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寒行

改稿しました。

  

  

 こんなに吹雪くとは思いもよらなかった。

 ひどい積雪で道脇に停車し動けなくなったタクシー運転手の坂元は舌打ちしながら止みそうもない吹雪の空を窓から見上げた。


 積雪の情報は天気予報でもニュースでも言っておらず、チェーンの準備などしていない。

 山深いとは言ってもちゃんと整備された峠道で、雪がなければ十五分くらいで抜けられるはずだったのに。


 携帯は圏外、他車も来ないし、歩いている地元民もいないので助けを求められない。

 今のところ車のエンジンは順調だが、いつ何時トラブルによって止まるとも限らないし、マフラーまで雪が積もってしまっては酸欠死してしまう――


 それに思い当って、坂元は慌てて外に出た。積雪に埋まった足首の冷たさを我慢してバンパーの下を覗く。雪はまだマフラーの口まで到達していないものの積み上がっていた雪を急いで手で退けた。


 凍えた手を息で温めながら運転席に戻る。エアコンは最大にしていたがさっきよりも効きが悪く思うのは気のせいだろうか。


 こんな場所通らなければよかった。

 坂元は大きなため息を吐いたが。


 あれ? 俺なんでここを通ったんだ?


 冷暖の差が眠気を誘うのか、頭がぼんやりして思い出せない。


 なんでだったかな……


 瞼が重く塞がりかけた時、遠く真っ白い景色の中に黒いものが移動しているのが見えた。

 はっと目覚めた坂元はハンドルに身を乗り出し、目を凝らした。それでその黒いものが十人ほどの托鉢僧の列だったとわかった。

 網代傘には雪が積もり、白に映える黒い袈裟が風に(なび)いている。


 近くに寺でもあるのだろうか。行きか帰りかわからないが列はこちらに向かって歩いてくる。

 助かったと坂元はほっとした。

 彼らに救援を頼もう。

 坂元はクラクションを鳴らし、車を出て「おーい」と手を振った。

 だが、段々強くなる吹雪の音が邪魔をして僧たちには届いていないようだ。

 唸るようなお経の声と時おり重なるお(りん)の音が聞こえてくるのにだ。


「おーい」

 もう一度呼んでみたが、僧たちは坂元にまったく気付かず横道に反れ、列が消えた。


「うそだろ!」


 坂元は「おーい」ともう一度叫んで、その場から一歩踏み出そうとしたが吹雪と積雪がそれを阻む。


 運転席に戻って何度か激しくクラクションを鳴らしてみたが、真っ白い雪景色の中に黒い列は戻ってこなかった。

 お経もお鈴ももう聞こえない。初めから何もなかった――つまり坂元の幻覚、幻聴だった――かのように白い景色と静寂がそこにあるだけだ。


「くそっ!」


 もう一度、力いっぱいクラクションを鳴らしてみたが、坂元の鼓膜を痛いほど響かせただけで、空気に染みこむように消えていった――



「しまった」


 坂元ははっと目を覚ました。

 定期的にマフラーの点検をしようと思っていたのに、ついうっかり眠ってしまった。

 焦りながら凭れていたハンドルから慌てて顔を上げる。


「ひっ!」


 托鉢僧たちが車を取り囲み、窓を覗き込んでいた。

 だが、見つけてくれたと安堵出来なかった。


 なぜなら――


 ゆで玉子のようにつるんとした僧侶たちの顔は口に似た切込みがあるだけで、目鼻がなかったからだ。

 なのに全員が自分を見つめていると感じた。


 爪も皺もない白い手に持ったお(りん)を鳴らし、切込みがぱくぱくと動きお経を唱え始める。


 その音と声が、わんわんと車内で反響した。


「うぎゃぁぁっ」


         *


 坂元は自分の悲鳴で目を覚まし、倒した背もたれから勢いよく身を起こした。

 慌てて窓の外を確認するも誰もおらず――そもそも外は雪に埋もれた峠道などではなく、花期の過ぎた桜樹に囲まれる児童公園の脇だった。


 夢だったのか……


 運転に疲れて仮眠するため、通りかかった公園脇にタクシーを駐車したのを思い出し、ネクタイを緩めて深呼吸した。


 窓から葉桜を見上げると、まだちらほら残っている淡いピンクの花弁が夕焼け空の下で微かな風に揺れていた。


 やけにリアルで薄気味悪い夢だったな。


 雪の峠道なんてニュースでしか見たことないのに……


 額に流れる汗を拭って、リクライニングをもとに戻した。


 こんなところでいつまでもぐずぐずしている場合じゃない。さっさと目的地へ行かないと。


 坂元は喧嘩のあげく扼殺してしまった妻の死体を捨てるため、深い山へと向かっている途中だった。

 トランクには死体を積んでいる。


 ここで職質なんて受けたらえらいことだ。


 首や肩を軽く回して身体をほぐすと、キーに手を伸ばした。


 りーん――


 お鈴のような音が響き、ふと目を上げた。


 托鉢僧たちがタクシーの周囲をぐるぐると回っている。唸るような読経が耳元で聞こえた。


 背筋にぞぞっと怖気が走り、思わずクラクションを鳴らしてしまった。

 僧たちが足を止めて全員で窓を覗く。つるんとした目も鼻もない顔――ではなく、全員が妻の顔をしていた。


         *


 えっ? タクシー運転手なら怖い体験の一つ二つはあるだろうって? 聞きたいんですか? お客さんも酔狂ですねぇ。実は私もその手の話は好物でして――

 で、自身の体験じゃないんですが、不思議な話をひとつ――あ、怖くはないんですけど――いいですか?

 ではでは。


 殺人を犯した同僚がいましてね、タクシーのトランクに死体を積んで逃げてたらしいんですが、遠い町の児童公園の脇で死んでいるのが見つかりまして。

 いえいえ、自殺じゃありません。仮眠を取るようにただ横になってただけみたいなんですが、もうすぐ夏がくるっていうのに、車内でカチコチに凍死していたそうなんです。


                了



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