3リッターツインカム24バルブツインターボ
スフヤンは難しい顔をしていた。
ハードの動きは滅茶苦茶だ。どうしても論理的なルートとは思えなかった。
「それは正しい情報なんだろうな」
「間違いないだろう。他の情報とも一致している」
ラビーブは、うんざりした調子で言った。仕事が佳境になればなるほどラビーブはスフヤンの必要性を疑問に思った。どうして組織は、こんな男を送り込んできたのだろう。今回の作戦は組織にとって重要な意味を持つ。それをわかっているのだろうか。
「じゃあ出かけるとするか、ラビーブ」
「直接、行く必要なんてないんじゃないのか」
「近くで指揮を取らねばな、ラビーブ。それが指揮官の務めだ」
ラビーブは諦めたようにため息をつく。コンピュータの前へ座りなおすと青森行きの飛行機のチケットを手配した。
つくづく組織は無能なやつを送り込んできたものだ。黙って私に任せてくれれば、もっと簡単にマシンを手に入れることが出来たろうに。結局、昨日は札幌の飛行場でも空振りだったのだ。あの男、高浜とかいう研究員は現れなかった。現地スタッフが見落としたのか、それともそもそも搭乗していなかったのか。それすらわからない。
スフヤンのやることは穴だらけだ。
高浜は駅の近くでネットカフェを見つけた。
インターネットへ接続して阿部の車の軌跡を追う。阿部の車に搭載されたコンピュータは携帯電話の回線を通して情報を送受信している。もちろん、その情報を取り出すには、何重ものセキュリティーがある。誰でも見られるというものではない。
阿部のクルマは指定ルートを何度も逸脱していた。
「何してるの、阿部君」
思わず高浜は独り言をつぶやく。
「勝手にルートを変更するから、こんなことになるんだよ」
ニュースソースにアクセスし、続けて警察のデータベースに侵入した。
「やっぱり。阿部君、人殺しで手配されちゃってるよ」
高浜は阿部のクルマに向けてメッセージを作成した。基本的にコンピュータである阿部のクルマに搭載された機械には、ちゃんと電子メール機能も付けてあった。メールが届くと画面に優先表示されるようにプログラムしてある。これで阿部には警告が伝わるだろう。
間に合うといいが、と高浜は思った。
夕方になって、阿部は目を覚ました。学校帰りの子供たちが大きな声で通り過ぎていく。頭を掻きながら、あくびをすると横になっていたベンチに座りなおした。ホームレスになったような気がした。
風が流れていく。初夏の日差しは夕暮れになって緑の濃い公園を濃紺に染め上げていく。
遊歩道の先には芝生広場があって子供達が遊んでいた。ボール一つで、どうしてそんなに夢中になれるのか、阿部にはもう思い出せなかった。
もう一度あくびをすると、横になりたい気分になった。
眠りが足りない。硬い木のベンチは、お世辞にも寝心地がいいとはいえなかった。浅い眠りを繰り返していたのだろう。疲労感が残っていた。
だが、マリアを迎えに行かなくてはならない。
約束をした。別に反故にしたって誰も文句は言わないと思うが、約束は約束だ。たぶん、マリアは誰かに見捨てられるのを怖がっているのだ。阿部は、そんなふうに考えていた。
一度、誰かに捨てられると、それは大きな傷となって心に残る。マリアは、ずっとそれを心の中に抱えて生きてきたんだろう。父親は、どうしてマリアを置いていなくなったのか。
その傷を、実の父親に会うという、その日に違う形で再現したくはなかった。きっとマリアは父親には会えなかったはずなのだ。だって15年ぶりだかの再会を連絡なしにしようというんだから。それが当然だろう、と阿部は思う。それなのに、阿部はどうして父親に会いに行かせようとしたのか、阿部は自分の軽率さが嫌になる。それだけに迎えに行かなくてはならない気がした。彼女に失望を重ねさせてはならない。それが些細な失望だったとしても、そんな日に味あわせるのは阿部の気持ちとして許されなかった。
ため息をつく。
眠りたい気持ちを押し込めて阿部はベンチから立ち上がった。体中がギシギシと音を立てているんじゃないかと、そう思うほど体が強張っていた。
スープラのエンジンをかけると、約束した駅に向かって走り出した。
オンボードコンピュータの世話にならなくても、一度行った駅なら迷わずに行ける自信が阿部にはあった。それが阿部が高浜からのメッセージを半日以上も放っておいた理由だった。その結果、阿部は待ち合わせた駅で警官の職務質問に遭う。ちょうどマリアがスープラに乗り込んだ時だった。
「旅行、ですか?」
そう尋ねた警官は年配だった。
「そうですが、何か」
阿部は、厭味に聞こえるように言った。警官だって人間だとは思う。でも、鬱陶しい、と思った。仕事でやっているとしても、やっぱり面倒で鬱陶しい。
「このクルマ、あなたのですか?」
「そうですけど、何か?」
阿部は「何か?」を繰り返すことにした。どっかのテレビで、そういう台詞回しの登場人物がいたのを思い出していた。
「免許ショ、見せて」
阿部はにっこりと笑ってみせた。
「なんで?理由無く提示義務は無かったはずだけど?」
そういう態度が、必ずしもいいとは限らない。多くの場合トラブルの元だと、阿部は考える人間だった。でも・・・その時、阿部はトラブルになることに抵抗を感じていなかった。
「このクルマね、手配されているんだよ」
警官がそう言った瞬間、阿部は1速にギアを送り込み、アクセルを踏み込んでいた。
相手が田舎の警官で阿部は助かった、と思った。警官はスープラのエンジンを切れとも言わなかったし、スープラの進行方向を塞ぎもしなかった。バックミラーの中で、その定年間近の警官が慌ててパトカーに戻ろうとしているのが見えた。
マリアはあきれていた。
「アベさん、大胆ね」
阿部は口元だけで笑う。
「いいだろ、大胆で。大胆でカッコいいだろう」
マリアは肩をすくめた。
「わたしには関係ないことだからね。わたし、アベさんが逮捕されたら人質になっていた、言うね」
「そんなことにはならないさ」
阿部はスープラのアクセルを思いっきり踏み込んだ。
スープラ3000ターボA仕様改。450馬力が路面を蹴立ててタイヤが鳴いた。
ラビーブの情報は確かだ、と男は思った。
アストロの中には3人の男が乗っていた。4人目、ブラウンのスーツのやつは、待ち伏せ場所を指定すると立ち去った。どっちにしても、あの男は気に食わない。妙にインテリ面をしていちいち癪に障る。どうせサウジアラビアのインテリなんだ。革命も聖戦も趣味みたいなつもりでやっているやつらなんだ。あいつらは前線には立たない。命を張って戦うのは、俺たちのような戦士だけだ。あいつらは戦士じゃない。ただのスポンサーだ。
アストロは駅から出てきたスープラの尾行を始めた。長野では振り切られてしまったけれど、同じ轍は踏まない。
あいつが積んでいる機械は絶対に必要だった。今回の作戦がうまくいくかどうかは、全てあの機械次第なのだ。狙いは原子力施設なんだからな、と男は思う。
できれば機械は複数欲しいところだが、そうはいかない。一つで我慢するしかない。だが、もしも作戦が実行できるようになったとしたら、男はその任務を買って出るつもりだった。犠牲者は必ず一人は必要だった。あの機械が噂どおりに作動するのなら、それは必然の犠牲だった。
父親も母親も失った。妹は暴行されて自殺した。この世界に救いは無い。悪いのは世界なんだ。変えなくてはならない。復讐しなくてはならない。この俺が味わった地獄を思い知るがいい。