デッドエンド
パトカーは追ってこなかった。
阿部は拍子抜けしたように感じて、そのまま国道へ向かった。
「それで、マリアはパパには会えたのか?」
マリアは寂しそうに微笑んだ。
「会えなかった。その人は出かけていたね」
「まあ、そうだろうな。ウィークデーの昼間だからな。どんな家だったんだ?」
「どんなって、普通の家だったね」
「普通って、それじゃあわからないだろう。マンションだったとか一軒家だったとか、黒い壁だったとか、いろいろあるだろう」
「じゃあ黒い壁だったね」
「じゃあって・・・」
「話したくない、アベさん。放っておいてほしいね」
阿部は、ふうっと息を吐いた。
「じゃあ放っておくけど、話したくなったらいつでもいいんだぜ。まだ北海道は遠いからな」
「そうね、アベさん。辿りつけたらね」
マリアは、謎めいた笑みを浮かべた。阿部が何か言いかけた時、バックミラーの中に白いミニバンが写った。そいつは、ものすごい勢いでスープラに迫っていた。マリアは、それに気が付いていた。
「逃げるね、アベさん」
「言われなくとも」
2速へギアを叩き込み、アクセルを踏みつけた。
まだ郊外とはいえ一般車の多い幹線道路だった。前方のクルマに追いついて、阿部は対向車線へと出て追い抜く。すぐに前車に追いつく。後方から迫るクルマは白のアストロ。
一度は長野で振り切ったはずのやつだ。
「どうやって場所を知ったんだ?」
阿部は、ぼやいた。また前車に追いついたが対向車が来ていた。アクセルを戻す。燃え残りのガソリンがアフターファイヤーを起こす。マフラーの中でパン、パンと破裂音がした。対向車が切れたのを見計らって前車を抜いた。後方のアストロとは3台分のクルマがあった。阿部の行く手に信号が見えた。赤。阿部は躊躇してアクセルを戻す。アストロは、その隙に2台まで近寄った。阿部はスローダウンして信号へ近付いた。右からは来ない。
左からは続けて何台かのクルマが近付きつつあった。阿部は左折してアクセルを踏み込んだ。アストロは、既に直後まで迫っていた。アクセルオンで少しだけ差が開く。阿部のスープラの前方にはクルマはいなかった。両側を緑色の水田が広がる。対向のクルマが数台行った後は、対向車もほとんどない。
「作りかけ、だな」
本線を迂回するためのバイパス道路。たぶん、そんな感じのものだ。まだ全線が開通していないから、通過する車が少ないのだ。
「ということは、だ」
阿部は、シフトアップしてスピードを上げた。メーターは130キロを超える。細い交
差道路には人影は無い。
「アベさん、道路、無いね」
前方200メートルぐらいのところで道路が終わっていた。白いガードレールが、その道路を塞いでいた。
後方アストロとは4,50メートルの差があった。
「アベさん、無理ね。止まって、早く止まって」
「わかっている」
阿部はアクセルから足を浮かせ、ブレーキに乗せかえる。一気にブレーキング、回転が落ちたところでクラッチを切り、爪先でブレーキを踏み込んだままアクセルを煽りシフトダウンを決める。ガードレールの寸前でスープラはハーフスピンの形で向きを変えて停止した。そしてその鼻先に、アストロが道路を塞ぐように止まった。
「万事休す、かな」
アストロから男が3人、降りてきた。全員が黒い上下のジャージーで覆面をしていた。
覆面はバンダナのようだ。一人の男の手にはライフルのようなものがあった。
「AK47、アサルトライフルだ」
それに気づいて阿部は息を呑んだ。いくらなんでも機関銃が出てくるとは思っていなかった。すばやく周囲を見回す。脱出できるスペースは無い。道路の中央線はコンクリート製の中央分離帯、歩道側も縁石がある。片側2車線の道路はアストロが二つとも塞いでいてスープラが擦り抜ける余裕は無い。だが、ぶつけてしまえば、あるいは・・・
「つかまってろよ」
そうつぶやくと、阿部は、そうっとギアを1速へ繋いだ。ハンドルを握りしめてアクセルに足を乗せた。
「だめね、アベさん」
突然、阿部の腰に固い何かが押し当てられるのを感じた。
「動かないで」
そう言うとマリアはシフトレバーをニュートラルへ戻した。
「マリア、おまえ、なんで・・・」
マリアの手の中には黒い小型の拳銃があった。
「なぜだ?」
マリアは微笑んだ。
「パパの情報、お金が掛かったね。私、あなた売ってお金作るね」
そう言うと拳銃を押し付けた。
「じゃあクルマから降りるね。あいつらの狙いは荷物だけね。命まで取ったりしないと言ってるね」
「それを信用しろって言うのか?」
「するしかアベさんには選択すること出来ないね」
アストロから降りてきた男たちが近寄ってきていた。AK47は阿部の方を向いていた。
「いや、もう一つ方法がある」
阿部はアクセルを踏み込んだ。スープラのエンジンが吼えた。爆音にAK47の男は瞬間、固まる。シフトレバーを叩き込み、スープラはタイヤスモークを上げて動き出した。
加速の重圧で助手席のマリアはシートに押し付けられて銃口が阿部から離れた。一気に加速したスープラはAK47を持った男に向かっていた。その黒いジャージーの男は驚愕の目で阿部を見ていた。
「俺はスープラを手放さない」
阿部はそう言うと、ハンドルを弾くように操作して続けてサイドブレーキを引いた。車はコマのように回転して男を跳ね飛ばした。停車する直前、阿部はドアを開き車から飛び降りた。AK47が転がっていた。跳ね飛ばした男は5メートルほど離れたところでうめき声を上げて倒れていた。
阿部はAK47を拾い上げると、残りの二人に銃口を向けた。
「さっさと失せろ。さもないとぶっ放すぞ」
阿部は、そう叫んでからふと気づいてAK47の装填ボルトを引いた。道路に倒れているライフルの持ち主には、使う意思が無かったのだろうか、と阿部は思う。いや、油断したんだろう。銃口を向けられた二人は、阿部がアサルトライフルの使用方法を知っていることを悟ると、慌てて逃げ出した。それを見届けて阿部は道路に倒れている男に近寄った。
「死ぬなよ」
阿部は、そうつぶやいたが手を出さなかった。助ける意思は無かった。自分でも不思議なくらいに冷静だった。
「マリア」
阿部は振り返るとスープラの車内に叫んだ。
「降りて来い」
マリアは怯えていた。いやいやをするように顔を振る。阿部はAK47を車内に向けた。
「拳銃を投げろ」
マリアは、手の中の拳銃を車外へと放り出した。それを阿部は拾い上げた。
「やっぱりな。モデルガンだな。それも安物だ」
AK47は本物だった。どう考えても阿部を襲った連中は、その辺のチンピラでは無い。
相手が油断していなかったとしたら、道路に倒れていたのは阿部の方だったかもしれなかった。
「マリア、降りて来い。それからアストロを動かせ」
阿部はマリアに背を向けると道路に倒れている男に銃口を戻した。
「マリアを撃つ気はない。だが、この男の見張りをさせるわけにもいかない。だからアストロを動かしてスープラの出口を作ってくれ」
そう言うと阿部は、マリアに笑いかけた。マリアは、その笑い顔が凄く怖くなった。