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尻焼温泉

 「アベさん、エンジンの音がうるさいね」

 寝静まった温泉街に改造スポーツカーは似合わない。細い山道へスープラを停め斜面を降りる。

「ここはなんね?」

マリアが不安そうに尋ねた。

「温泉だよ」

 小さな道路灯が薄暗く照らし出しているのは川だった。

「温泉ていうのはホテルにあるんじゃないね?」

「ここは川全体が温泉なんだ」

「そんな、ここでヌードにはなれないね?」

「水着を着ていたっていいんだ、ここは。ま、持ってないとは思うけど」

 そこへ須崎もやってきた。メイも一緒にやってくる。

「温泉だって?阿部ちゃん」

「そうだ。どうせここまで来たんだから、温泉にでも入っていこうと思ってな」

「阿部ちゃん、こういう金の掛からないことは詳しいよね」

「ほうっておけ」

「まあ僕ら二人はいいとして、メイとマリアはどうするんだ?先に教えておいてくれたら用意もしたのに」

「思いつきで来ただけだからな」

 そう言って阿部はメイとマリアを振り返った。

「私は温泉、楽しむ」

メイが宣言した。

「だって、にっぽんの心を知るいい機会ね」

文化人類学専攻のメイは、そう言うとフェラーリの方へ歩き始めた。

「須崎さん、荷物からバスタオル、出したい。マリア、バスタオル貸してあげるから一緒に楽しみましょう」


 尻焼温泉の奥に位置する公衆浴場は川の流れを堰止めた自然のプールのような温泉である。水着の着用が可能で、温泉に漬かるというよりも自然の温水プールのような感覚だ。

ここは24時間入浴が可能だが、ひなびた温泉の夜は静かで、昼間のようなにぎやかな雰囲気は無い。

「暗いな」

 須崎がつぶやくと、阿部は、まあな、と答えた。

「深夜に来る人間のことは想定外なんだよ」

「なんで?」

「そんな時間に来てもらったって温泉街としては利益に繋がらないし、他の観光客の迷惑だろう」

「阿部ちゃん、そういうこと知ってて来てるわけ?」

「だから静かに入っている」

「静かに入ればいいわけ?」

「ああ、誰も気がつかないくらい静かに、な」

 川の中ほどまで進むと、1メートルほどの深さがある。完全に固められているわけではない川底は岩が点在して、急に深くなることもある。目が慣れても視界は利かず、泳げるほどの明るさではない。無闇に動けば岩に体をぶつけてもがくことになる。

「あ、痛」

須崎の声がした。

「だから静かに入れって言っただろ」

「須崎さん、大丈夫?」

メイが近寄ってきた。暗闇の中で首だけを出して泳いでくる。すぐ後ろに不安そうなマリアもいた。


メイと須崎が離れていくとマリアはつぶやいた。

「暗いのは苦手ね」

阿部の隣で立ち泳ぎから手探りで岩に座るようにして、マリアは肩から上を水面に出して落ち着いた。

「これじゃあプールね。タオルなんて、すぐに外れるね」

「外れたって見えないから安心しろ」

「そっか。じゃあそうしようかナ」

阿部は、慌てて顔をそらした。

「別にわざわざすることも無いぞ」

「慌てたね、アベさん。しないよ、そんなこと」

「おどかすなよ」

「でも、メイはもうタオルしてないね」

思わず阿部はメイの姿を探した。川は月明かりほどの明るさしかない。ぼんやりと浮かぶシルエットは須崎だかメイだか、それとも岩なのか区別がつかなかった。

「見えないな」

と言った途端、阿部はバシャっとお湯を掛けられた。

「アベさん、メイを探したね」

「そりゃあ探すだろう」

「どうしてね?メイが好きか?」

「いや、そうじゃなくて」

「好きでもない女の子、どうして男は追いかける?マリアにはわからない」

そう言うと、マリアは阿部に近寄った。

「アベさん、マリアのことどう思うね?」

「どうって、まだ会って数時間しか経ってないんだぜ?」

「数時間もあれば恋に落ちることもあるね」

「まあ、無いとは言わん。でも、オレはそういうタイプじゃないんだ」

マリアは、少し考えていた。

「アベさん」

「なんだ?」

「真面目すぎるって言われたことアルでしょ?」


 マリアは阿部の顔をじっと見つめていた。

 メイの誘いにホイホイと付いてきたのはどうしてなんだろう。そんなだからみんな私のことを軽い女だと言うのだ。どうして会って数時間しか経ってない男と裸でお湯に浸かっているのだろう。そんなだから・・・・

 マリアは自分が男運の悪い女だと思っていた。マリアが付き合う男は、みんなだらしな

かった。男はマリアの東洋的な神秘さに惹かれた。でも、それはマリアの本質ではなかった。少なくともマリア自身は、自分が混血であることを恥じていた。彼女は父親を知らなかった。母親は、彼女が物心付く頃には白人の男と結婚していたし、母親も白人だった。

自分がパパの子供じゃないことは、子供心に気がついていた。パパは、それには触れなかった。ただマリアを愛してくれた。大学へ行けたのもパパのお陰だ。留学したいと言った

時もパパは喜んでくれた。留学先が日本だと知っても態度は変えなかった。本当の父親がいる国かもしれない、とマリアが思っていることにパパは気がついていたはずだった。

それでもパパは何も言わなかった。

阿部は、じっと水面を見つめて動かない。何を考えているんだろう、この男は。日本に来てからマリアはモテモテだった。男たちはみんなマリアに振り向く。東洋人でも白人でも無いエキゾチックな雰囲気に誰もが振り向いた。それも、タオル一枚の素っ裸だというのに。

 なのに、この阿部という男は。


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