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恐怖日和  作者: 黒駒臣
89/132

河童

  

  

 物心ついた頃には、もうこの池に住んでいた。

 周りは森の中、ではなく住宅街の一角らしく、子供たちのはしゃぐ声や車などのクラクション、主婦らの井戸端会議の馬鹿笑いなどが結構聞こえてくる。

 水面から目だけ出し、周囲を確認するのがオレの日課だ。

 ここはわりと大きめの池で、水際から数メートル、草むらに囲まれていて、そばには背の高い木が一本だけ植わっている。何の種類かわからないが、季節が来ればいい香りの白い花が咲き乱れた。

 それを含めた池全体を二メートル高の金網が包囲している。外側には板に書かれた注意書きがいくつか設置されている。内容は『ここに入るな! 危険!』とか『ここで遊ぶな! 危険!』てのもある。『遊泳禁止!』や『ごみを捨てるな』もある。

 もちろんオレは見たことも、読んだこともない。内側にいるから当たり前。見えるのは板の裏側と四隅を金網に止めた針金だけだ。

 じゃあなぜ知っているのかというと、道を行く母親たちが自分の小さな子供に読んで聞かせているのを幾度も聞いたからだ。草むらに寝転んで。

 まさかこんな場所で河童が甲羅干ししているなんて、誰も思わないだろう。きっと気づけば大騒ぎだ。

 オレはここを安住の)だと思っているので、人間に見つかるなんて馬鹿なことはするつもりない。

 だが、注意しないといけない。金網を張っているからといって、注意書きが貼ってあるからといって、完全に安全かと言えばそうではないからだ。

 オレは知っている。この金網、ところどころ破れていて、簡単に人が出入りできることを。

 たまに内緒でわんぱく坊主たちが入って来るが、透明度が0に近い水質の池で遊ぼうなどとは思わないだろう。草むらに紛れた小石を拾って投げ入れるか、買い食いしたスナック菓子のゴミを捨てていくような悪さをしていく程度だ。

 夜中に大人が入ってきて、大量の残飯や一般ゴミに出せない布団や小型家電などを池に沈めていくこともあった。

 悪質な放置ゴミに憤りを覚えるが、まさか怒り狂って水中から飛び出すわけにもいかない。驚かせ反省させるどころか、こっちの身が危険で、池の隅でじっとして立ち去るのを待つだけだ。

 ただでさえ汚い水質がますます汚れていくが、残飯だけはオレにとってはありがたいものだった。


 人前に姿を見せない。

 今を生きる河童――いや昔から、河童にとっては基本中の基本だ。

 それがある日、大失敗をやらかした。いつものように甲羅干ししていて、ついうっかり眠ってしまったのだ。目覚めると木陰に座り込んだ小さな女の子と目が合った。悲鳴を上げられ大人たちに聞きつけられたら一巻の終わりだ。オレはあたふたとパニくったが、女の子は怖がりもせず、細い人差し指を口に当て「しー」と言った。

「かりんっ、かりんっ」

 女の声が近づいてくると、幹の陰に身を縮める。

 ははん、さてはおいたでもして逃げてきたな。

 声が遠のいていくと、ほっと息を吐いてからオレを指さした。

「かっぱね」

 小さいのによく知っているな。

「かりん、ほいくえんのえほんでみた」

 へえ、有名なんだなオレ。

「かっぱね。かっぱ」

 嬉しそうに笑うと、ずっと胸に抱えていたスナック菓子の袋から黄色くてくるんとまるまった菓子を一つつまみ出し、オレの前に置いて自分も頬張った。

 戸惑いながらも一口食う。

 いつもは池に沈んだびちゃびちゃの残飯か小僧たちが捨てていったスナック袋の残り粉しか食べたことがないのでとても美味かった。一つなんてあっという間に食べた。

 女の子はなくなるのを見るとまた一つオレの前に置いてくれた。

「かりんっ」

 さっきの女の声がして、女の子がびくっと飛び上がった。オレも驚いたが、見つからない間に慌てて池の中に戻った。

「そんなとこに入ったらだめでしょ。さっさと出てきなさいっ」

「ママ、かっぱいる」

「うるさいっ、ママが食べてるお菓子よくも盗んだなっ。パパが帰ってきたらお仕置きしてもらうからねっ」

 女の子が金網の向こうに出たのか、叱られて泣き叫ぶ声と母親の怒鳴り声がだんだん遠ざかっていく。

 オレは池から這い出ると草むらの上にぽつんと残っていた黄色い菓子をむしむし食べた。

 ありがとな。この恩は忘れないよ。

 オレはくすっと笑って、あの子また来ないかなと思った。

 でも、ラッキーなことはそうそう頻繁に起こるものでないことを知っている。


 深夜にばしゃんという水音がした。同時にこそこそ男女の話声が聞こえた。

 また誰かゴミを池の中に捨てに来たのか。

 オレは水面から目を出して様子を窺ったが、すでに立ち去った後か、誰の姿もない。

 音がした辺りまで泳ぎ、そこから底に向かって水を蹴った。

 暗い水底にはブルーシートに包まれ、ロープでぐるぐる巻きにされたゴミが沈んでいた。ひと月前に放り込まれたトースターより大きくて、ご丁寧にブロックの重石までつけられている。

