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下北半島

 真夜中にはスープラは青森の先端、下北半島を北上していた。

「もうすぐ日が変わる」

 阿部はデジタルの時計を見てつぶやいた。

「僕の運命も変わる」

 高浜は、熱に浮かされたように遠い目で誰に言うとも無く言った。

対向車は無いに等しい。霧が深く見通しは悪い。

「音楽でもかけるか?」

 阿部は、あくびをかみ殺しながらバックミラーに手を伸ばした。バックミラーの中でマリアは阿部を見ていた。マリアは電話をかけ、そうして計画は動き出した。下北半島の先端、大間からのフェリーで落ち合うことになっていた。霧は深く、ワイパーを度々操作しないと視界が確保できなかった。高浜はスープラのハロゲンライトが照らし出す下北半島の景色が、まるで自分の、これからの人生のようだ、と思っていた。まるで見通しのきかない視界の、その向こうを一生懸命に見透かそうとしている。

「どうせ懐メロしかないんでしょ?」 

 マリアは、そう声をかけた。

「ラジオでもいんだぜ?」

 そう言うと阿部はオーディオの電源を入れる。FMは雑音が多かった。AMに切り替えるとロシア語の放送が流れ込んできた。

「阿部ちゃん、函館の港を出たところで待ち伏せがある」

 高浜は、ため息とともにつぶやいた。

「ああ、さっき聞いた」

「突破できると思う?」

「さあな。でも、その時点では、こっちが逃げるとは思ってないはずだろ?そこに賭けるしか無いな」


 むつ市を過ぎた。

 時計は12時を過ぎた。

 霧は濃い。

 スープラの中はビリー・ジョエルの曲が静かに流れているだけで口を開くものはいなくなっていた。高浜は疲れていた。阿部も疲労は感じていた。マリアは何かを考えているようにも見えたし、ただぼうっとしているだけのようにも見えた。

「マリア」

 阿部は霧の中の路面を見たまま話しかけた。

「なに?」

 マリアは、びくっとしたように返事をした。

「本当の父親が日本にいるという話も嘘だったのか?」

 マリアは、ルームミラーの中の阿部の横顔を見た。

「私のパパはカリフォルニアにいる。本当のパパは日本人だって聞いた事はあるね。だから全部嘘ってわけじゃないね」

「別に探しているわけじゃないのか?」

「今さら探してどうするね?私、2年も日本にいるね。本当のパパと同じ年代の男、いっぱい見たね。みんな楽しくなさそうな顔で毎日、同じ暮らしを繰り返しているね」

「2年もいるのに、日本語は下手だな」

「下手なんじゃないね。これ、口癖ね」

 憤慨したようにマリアが答えた。

「子供がいて、仕事があって、みんな疲れているんだ。楽しくなさそうなんて言ってはダメだ」

「そんなことわかってるね。私のパパ、ディーラーの仕事ばかり。私はパパに遊んでもらったこと無かったね。だからUCLAを卒業して日本へ来た。でも、日本のパパ、なんかみんな暗いね。何かしようとする気力を失っているね。もう、どうでもよくなった」


 大畑というところで左へ入った。

 真っ暗な県道を上っていく。霧雨が、ほんの時々現れる街灯に浮かび上がって幻想的な雰囲気だった。

「なんか生きている人、見ないね」

「クルマが来ないからな」

「幽霊でも出そうな感じだね、阿部ちゃん」

「まあ、それも有り得るだろう。なにせ、この先は恐山だからな」

 高浜はビクッとして阿部を見た。マリアは不思議そうな顔をした。

「オソレザン?」

「ああ、恐山だ。日本で一番有名な聖なる場所で、死者が集まるとされている」

「じゃあアベさん、この辺りはゴーストだらけってことになるね?」

「そうさ。だから幽霊が出たって不思議じゃないって言ったんだ」

 高浜は消え入りそうな声で言った。

「阿部ちゃん、目的地は直進だよ。どうして左折したの?こっちは恐山に行く道だよ?」

「まあな。せっかくだからな。また温泉にでも寄っていこうかと思ったんだよ」

 高浜は首を勢いよく振った。

「やめて、阿部ちゃん。そんな余裕は無いし、第一僕は、こんなところで温泉なんて嫌だよ。それに真夜中だ」

「真夜中でも入れる野天風呂があるんだけどな」

「嫌だってば」

 阿部はアクセルから足を上げた。ゆっくりとスープラは減速した。

「そうか。残念だな。車の中で寝たから温泉にでも入りたかったんだが」

 ステアリングを一杯まで切って、いっきにアクセルを踏み込んだ。スープラはアクセルターンの要領で向きを変えた。

「じゃあ仕方ない。寄り道なしで行くか」


 道は、さらに暗くなり峠道へ入った。

 車外は闇に支配された鬱蒼とした森。霧は晴れないまま、のっぺりとスープラを包み込んでいた。その中を、阿部はハイペースでコーナリングしていく。フォグライトが闇を切り裂きハイグリップタイヤがアスファルトを掴む。

