7M-GTE
マリアは阿部の背中を指圧しながら注意深く周囲に気を配っていた。
こちらに特別注意を払っている人間はいない。もちろん、外国人のマリアとアロハシャツの長身の男の組み合わせが目を引いていないわけではなかったが。
「機械の複製が3つある、というのは初耳だな」
「あるね。でも海外へ持ち出すことは出来ない。厳重な監視下にあるからね。日本の政府だってバカじゃないね。唯一のチャンスが今回の事件だったね。高浜さんの会社は、秘密に機械を作って売り払うわけにはいかなかったね。だから、あの機械と高浜さんは、今となっては警察組織にも追われているね。高浜さんの会社は、マリア達が機械を奪った時点で取り引きを中止してる。位置情報を発信しているアベさんのクルマは、警察からも追われることになるね」
「ハードなオーダーだな」
「まだあるね」
「まだ?」
「本当のテロリストが来ているね。マリアの組織が手に入れた情報によれば、中東過激派の一派がコールドスリープの機械を狙っているらしいね。1時間ほど前に登別を通過したらしいね」
「車種は?」
「旧型のエスティマとステージア。色はグリーンとシルバー」
「エスティマは問題ない。ステージアの方がひっかかるな。どんなステージアだ?」
「どんなって・・・シルバーの・・・」
「そうじゃなくてエンジンとか足回りとかだよ」
マリアは呆れていった。
「わかるわけないでしょ、アベさん。ステージアはステージアね。何か知りたいなら自分の目で確かめればいいでしょ?」
「そうだな」
阿部は、ありがとう、と言って上半身を起こした。船内アナウンスが函館への到着を知らせ始めていた。フェリーのエンジン音が高鳴る。スクリューが逆回転でブレーキをかけていた。
「じゃあ、行ってくるよ。マリア、後で会おう」
「うん。アベさん、無事に来てね」
マリアは、胸が締め付けられるような気がした。そんな気持ちになった自分が、マリアには不思議だった。
エンジンが轟音と共に目を醒ます。
トヨタ7M-GTE。総排気量3000cc直列6気筒。ピークパワーを重視して大型のターボチャージャーを備える。阿部のスープラに載っているエンジンはレース用にチューンされたものを公道用に作り直したもので、通常最高出力400馬力。
足回りはターボA仕様。たった500台が限定的に生産された「スープラ3000ターボA」というクルマがあった。阿部のスープラは元々ノーマルの3000ターボだったが、エンジンと足回りを移植していた。
ハッチの開いたフェリーの中でエンジン音が響き渡っていた。高浜は迷惑そうに顔をしかめた。阿部は、そんな高浜の様子など気にもしていなかった。順番にフェリーから降りる。朝日がまぶしかった。一瞬、明るい日の光に視界が遠のいた。
光に慣れた目に飛び込んできたのは広がる大地だった。
視界が抜ける。北海道に上陸したんだな、と高浜は思った。視界を遮るものが少ないのだ。空間が広がっていく。スープラがフェリーから完全に降りて駐車場を横切るように走っていても、その印象は変わらなかった。知っている景色とは、何かが違う。
起伏が無くて、道路が広い。そしてまっすぐに伸びている。道路の行く先は霞んで見えた。港を出ると、その印象は、さらに強くなった。
「さあ、いくぞ」
阿部は高浜に告げると、アクセルに力を込めた。やたらと広い道路へスープラは躍り出た。スピードメーターの針は、あっという間に100キロを越えた。だが、周囲のクルマも、それに近い速度で走っていた。ここでは、それが普通の速度のようだった。
「郊外に出たら、すぐに行動に出るぞ」
高浜は、はっと我に返った。いつの間にか阿部のスープラは一台のトレーラーの後ろに付いていた。阿部たちが襲う手はずになっているトレーラーだった。
トレーラーは時速80キロ程度で走っていた。
天気は快晴、風も無い。気温は20度くらい。抜けるような青空も、本州のそれとは色が違って見えた。何故か色が鮮やかに見えていた。
まっすぐな道を、たんたんとトレーラーが走っていく。街が切れて、海岸が見えてきた。
「追走車はいるか?」
「いないよ、阿部ちゃん」
「じゃあ、行くぞ」
そう言うが早いか、阿部はスープラのシフトを3速へ叩き込んだ。一気にエンジンが高鳴る。高浜はシートに体を押し付けられて呻いた。一瞬でトレーラーを追い抜くと、そのまま加速して行った。充分に距離を取って、海岸へ逸れるわき道の入り口でスープラを停めた。阿部は、ドアを開け、急いでアサルトライフルを取り出した。
「演技だとわかっていても緊張するね」
助手席から降りた高浜が脇に立っていた。
「シナリオどおりに行くぞ」
「うん、阿部ちゃん」
トレーラーが近付いてきた。道路が直線だから、遠くからもはっきりとわかった。高浜が大きく手を振ってトレーラーに停止をアピールした。阿部はライフルを構えると一発を空に向けて発射した。トレーラーは急停車した。
「シナリオ通りだな」
高浜が、トレーラーにわき道へ入るように指示を出していた。その隙に阿部はトレーラーの助手席へよじ登ると、ドアを開いて乗り込んだ。
「ご苦労さん」
トレーラーのドライバーは両手を上げて演技をしつつ、そう言った。
「どこで誰が見ているかわからんからなあ。格好だけは演技させてもらうよ」
「そうだな」
阿部もライフルで指図する。元々ライフルには1発しか入れてはいなかった。残りの弾丸はスープラのトランクの中だった。そろそろとトレーラーは海岸へ入っていく。その後ろから、エンストさせながら高浜が運転するスープラが続いた。
「しゃれにならねえな、オレのクルマをあんな運転で・・・」
「まあ、仕方ないだろうさ」
太ったトレーラーのドライバーは無精ひげによれよれになった作業服を着ていた。幹線道路から見える範囲でトレーラーを停めて、再び阿部はトレーラーを降りた。コンテナを開けて中の荷物を運び出す。擬装用の段ボール箱と毛布だった。手早くスープラへと移し変えた。そうしておいて、わざとグズグズとトレーラーまで戻っていくと前輪のエアバルブを押してエアを抜いた。これも偽装の一つだった。ドライバーは、後で車載したエアコンプレッサーで空気を入れればいいだけのことだ。
「阿部ちゃん!来たよ!」
振り向くと、高浜が指差していた。さっき阿部たちが入ってきたわき道を白いハイエースが入ってくるところだった。
「ハイエースかよ。物足りない相手だな」
そう、阿部がつぶやくと、そのワンボックスの後ろから三菱ランサーが現れた。
「そう来なくっちゃ、な」
阿部は走り出した。高浜を追いやりスープラの運転席へ滑り込む。高浜も助手席でシートベルトを締めた。
「さあ、行くぞ。相手はランエボだ。さっさとダートは抜けたいもんだな」
そう言うと阿部は、声を出して笑った。