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恐怖日和  作者: 黒駒臣
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天蛙

  

  

 雨の日はいつも家から放り出された。

 雨が降ると新しいお父さんの仕事が休みになるからだ。

 そんな日の僕は邪魔者でしかない。

 学校なんか行ってないし、狭いアパートには僕の部屋もない。

 なのにお母さんはお父さんといちゃいちゃしたいから、僕を家から追い出す。

 雨具を持ってないからいやだって言っても、二人からこっぴどく殴られて、蹴り飛ばされて、結局外に放り出される。こんなことなら最初から逆らわずに言うことを聞いとけば良かったって、いつも後悔するけど後の祭りだ。

 きょうの雨はいつもよりひどい。

 どこか雨宿りできる場所がないか考えて、近くにお屋敷と呼ばれる空き家があるのを思い出した。

 壊れかけた古い家で、荒れ放題の広い庭もあって、危険だから子供は入っちゃいけないと注意されている場所だ。

 でもそこしか行くところがない。


 大雨で通行人がいないことをいいことに、壊れかけた塀に開いた穴をくぐり中に忍び込んだ。

 植え込みや庭木の枝は伸びに伸び、膝の高さの下草は雨に濡れ、ズボンも靴もびしょびしょだ。

 とっくにずぶ濡れだったからどうでもいいけど。

「おい少年」

 雨音に混じって声が聞こえた。

 不法侵入がばれたと立ち止まった。

 びくびくしながら周囲を見渡したけど誰もいない。

 空耳かとほっとして、お屋敷のほうに向かおうとした。

「おい少年」

 やっぱり声がする。

 だが、声の主はどこにもいない。

 ここはお化け屋敷だという噂があったことを思い出して背中がぞくりとした。

「ここじゃ、ここじゃ」

 あまりの必死の呼びかけに気を取り直し、辺りを慎重に窺うと雑草の陰に深い穴のあるのが見えた。

 穴にはいろんなゴミが大量に放り込まれていた。

 そのゴミのてっぺんに灰色の蛙が一匹いる。

 信じられなかったけど、声の主はそいつだった。

「わしをここから出してくれんか」

「気持ち悪いからいやだよ」

 ゴミ穴からは異臭が漂っていた。

「お願いじゃ。わしを助けてくれ。もうずいぶん前にここに落ちてから出られんのじゃ。早くせねば間に合わない」

 蛙は哀れな声を出した。

 ざああと降り注ぐ雨に濡れて蛙は僕を見上げている。

 僕も全身から雫を滴らせながら蛙を見下ろしていた。

「間に合わないってどういうこと?」

 しゃがんで話を聞こうとする僕に蛙は話し始めた。

 その蛙の国では百年に一度、ある場所で『あまひかるみち』という現象があるのだという。

 そこに入った蛙は金色に光り輝く姿となり、天に上れるらしい。

 そのあまひかるみちの日が近いのだという。

 余裕でたどり着くつもりが、近道にしたこの庭でうっかり穴に落ちてしまったのだと蛙は嘆いた。

 ゴミの上までどうにかたどり着いたものの、やっぱり出られないらしい。

 ずいぶん年老いた蛙みたいだから跳躍力がないんだな。

 僕は立ち上がって「いやだよ」と言って、額を流れる雨雫を拭った。

 蛙は目を見開いた。

「話を聞いてもわしを見捨てるのか?」

「だって蛙なんかに構ってるどころじゃないもん」

 もう雨宿りなんか、してもしなくてもよかったけど、僕はお屋敷のほうへと足を向けた。

「たのむ。わしの命はもう長くない。金色になって天に上りたいんじゃ」

 僕は悲しくなった。蛙にじゃなくて自分に対してだ。

 家ではお父さんやお母さんに殴る蹴るされて、学校に行けばクラスメートにいじめられる。なんで蛙の言うことまで聞かなくちゃいけないの?