「そういえば阿部ちゃん、ずっと昔にもこういうのあったね」

 唐突に高浜は話し出した。

「ずっと前、大学の頃に阿部ちゃんの車に乗っけてもらったよね」

「いつだ?ソアラの時か?スカイラインの時か?」

「阿部ちゃんは、いつも車中心だよね。どっちかなんて忘れたよ。ただ、阿部ちゃん煽られてさ、切れちゃったんだよね」

「煽られて切れた?覚えが無いなあ」

「そういうことじゃなくてさ。阿部ちゃんはね、時々、自分が神様だ、みたいな感じのことをするんだよね。あれはバチが当たったんだ、みたいな」

「バチが当たったのさ」

 阿部は悪びれずに言った。

「そんなの人間のすることじゃないよ」

 阿部は首を振った。

「いや、昔からそうなのさ。例えば電車の中でシートに上っている子供がいたとする。そいつの頭をひっぱたたいたら、それはバチが当たったと言うんだ」

「だって、それは電車のシートに土足で上がるのが悪いことだから・・・」

違うな、と阿部は言った。

「今時そんなことをすれば親が黙ってないから、そういうことは無くなったけどな。昔の爺さんなんかがガキの頭を叩いたのは教育熱心だったからじゃない。単にむかついたからだろう。子供の将来がどうのなんてこと、考えちゃいないのさ。ただギャーギャーうるさいガキに腹を立てただけなのさ」

「それは・・・」

「それを昔の人は道徳心があったとか、村社会の掟があったとか言っているだけなんだ。違うだろう。腹が立った、むかついた。それだけのことだ」

「それは阿部ちゃんの意見でしょう」

「そう、オレの意見だ。でもバチを与える人間の理由なんてものは、本当はどうでもいいはずだ。なんでそういうことになってしまったのか、それを防ぐにはどうしたら良かったのか、そっちが大切だろう」

 マリアは、う~んと唸ってから言った。

「それは違う気がするね」

「そうだな、違うかもしれない」

 あっさりと阿部は意見を引っ込めた。拍子抜けしてマリアはシートにどすんと身を沈めた。

「百歩譲って、腹が立ったから子供の頭を叩くっていうのにも意味があったとしてもいいよ、阿部ちゃん。僕はどっちでもいいことだから。でも、阿部ちゃんが腹が立てたからって、人を殺していいということにはならないでしょ?」

「ならないさ」

「じゃあ・・・」

「でも死んでない」

「それは結果論じゃないか」

「結果は重要だ。歴史を見ればわかることだろう。人の争いに正義があった試しは無いだろう。結局、結果が出てからしか正しかったのか正しくなかったのかわからないんだ」

「なんか嘘っぽいなあ」


「嘘っぽくないさ」

 阿部は5速へシフトする。風の具合で時々、霧が晴れる。そうすると、そこは田舎の漁村だということがわかった。エンジンの回転数を低く保ち、阿部は出来るだけ静かにスープラを走らせた。

「お前だって同じだろう、高浜。お前の研究だって正しいのか正しくないのかわからない。結局は結果が出てからしか何も言えないだろう」

「それを兵器にするのか、それとも食料維持に使うのかってこと?」

「そうじゃない。高浜が正しいことをするのかどうかってことさ」

「でもそれは僕が決められることじゃない」

 阿部はため息をついた。

「例えば、あの機械を海にでも放り込んで会社に戻り研究資料を破棄してしまう、というのも一つの手だ。それなら高浜にも出来る」

「そんなのダメね。もったいないね」

 マリアが叫んだ。

「例え話だよ、マリア」

 阿部は続けた。

「このままいけば、どっちにしても兵器か、それに近いものに転用されるのは間違いないんだ。そうなれば、高浜の意思とは無関係に人が死ぬだろう。人が死ねば、その機械を開発した人間は恨まれるだろう。そうなれば高浜は正しくなかったということになるかもしれない」

「マリアの会社は殺人兵器にするつもりじゃないね。本来のコールドスリープの機械として開発するね」

 阿部は皮肉っぽく笑った。

「マリアの言うことを信じて付いていくか?高浜。マリアがそう言ったからって、物事がそうなる保障は無いんだぜ。正しいと信じていても、やっぱり間違っているということも有り得るんだ」


「じゃあ一体、僕は何を信じればいいんだよ、阿部ちゃん」

 高浜は、哀れっぽい声で言った。

「自分を信じてろ」

 阿部は即答した。

「はあ?」

「はあ、じゃない。自分に嘘をつくな。都合のいいことにばかり目を向けるな。自分を誤魔化すな」

「はあ?」

 高浜は、再びそうつぶやいた。

「意味わからないよ、阿部ちゃん」

「人間だからな、間違うこともあるんだ。でも最良の選択を自分に誤魔化し無しで選んでいれば後悔しなくて済む。結果的に間違っていたとしても、他に選択肢は無かったんだ。いや、あったかもしれないが、そっちはもっと悪かったはずなんだ。そう思えるくらいに自分を信じていろ」

「独善的ね、アベさん」

「うるさい、マリア」

 阿部は思わず、そう言った。

「自分を過信すると、独善的、と呼ばれることになるわけだね、阿部ちゃん」

「そうさ。まずは他人のことを考えろ」

「それって、さっき言っていたことと矛盾してない?」

「矛盾していて当然なんだよ。人間なんだから」

「センダミツオね、アベさん」

「違うって。相田みつおだ、マリア」

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