AK47
マリアはスープラから降りた時、自分がとんでもないトラブルに陥ったことを自覚していた。阿部はマリアを置き去りにするだろうと思った。アストロに乗っていた3人組は、マリアが最初に考えていたマフィアか何かではなくて、テロリストなのかもしれない。彼らは中東系にしか見えなかった。利用価値の無くなったマリアを助けてくれるとは思えな
かった。
と、いうことは、マリアは自分ひとりの力で危機を乗り越えるしかない。
マリアは出来るだけノロノロとアストロに向かっていた。早く何かアイデアをひねり出さなければ。
「早くしろ」
阿部が叫んだ。マリアは決心してアストロに飛び込んだ。運転席によじのぼり、シフトをドライブへ動かすとハンドルを一杯に切り込んだ。そう、簡単なことだ。マリアはこのまま逃げればいいんだ。バイパスのガードレールへアストロのボディーを擦りつけながらUターンをする。だが大きなボディーは一発では切り返せなかった。バックへシフトしてもう一度やり直そうとした。
「お嬢さん、そこまでにしようか」
唐突に響いた声にマリアはキャッと悲鳴を上げた。
「静かに。ニュートラルへ戻してこっちを向け」
言われたとおりにして振り返ると、そこには男がいた。仕立ての良さそうなスーツを着た中年だった。手には小さな拳銃があった。
動きを止めたアストロに阿部は不信感を覚えた。目を凝らすと後ろを振り返るマリアが見えた。それで全てを悟った阿部は、スープラへ駆け出した。
「待ちなさい、阿部君」
アストロから降りた男は、良く通る声でそう叫んだ。
「君の負けだよ。大人しくしていなさい」
男は言った。ラビーフからの情報は間違ってはいないはずだ。あの黒いスポーツカーに乗る男の名前は「阿部」だ。取り立てて言うほどの男ではない。目の前で女を人質にされて見捨てるほどのプロの運び屋ではない。マリアの腕を後ろから掴み、男は進み出た。
「クルマから離れているんだ、阿部君」
阿部は冷静だった。自分でも不思議なくらい冷静だった。
「どうして俺がマリアを助けなくちゃならないんだ?その女は裏切ったんだぜ」
だが男は首を振った。
「しかし知らぬ女でもあるまい?目の前で殺してもいいんだよ」
阿部はスープラから離れるとAK47を構えた。狙いはマリアと男の方へ向いていた。
「マリアを殺せば、すぐにお前も死ぬ」
「そんな脅しには乗らないよ」
男は、そう言うと目線を外した。つられて阿部も見た。逃げたはずの二人が戻ってきていた。
「例の荷物を降ろせ」
男は二人の中東人に命令を下した。二人組みはスープラの後部へと回ろうとした。男は聞き取れない言語で何かを叫んだ。二人組みの一人が運転席に回りトランクのレバーを引く。もう一人が荷物のシートをはがした。阿部はAK47の銃口を男に向けたまま見ているしか無かった。男は命令を矢継ぎ早に言っていた。一つも聞き取れない。
二人組みの中東人がトランクから大きな荷物を引き出してアストロへと運び去った。
阿部は歯軋りしながら見ていた。
「さて、もう一つ荷物があったな」
男は再び命令を下す。倒れていた男を仲間が引きずるように連れて行く。阿部の持つAKは銃口を右に左に移しても撃つことは出来なかった。そんなことをすればマリアの命は無い。相手は三人で一人は銃を持ったままマリアを人質にしている。
「追ってくれば、この女の命は無い」
そう告げると男はマリアを引きずるようにしてアストロに乗り込もうとした。
「待て」
阿部は叫んだ。
「マリアを自由にしなければ発砲する」
「そんなことをすれば女の命は無いぞ」
「だが連れ去った後の命の保障も無い。それなら奪回出来るときに努力はさせてもらう」
「そんな馬鹿な」
男は呆れた顔で言った。
「それは論理的じゃないぞ」
