
一台、二台と数えると、片側1車線プラス路肩の道路を完全に塞ぐ形で5台のパトカーがいた。道路の3分の2を道路に対して平行に並べた2台の車両が塞ぎ、それに直角に2台が前後を塞ぐ。最後の1台が移動して隙間を開けたり閉じたりしているようだ。もちろん、阿部のために開けてくれるはずはない。
パトカーの前には警官が数人立っていた。一人は拡声器を持っている。他の警官は警棒を構えていた。阿部は、クルマ相手に警棒を構えてどうするんだ、と思った。
「アベさん、どうするね?」
阿部は無言でフルスピードのまま近付いていた。
「まさか突っ込んだりしないね?こんな古いトヨタじゃ、マリア死んじゃうね」
残り100メートルのところで、阿部は急ブレーキを踏み込んだ。派手にスキール音を立ててスープラはつんのめるようにして速度を落とした。マリアは予想していない急ブレーキで前に振り出されシートベルトに引き戻されてうめいた。
スープラは道路に対して斜めになって停車した。タイヤの焦げた白煙がスープラを覆い、そうして前方へ風に乗って流れていった。
「死ぬかと思ったね」
マリアは苦しそうに胸をおさえていた。急激にシートベルトに引っ張られたためにブラがずれていた。そっとそれを直そうとシャツの上から押し込む。
「Uターンだ」
阿部は、唐突にそう言うとアクセルを踏み込み、一気にクラッチをリリースした。ずりっとリアタイヤが横滑りしてスープラはアクセルターンを決めた。180度進行方向を変えると2速にシフトアップして一気に加速した。
「アベさん、来たほうに行ってどうするね?そっちは追っ手が・・・」
胸をおさえたままマリアはわめいた。
「わかっているさ」
そう言いながら阿部はバックミラーを見た。警官は慌ててパトカーへと飛び乗っているところだった。先頭のパトカーが動き出す。
「マリア、後ろを見てろ。パトカーが全部動き出したら教えろ」
マリアはシートから身を乗り出すようにしてドアとシートバックの隙間から後ろを確認した。どんどん遠ざかっていく。どうしてあのパトカーは、そんなにノロノロしているんだろう、とマリアは思った。だがパトカーが遅いわけではなかった。