 あまりに悲し過ぎて逆にムカついてきた。

 だけど――

「わかったよ」

 僕は蛙を助けることにした。

 穴の縁に寝転がって腕を伸ばすと、ぎりぎり手が蛙に届いた。顔が穴に近づき過ぎ、強烈な臭いでめまいがする。ぬかるんだ泥で全身もどろどろだ。

 でも、もうどうでもいいや。

「ありがとうありがとう」

 蛙は僕の手のひらの上で何度もお礼を言った。

 僕に踏みつぶされるとか、もっと深い穴――あそこに見える井戸とか――に放り込まれてしまうなんて、まったく考えに及ばないみたいだ。

 でも僕はそんなことはしない。

 蛙を肩に乗せると彼が指し示す方向へと歩いた。

 お屋敷の敷地内から出ると、これも子供だけの立入を禁止している鎮守の森の藪に囲まれた池のほうへと導かれた。

「あまひかるみちって日の光が水面に映り込むってこと? 

 残念だね。きょうは大雨が降っているからおひさまは出ないよ」

 蛙は黙ったままだ。

 藪をかき分けてたどり着いた池では数えきれない雨粒が水面を叩きつけていた。

「ほらね、やっぱこれじゃ無理だ」

 僕の声が聞こえてるはずなのに、蛙は悲しそうでも悔しそうでもなく水面をただじっと見ている。

「ねぇ、他の蛙はなんでいないの? きっとみんなも金色になりたいと思うんだけど。

 あっ、もしかしてきょうは中止なんじゃ――」

「百年以上生きる蛙はいないからのう。あまひかるみちに行くには長生きしなければいけないんじゃ」

 蛙の声が僕の声を遮った直後、雲の間から光が差し込み始め、水面に金色の輪を作った。

 その輪の反射する光がきらきらとさかのぼり、天に続く道になる。

 雨は降り続いているのに、スポットライトが当たったようなそこだけは晴れていた。

 蛙は黙ったまま肩から飛びおり、あまひかるみちに向かって弱いジャンプで一歩一歩近づいていった。

 池に入ってもぽちゃんと沈まず、水面の上に留まっている。蛙がこっちを振り返った。

 役目を終えた僕は「じゃ、さよなら」と手を振った。さっき出会ったばかりなのにちょっと寂しい感じがする。

「一緒に行かんか?」

 蛙が僕に言った。

「ええっ? 一緒に行けるの?」

「行けるとも。わしを助けてくれたいい子なのだから」

「そんなこと言われたの初めて――

 うん。一緒に行く」

「連れが出来てわしは嬉しいぞ」

 蛙は優しそうな目を細めた。

 池に近づいて蛙をそっと右手に乗せると僕は一歩踏み出した。僕の足も沈むことはなく、そのまま光の輪へと向かう。雨の打つ水面下で魚が素早く逃げていくのが見えた。

 輪に入ったとたん、蛙の体が灰色から金色にみるみる変化した。穏やかで優しい金色だった。

 蛙は何も言わず、ただ気持ち良さげに目を閉じている。

 僕の身体は金色にならなかったけど、お日様の匂いの風が吹いて、ずぶ濡れだった身体があっという間に乾き、泥も剥がれ落ちて、すっかりきれいになった。

 その風に身体がふわりと浮くと、あまひかるみちをゆっくり上っていく。

「うわあ、すごい」

 雨に煙る景色が足の下にあった。

 真上から見たブロッコリーみたいな鎮守の森に、歩いてきた道の筋。

 雨の紗がかかるお屋敷も塀に囲まれた庭も見える。

 塀の中では何人ものお巡りさんが、子供の死体が捨てられているゴミ穴の周囲を忙しく動き回っていた。

 塀の外では赤色灯を回すパトカーが何台も止まり、警察署のある方角からもまだまだ走って来る。

 途中で別れた数台のパトカーが僕の家のほうへと向かった。

 家の前に止まるパトカーと野次馬たちの色とりどりの傘が見え、お巡りさんにつかまって家から出てくるお父さんとお母さんも見えた。

 ああ、そうだ。僕は――

 手のひらの蛙が振り返って微笑むように目を細めた。

 もう下を見るのやめよう。

 僕は顔を上げた。

 ぐんぐん空が近づく。

 あまひかるみちがさらにきらきらと輝き、きらきらきらきら、眩しい金色の光――


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