「論理なんて糞くらえだ」
男はため息をつくと、唐突にマリアを突き飛ばした。その反力でアストロの影に隠れると拳銃を発砲した。弾丸はマリアには当たらず、マリアは走った。アストロはエンジンを唸らせて発進した。男はドアから飛び込むようにして車内へ消え去った。阿部はAK47を抱えたまま、その照準にアストロを捉えていたが撃たなかった。
男の撃った銃弾はスープラの左前輪に当たりタイヤのエアが抜けていた。
阿部は空っぽのトランクからスペアタイヤを取り出して交換した。緊急用ではない、同サイズのタイヤだった。
「アベさん、どうして私を助けたね?」
マリアは阿部に近寄ると言った。
「さあな」
「さあな、じゃわからないね」
「適当に考えろよ。オレはな、原因と理由で行動を決めているわけじゃないんだ」
「論理的じゃないよ、アベさん」
「論理なんて糞くらえだって言っただろ」
そう言うと阿部は笑った。タイヤのボルトを締めこんで立ち上がった。
「さあ、行くぞ。マリア」
「どこへ?」
「取り返しに行くんだ。奪われたものを」
再び夜の帳が訪れて、ヘッドライトを持ち上げる。
助手席には高浜、後部席にはマリアが乗っている。前方を走るのは須崎のフェラーリF360モデナ。
「まったく阿部君には失望したよ」
高浜はため息混じりにつぶやいた。
「悪かった」
阿部は素直に謝った。高浜の声には皮肉は無かった。そういうストレートな物言いしか出来ない男なのだ。だから恋人も出来ない。
郡山まで新幹線で来た高浜は偽のIDで買ったプリペイド式携帯電話で阿部を呼び出した。阿部が高浜の荷物を奪われた直後のことだった。高浜としては、直接会って行動しようというつもりがあったわけではなかった。阿部の行動が不安で、阿部の態度次第では運送方法を変えるつもりだったのだ。ここまで運んでしまったなら、リスクは半分くらいにはなっているだろう、と高浜は判断していた。
だが、荷物は奪われていた。荷物が無ければ高浜の亡命は無い。高浜は、この荷物の開発の中心にいたが全てを設計したわけではない。高浜の専門分野ではない技術も、その荷物の中には取り入れられている。ゼロから作り直すには時間が掛かりすぎた。だから、どうしても荷物が必要なのだ。取り戻すしかない。取り戻すためには阿部と行動を共にするしかなかった。
「それにしても乗り心地の悪い車だね」
高浜はうんざりしたように言った。
高浜はスープラのオンボードコンピュータで情報を追跡し始めた。
高浜の荷物にはGPSと携帯電話による位置通報システムが組み込まれている。それは、元々セキュリティー用に組み込まれていたものだが、位置を通報する先の設定をスープラのコンピュータへ変更してある。会社へ位置を通報されては困るからだが、結果的にその設定は正しかったと言えた。
「だけど本当に正しい情報なのか?」
阿部は高浜に尋ねた。
「大丈夫。このシステムは秋葉原の電気街で売っているような安物じゃないんだから」
「そうじゃなくて、テロリストどもが位置通報システムを取り外しているんじゃないかってことだ」
「それも大丈夫。ダミーの位置情報システムが取り付けてあるから。そっちは既に外されて機能を停止している。本命のシステムはメカの奥深くに隠してあるから、まず見つからないよ。しかも5分間隔のパルス発信だし発見される可能性はすごく低い」
「そうか。で、どこまで追跡できた?」
「東北自動車道だね。北上している」
「こっちも追うしかないな。ナンバーを変えよう」
そう言うと阿部はダッシュボードのスイッチを押した。
「なに?阿部君。スイッチでナンバープレートを変えられるの?007みたいだね」
うれしそうに高浜が言った。
「いや、それはフォグライトだ。停まってドライバーとスパナで交換する」