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恐怖日和  作者: 黒駒臣
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霊滓鬼 第二章 でーさい



「こんな遠いとこ、よう来てくれましたなあ。おおきに、おおきに」

 あさ枝は玄関先に突っ立ったまま佐和の手を握って離さなかった。

「ばあちゃんっ、早く中に入れてよ」

 いくつもの紙袋やボストンバックを持った義徳が祖母を諫める。

「ああ、すまん、すまん。

 ほんまお疲れでしたなあ。上がって、はよお茶でも飲んで」

 歓迎されていることがわかって佐和は胸を撫でおろした。

 義徳の言うとおり、あさ枝は優しいおばあちゃんだった。


「でな、目も腰も悪うなってしもて、もう店閉めよう思てんのやけど年寄り連中が辞めんといてくれ言うもんでな。

 ――まあうちも年寄りのひとりやけどな」

 あさ枝は久しぶりに会う孫よりも佐和との会話を楽しんでいるようだ。

 濃い目の緑茶と手作りのおはぎで旅の疲れが癒された。  義徳は座布団を枕に転寝をしている。

 あさ枝が押し入れからタオルケットを出してきた。それを受け取り義徳に掛ける。

「お店、さっき来るとき教えてもらいましたよ」

 そう言うと、「義徳ゃ、古うて汚い店や言うとったやろ」とあさ枝は笑った。

「いえ。ばあちゃんがここでぼくを育ててくれたんだって。感謝してるって言ってました」

 その言葉を聞き、「そうかぇそうかぇ」と乾いた皴手で目頭を押さえた。

 あさ枝は集落でたった一つの理髪店を営んでいた。今いるこの住まいは小高い山の中腹にある日本家屋だが、店はここからくねくね坂を下りた道沿いにある。

 レトロな理髪店の外観は当時の田舎ではさぞ洒落たものだっただろう。

 確かに今は外壁の白い塗装が剥がれ落ちたり、窓ガラスのひびにテープを張っていたりと年季が入っているが、まだまだ立派なものだ。

 入口に立つ黄ばんだ三色のサインポールもいい味を出していた。

「理容師やったおとはんと見合いで結婚してな。村長があさちゃんに合う人や言うて紹介してくれたんやけど、あとから考えたら村に理髪店が欲しかったんやろなあ。

 うちゃまんまとはめられたんや。おとはんもそう思とったやろけど。

 で、二十年経っておとはんが死んでな、それからうちも理容師の資格とったんや。

 長いことやらせてもうたけど、あの店ももう終わりや。皆にゃ悪いけどな」

 あさ枝は深い皴に埋もれた小さな目をしばたく。

「あのう、わたし義くんと結婚したら、ここに移り住んでおばあちゃんのお店継ごうかと思ってるんです。

 あ、よければの話ですけど」

 その言葉に目を大きく見開いた。

「えッ、何言うてんの。あかんあかん。こんな田舎、あんたら住むとこちゃう。義徳も嫌やかい出て行ったんやで。あかん。あかん」

 何度も首を横に振る。

「そんなことないです。村の人たちに受け入れられるかどうか自信はありませんけど、わたし、理容師の免許も持ってるし――」

「受け入れてくれるんきまってるわ。うちん孫になる娘やで。

 あ、ちゃう、ちゃう。

 あんた、実家に店あんのやろ、こんな田舎にすっこませたら親御さんに怒られるわ」

「うちはいいんです。もう兄が後継いでるんで関係ないんです。兄の奥さんともあまり仲良くないし。

 それにこういうのどかな場所でのんびり仕事やれたらいいなってずっと思ってたんです。だから、おばあちゃんさえよかったらお店継がせてください」

 あさ枝の小さな手を握る。

 何も言わず老女はうつむいた。細い肩を震わせ、手を握り返してくる。それが返事だと佐和は思った。


               *


 強風が激しく窓を揺らしていた。強い雨が屋根や外壁を叩く音も聞こえる。

「直撃はしないってラジオが言ってたけど、ものすごい雨ね」

 佐和は雨音の響く天井を仰ぎ見ながら布団に横たわったばかりの義徳に話しかけた。だが、返ってきたのはいびきだった。