 オレはそのゴミの周囲をゆっくり見回った。

 ロープもブロックもしっかり固定されていたが、包み方があまかったのか、中に折り込まれていたシートの端が水の揺らぎに合わせ徐々に外側へ出てきた。

 (めく)れた隙間から中が覗き見れる。顔を近づけると小さな人間の手が見えた。

 その細い指に見覚えがある。あの子の指だ。

 お菓子をくれたいじらしい指は、じっと見ていても動くことはなかった。


 何度目かの朝が来て、何度目かの夜が来た。

 オレはブルーシートを見に来る度、ふやけてしまったあの子の指を(かじ)っていた。その頃にはシートの半分は捲れ広がり、肩から上が剥き出しになっていた。

 ぼよぼよにふやけてしまった顔はもとがどうだったのか、すでにわからなかったが、オレはあの子に間違いないと確信していた。だから、頬の肉を()んだ。溶けかけていた目玉も飲んだ。

 ありがとな。この恩は忘れないよ。

 オレは前にも言った感謝の言葉を心でつぶやきながら、あの子の肉をどんどん食んで自分の血肉とした。


                 *


「大丈夫。浮かんできてねえわ」

 密やかな男の声がして、懐中電灯の丸い光が池面をあちこち照らした。

 続いて女の声がする。

「だから見に来なくていいって言ったじゃない。こんなとこ人に見つかったら逆に怪しいでしょ。ちょっとぉ、あんまりあちこち照らさないでってっ」

「おめえの声がでけえっての。ふん、心配すな。誰も来ねえよ、こんなとこ」

「そんなことないわよ。うちらみたいにゴミ捨てに来る奴がいっぱいいるし。見てよ。このゴミ、気持ち悪いったら。ね、早く帰ろ」

 女は不快そうに草むらで足踏みした。

「にしても、うまくことが収まってよかったな。児相の連中も信じたみたいだし」

「うん。わたしの子育てに疲れ切ったって演技がうまかったのかもね。少しの間、県外の祖父母に預かってもらってます――で、納得して帰ったもん」

「そんなでばれないか?」

「なんも言ってこないのは、ばれてないってことでしょ? 担当の人も大勢いる一人なんか、目の前からいなくなれば、これ幸いって、行ったほうに丸投げするわよ。ただでさえクソ忙しいんだからさ。

 で、丸投げされたほうは『はいはい確認しときま~す』ってな感じで軽く受けながして、そのまま忘れるんじゃない?

 全部が全部そうじゃないだろうけどさ、たまにあるのよ、ずさんなところ。そういうのにうまく当たったんだよ、うちらは」

「ああー、この当たりが宝くじだったらなあ」

 懐中電灯を足元に照らしながら男が溜息をつく。

「買う金もないくせによく言うわ」

 女が鼻で笑っていると、「うわっ」と男が大声を出した。

「しーっ! なに大声出してんのよっ」

 女が慌てて注意する。

「おいみろよ。これ。すっぽんじゃん、珍し。捕まえようぜ」

「うそ? ただの亀でしょ」

「ホントだって、ほらっ、なっ。こいつバカじゃね? 俺の足元に近づいて来たよ、いかにも捕まえてくださいって感じで」

「捕まえてどうすんのよ?」

「さばいて食うに決まってんだろ」

「やめてよ。気持ち悪い」

「なに言ってんだよ。高級食材だぜ。なかなか口にできない代物――よしっ捕まえたっ、帰ったらさばいて、明日は朝からすっぽん鍋だっ。なんだかんだ言ってお前も食うんだろ?」

「食べるわよ、もちろん。でも、後片付けもあんたがやってよね」

「わかってるよ」


 数日後、金網の修理を兼ねて池と周辺の見回りに来た市職員が不自然に浮かぶブルーシートを見つけた。

 不法投棄の量とモラルのなさに辟易しながら、ただのブルーシートにしては重みのあるそれを引き上げ、幼児虐待死事件が発覚する。

 捜査の結果、幼い娘が所在不明中の夫婦が逮捕された。

 妻は、県外の実両親に預けていると言い張ったが、そのような事実はなく、役所のずさんな対応なども含め、詳しく捜査するという警察の会見をテレビや新聞などが報道した。

 夫婦は声を大にして事実無根だと訴えていたが、ブルーシートに包まれていた遺体の大半が爬虫類――おもに爬虫綱カメ目の類――に摂食されていたと聞くや否や顔色を変え、黙り込んでしまったという。


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