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恐怖日和  作者: 黒駒臣
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シロ



 猫のシロがまったく帰ってこなくなった。桜の咲く季節になると雌の尻を追っかけて姿が見えなくなることは当然のこととなっていたが、それでも腹が減ると帰ってきて裏庭の沓脱石の上で餌をせがんだ。

 奇特な人に拾われて飼われているのではないか、それならそれでいいじゃないかと猫アレルギーの妻は笑う。だが、道に飛び出して車に撥ねられてでもしていたら可哀想だ。いくら自由にさせていたとはいえ、家にいるようしつけていればそんなことにはならないのに。

 きょうも朝起きてすぐ、縁側から裏庭に確かめに出た。

 やはり帰っていない。

 洗濯干場にしている裏庭には自分の趣味で作った小さな花壇がある。すぐ飽きてしまって今は雑草まみれになっているが、そこに足を踏み入れ、腰の高さの境界塀の向こうへと目を凝らした。

 ブロックで設えた塀のすぐそばには田んぼが広がっていて、塀の真下にはコンクリート製の細い用水路が巡らされている。

 シロは畔道を通り、用水路を跳び越えて庭に戻ってくるのだが、まったく見かけない。

 あきらめきれず、塀から身を乗り出し辺りを見回す。

 田んぼは丹念に耕され、濃厚な土のにおいがした。

 田植えが始まれば、いつもは底を濡らすだけの用水路に小川から引かれてきた水がとうとうと流れ出す。

 夏が来る頃までシロの姿を見なければ、あきらめねばならない――

 ふと、じめじめした用水路の底に何かあると気づく。

 香箱座りする猫ほどの大きさと形状をしているが、ぬらぬら濡れた真っ黒いものなのでシロではない。

 豪雨が降り続いたあくる日などよくそれぐらいの石が雨水とともに転がり込んでくることはあるが、ここ数日、そんな雨は降ってはいないし、石にしては質感がおかしい。

 やっぱりシロではないか、いや、真っ白な猫だから明らかに違うのはわかっている。だが、用水路を跳び損ね打ち所が悪くて死んだのではないか、それが腐敗して黒く変色しているのではないのか。そんなことまで考えてしまったが臭いはなく、それにシロはそんなドジではない。

 だったらこれはいったいなんなのだろう。

 花壇に刺し込んだ緑色の長い支柱を一本引き抜き、腕を伸ばして黒いものを擦ったり軽く突いたりしてみた。

 柔らかい感触が棒の先から伝わってきたが、猫など動物の毛質は感じられない。シロの死骸でないことは判明したが、ではいったい何なのか。

 直接触れたわけではないが、感触を例えるなら蛙が一番近い。だが、蟇蛙にしても大きすぎるし真っ黒すぎる。

 確かめてみるか。

 塀を乗り越えて狭い用水路に降り立ち、黒いものに右手を伸ばした。その瞬間、かぱっと口を開けてそれが飛び掛かってきた。とっさに避けたが小指の付け根あたりに喰らいつかれ、焼けるように痛く、思わず手を振ったが離れない。

 左手で外そうとしたその時、目の端に白いものが走り、用水路の壁に飛び乗った。

 シロだ。

 私の手にぶら下がる黒い何かに素早く猫パンチを繰り出す。

 そいつはばふっと粒子になり霧散した。

「シ、シロ――ありがとうな」

 まだじんわりと痛む右手を擦りながら礼を言うとシロは何事もなかったかのように塀を跳び越え、裏庭を横切り、沓脱石の上で餌をねだるようにみゃあと鳴いた。


 それから数か月が経った。

 シロは相変わらずふらふらどこかに出かけ帰ってきたり来なかったりする。

 あの禍々しいものはいったい何だったのか今でも正体はわからないが、私の右手とシロの右前足には黒い染みが残ったままだ。



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