 無理もない、半日以上運転していたのだからと佐和はそっと肌布団を義徳の肩まで掛ける。

 義徳が薄目を開け、両手を伸ばしてのびをした。

「――ばあちゃん、すごく喜んでたよ」

「あ、ごめん、起こした?」

「ううん。大丈夫、眠ってないから」

「うそ、いびきかいてたわよ」

「ちゃんと起きてたってっ」

 ムキになる義徳にぷっと噴き出し、佐和は「はいはい」と返す。

「で、話の続きだけど、佐和が風呂入ってる時ばあちゃんにいい嫁選んだなって褒められたよ」

「まだ嫁じゃないけど、おばあちゃん認めてくれたってことかな。わたしなんかでいいのかな」

 佐和のつぶやきに義徳の目が大きく開いた。

「そんなの決まってるだろ。もしばあちゃんが認めなかったとしてもぼくは佐和と絶対結婚するんだから、どっちにしても嫁なんだよ」

 そう言って座ったままの佐和の腕を引き、自分の横に寝転がせた。

 激しい稲光が窓を照らす。数秒後に割れるような音が家を震わせた。

「きゃ」

 佐和は義徳の胸に顔をうずめた。音が止んで顔を上げると義徳のにやけた顔がある。

「今の佐和かわいかったな。『きゃ』だって」

「もう、からかわな――」

 いい終わらないうちに再び閃光が走った。

 佐和はぎゅっと目をつぶり両手で耳を塞ぐ。その頭を義徳が優しく撫でた。

 両手を耳から離すと、

「――のこと――」

「えっ、何?」

「さっきばあちゃんに聞いたんだ。香子のこと。

 結婚してこの家に来たらあいつとはご近所になるだろ。ちゃんとけり付けとかないと佐和に嫌がらせしかねないからさ。何とかならないかって言ったんだよ。

 ああ見えてばあちゃん怒ったら結構怖いんだよ。だから近所の悪ガキはみんなばあちゃんの言うことをよく聞くんだ。

 最近なりを潜めてたけど、香子はしつこい性質だから」

「わたしなら大丈夫よ。あの子より大人なんだし、うまくかわすわ。もしかしたら仲良しになれるかもよ」

「――――」

 さらに激しくなった雨音が義徳の声をかき消す。

「えっ? 聞こえない。何?」

「だから、死んだんだって、香子」

 ひやりといっきに空気が変わった。

「なぜ――」

 絶句する佐和の頭や頬を撫でながら義徳が淡々と続ける。

「事故だって。

 ぼくのいない日にあいつ店に来たことあったろ? 菜摘先輩が髪染めたって日。あの日にナンパされて車で送ってもらった時、事故ったって。

 ほら、来る時見ただろ、花を供えたガードレール。あそこで。

 ものすごいスピードで突っ込んだんだって。酒か薬を飲んでたんじゃないかって、葬式の時に誰かが話してんのばあちゃんが聞いたそうだ。

 バカだよ、香子のやつ。自分で自分の命縮めて。

 でもこう言っちゃ悪いけど、ぼくはちょっとほっとしてるんだ」

 佐和は追いかけて来たでーさいを思い出した。あれは香子さんだったのかもしれない。

「そ、そんなこと――言っちゃいけないわ」

 光と同時に激しい雷鳴が轟き、雨がさらに勢いを増す。佐和の声は義徳に届かず、心配の種が消えた安堵いっぱいの笑顔が目の前に近づいてくる。

 不謹慎よ。香子さんに対して。

 そう続けようとしたが義徳の唇で塞がれた。

 凄まじい風雨が窓ガラスを叩いている。

 義徳に包まれながらも佐和はその音が気になって仕方がなかった。


               * 


 ふと目覚めた。眠れないと思っていたがいつのまにか眠っていたようだ。

 部屋の中が暗いからまだ朝にはなっていないのだろう。いったい今は何時頃なのか。

 雨はまだ激しく屋根を叩いていた。

 湿った風の流れを感じて佐和は首を向けた。地窓が開いている。

 この部屋に通された時にはすでに雨が降っていたので開けた覚えはなかった。

 義君があけたのかしら。こんな雨だと降り込むかもしれないのに。閉めなきゃ。

 体を起こそうとした瞬間、きーんと耳鳴りがして動けなくなった。

 手足の先から虫が這うようなぞわぞわした痺れが体の中心に向かってくる。

 地窓から禍々しい気配を感じ、佐和はただ一つ自由が利く目を向けた。

 窓から何かが覗いている。

 そこではっと佐和は目覚めた。

 夢? 

 ぼんやりした頭にきーんと耳鳴りが響く。体が動かなくなりぞわぞわと痺れが来る。気配を感じ、ただ一つ動かせる目でそれを見る。

 畳の上を何かが這っている。

 そこで再び佐和は目覚めた。

 全身が痺れ、体が動かない。

 嫌な気配が重くのしかかり、目の端から徐々に白い布が見えてくる。

 でーさい? 

 これは夢? それとも現実? 

 顔を覗き込む白布の中心にぎゅっと皺が寄る。

 お守り、お守りは――

 あれは昼間――そうだ。あの時でーさいにぶつけた――

 また、目覚める。

 激しい耳鳴りと体の痺れ。

 すべて夢なら、はやく覚めて。

 虫の脚のような細くて長い腕が佐和に伸びてくる。

 やめて触らないでっ。あっちに行って。

 心の中でいくら叫んでも白い手は退かない。

『佐和ちゃん』

 突然自分を呼ぶ、今は亡き祖母の声が聞こえ、体中に電流が走った。

 でーさいの手が引っ込み気配が乱れる。

 耳鳴りが遠ざかり、体の痺れが治まった。

 佐和は体を起こそうとしたが、すぐ深い眠りに引き込まれていった。


 再び目覚めた。まだ夜明け前のようで、部屋中が深海のような紺色に染まっている。

 音が聞こえないので雨は止んでいるようだ。

 佐和はだるさの残る上半身を布団から引き剥がすように起こして背筋を伸ばした。気分がすっきりしないし頭痛もする。

 どこから夢でどこから現実だったのか、すべて夢か、それとも現実か。

 パジャマの襟元が寝汗に濡れて気持ち悪く、寒くもないのに背中がぞくぞくした。

 横には足元まで肌布団のはだけた義徳がまだ眠っている。あっちを向いた顔が暗がりに紛れていた。

 あまりに静かで佐和は胸騒ぎを覚え、義徳の顔を覗き込んだ。

「義くん?」

 義徳は白目を剥き、苦悶の表情を浮かべてすでに息をしていなかった。

「うそっ。義くんっ、義くんっ」

 頬を叩き、体を揺さぶってもぴくりとも反応しない。

「おばあちゃんっ」

 佐和は廊下を走った。

 あさ枝はすでに起きて居間にいた。照明もつけず窓から外をじっと見ている。

「おばあちゃんっ。義くんがっ、義くんがっ」

 泣き叫びすがる佐和の体を支え、それでも窓から目を離さないあさ枝はゆっくりと外を指さした。

「あれ見てみぃ」

 見えるのは青に染まる風景に白く浮かび上がったくねくね坂だった。

 その坂を何かが跳ねながら下っている。

 赤い髪をしたでーさいだった。人の形をしたもやのようなものをつかんで離さない。

 それは悲痛に歪んだ義徳の顔をしていた。

「まだ間に合うわ」

 佐和は慌てて後を追おうとしたが「あかんっ」と、あさ枝に手首をつかまれた。

「なぜですか? 早く行かないとあいつに連れてかれてしまう」

「あかん。あんたまで巻き添え食う」

 小さな老女のどこにこんな力があるのかと思うほど手首をつかんだ力は強かった。

「あの赤い髪見てみぃ。香子はただのでーさいやない。滓になってまで火みたいな赤い髪してる。

 義徳はあのこに魅入られてたんや。だいぶ前からずうっと。もうどうやっても助けられん」

 皺に埋もれたあさ枝の目から涙が溢れる。

 赤い髪のでーさいが坂の下からこちらを振り向いた。白い布にくしゃりと皺が寄る。

 佐和にはそれが香子の勝ち誇った笑みのように見えた。



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